あの人は誰だ。記憶にない顔だけど挨拶されたからには知っている人のはず。
ぺこり。
知らないおばさんに会釈された。
へえ。
俺の知らない人ということは、このおばさんは現在俺といっしょに歩いているくせ毛の少年・凪(なぎ)の知り合いということか。
「こんにちは」
つれの知り合いだし、俺は声に出して挨拶しておいた。
しかし凪はろくに会釈もしない。本当にマイペースなやつだ。
おばさんが通り過ぎたのを見て、凪がぽつりとつぶやく。
「いまのは誰だい?」
「え? 凪の知り合いじゃないの?」
「違うよ」
あれま。
俺の名前は明智開(あけちかい)。
世間からは探偵王子と呼ばれている高校二年生だ。
探偵事務所に帰ってきた俺は、探偵事務所の管理などもしている探偵助手のお姉さん・逸美(いつみ)ちゃんにさっきの話をした。
「そうなのね~。じゃあ、それは開くんのお知り合い?」
逸美ちゃんはおっとりとそう言うが、俺はかぶりを振った。
「やっぱり違うと思うんだ。俺、自分で言うのもあれだけど記憶力いいほうだし」
「そんなこと言って、忘れてるだけじゃないの?」
凪がのんきな調子で言うが、確かに記憶にないのだ。
「でも……」
「じゃあ、あれが誰だったのか、探偵らしく推理したら? 探偵王子」
片目をつむって凪が言った。俺はうなずいく。
「うん。気になるしちょっと考えてみるか」
翌日。
俺と逸美ちゃんで街を歩いていた。
探偵事務所の日用品を買いに来ていたのだけど、スーパーを歩いていると、おばさんが声をかけてきた。
「これって、ここが安かったかしら?」
「そうですよ~。うふふ」
「ありがとね」
「はーい」
おばさんが去ったので、俺は逸美ちゃんに聞く。
「いまのおばさん、逸美ちゃんの知り合い?」
「違うわよ。ただしゃべりかけられただけよ」
「なんだ」
「スーパーとかだとたまにしゃべりかけられるのよね」
「俺はそんなことないけど、知らない人にしゃべりかけられることもあるんだね」
ケースバイケースか。
買い物を終えレジでお会計を済ませる。
ウインドウの前で買った物を袋に入れていると、二十歳くらいの男女がにこにこしながらこっちを見ていた。
あんなににこやかな笑顔を向けられることなんて滅多にない。
俺はこそっと逸美ちゃんに聞く。
「あの人たち、逸美ちゃんの知り合い?」
「違うわよ~」
また違う。
でも、この人たちに関しては、俺もまったくと言っていいほどわからない。
とはいえ礼儀として、俺と逸美ちゃんは笑顔で会釈をした。
すると。
男女の二人組は、俺と逸美ちゃんを怪訝そうに見て、一度振り返り、ネクタイやまき髪の乱れを直して、変な人だというように最後俺たちを一瞥してから去って行った。
俺と逸美ちゃんは笑顔のまま苦い顔になる。
「なんだか、違ったみたいだね」
「うん、そうね。ガラスを鏡代わりにしてただけかも」
ため息交じりに俺はつぶやいた。
「どおりで、俺も逸美ちゃんも知らないわけだ」
おかげで俺と逸美ちゃんはちょっぴり恥ずかしい思いをしてしまった。
さて。
気持ちも切り替えて、買い物を終えスーパーを出て逸美ちゃんとふたりで歩いていると、アジサイが咲いてる家があった。
「綺麗ね~」
「そうだね」
この時期しか見られないからな。
立ち止まって見ていると、またおばさんに話しかけられた。
「あら。綺麗なアジサイね」
「そうですね」
逸美ちゃんといると知らない人に話しかけられることが多いな。
もしかして逸美ちゃんの知り合いかな? と思っていると、おばさんは小さく手を振って歩き去った。
「久しぶりに元気な顔が見られてよかったわ。またね」
「あっ、はい」
唐突だったからなんて言っていいかわからず、俺は間抜けな返事しかできなかった。
「どうも~」
ゆるゆるとした挨拶だけ返す逸美ちゃんはたいしたものだ。
俺は気になって逸美ちゃんに聞いた。
「今度こそ逸美ちゃんの知り合い?」
「ううん。知らない人よ」
逸美ちゃんは記憶力がものすごくいい。一度見たものは忘れないほどで、瞬間記憶能力が高いのだ。そんなお姉さんの言葉は絶対的に信頼できる。
「じゃあ、いまのおばさんは、アジサイに言ったのかな? 久しぶりに元気な顔が見られてよかったってさ」
「さすがにそれはないわよ~。ふふふ」
「だよね。あはは。でも、うーん……。考えたらいまのおばさんは見たことある気がしないでもない」
これも、思い出すのを宿題にしよう。
あれが誰だったのか、推理するきっかけが欲しいものである。
探偵事務所に戻ってしばらくすると、凪と鈴(すず)ちゃんがやってきた。
鈴ちゃんというのは、少年探偵団のメンバーで中学三年生のお嬢様である。凪もだけど少年探偵団のメンバーはよく探偵事務所に遊びに来るのだ。
来るなり、鈴ちゃんは俺たちに言った。
「さっきそこで、小学校時代の先生に会ったんですよ。久しぶりに見たから最初は気づかなかったけど、笑顔は昔のままでした」
「まあ。素敵な偶然ね~」
と、逸美ちゃんは手のてらを合わせる。
「でも、先輩が余計なこと言うからちょっと恥ずかしかったんですよ?」
鈴ちゃんが金色のツインテールを揺らして凪をにらむが、凪はのらりくらりと言ってのける。
「現在の鈴ちゃんの姿を教えてやったんじゃないか」
「それが余計なんですよ」
俺は思い出して、ポンと手を打った。
「思い出した! 先生だ」
凪は詰め寄ってくる鈴ちゃんをかわして、俺の前に出る。
「開、この前のおばさんのこと思い出したのかい?」
「いや、違うんだ。さっき俺が会ったおばさんだよ」
「よかったじゃない。それで、誰だったの?」
逸美ちゃんに聞かれて、俺は答える。
「小学三年生まで行ってたスイミングスクールの先生だよ。鈴ちゃんの先生って言葉で思い出したんだ」
「そうなの~」
「うん。いつも水泳帽かぶってたし競泳水着だったから、普段着だと全然わからなかったよ」
「七年も前のことになりますし、顔もうろ覚えでも仕方ないですよね」
鈴ちゃんもそう言ってくれている通り、もう七年にもなるんだ。
しかしそうなると、記憶力に自信があると言っても自分の記憶も信用ならないな。この前凪といっしょにいたときに会った人は誰だったんだろう。
しばらくして、俺たち四人は探偵事務所を出た。
もう夕方になってそれぞれが家に帰るところなのだが、四人で歩いていると、この前俺と凪に会釈したおばさんが向こうから歩いてきたのだ。
おばさんはこちらに気づくと、にっこりと微笑んだ。
やっぱり知ってる人なんだ。
俺もおばさんに会釈を返した。
そして、おばさんが歩み寄って来て言った。
「最近来てないわね」
「え?」
来てないってなんだ?
小首をかしげる俺に、おばさんが笑いかけて言った。
「あなたじゃないわよ。そっちの」
「ぼく?」
と、凪が自分を指差す。
なんだよ、やっぱり凪だったんじゃないか。
それにしても、じゃあどんな知り合いなんだ。
逸美ちゃんが尋ねた。
「あのぅ、凪くんとはどのようなお知り合いですか?」
「ちゃんと説明してください」
と、凪もけしかける。
「おまえが言うな」
おばさんはあはははとおかしそうに笑って、
「やだわ~。でも、覚えてなくても無理ないわね。知り合いってほどでもないんだけどね、アタシの働いているスーパーの試食をよくしに来てくれるのよ。アタシにも気さくに話しかけてくれるんだけどね、試食するといつも正直な感想を言って、お客さんを呼び込んでくれるのよー」
なんだって!?
凪のやつ、なんてくだらないことしてるんだ。
てことは、このおばさんについて俺が推理することなんてなにもないじゃないか。
「おい、凪! て、あれ?」
横を見るが、凪がいなくなっている。
振り返ると、凪はもう走り出していた。
「こらー! 待て~! はしたないことするなー」
俺が追いかけてくるのに気づいて、凪は慌てた顔で逃げる。
「人様のお役に立つことをしてたからいいじゃないか~」
「よくなーい!」
おばさんはそんな凪を見てにこにこと言った。
「さすが、賑やかで面白い子ね。あなたたち、また来るようにあの子に言っておいてね。またサービスするからって。ふふふっ」
おわり
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