幕間短編 ピカチュウの手鏡

 ある日、探偵事務所で俺と凪と逸美ちゃんと鈴ちゃんでポケモンのゲームをしていた。

 四人みんなで和室でくつろいでいるとき、鈴ちゃんが凪を見て言った。

「あっ! 先輩」

「オッケー。わかってるって」

「まだなんにも言ってないです」

「そう言うと思ってたよ。わかってるから」

「なんにもわかってないですよ。もう、先輩ちょっとは鏡とか見たらどうですか?」

 凪は冗談はやめてよと言わんばかりに手を振った。

「いやいや、ぼくはナルシストではないんだ」

「そういう意味じゃないです。身だしなみに気を付けてくださいって言ってるんですよ」

「鈴ちゃん、キミは気付いてないかもしれないけど、ぼくの髪は天パーなのさ。朝鏡を見て整えても、家を出るときにはこの通りだよ」

 鈴ちゃんはイライラしたようにゴホンと咳払いして、

「本当に勝手に間違った憶測で話す人ですね、先輩は。襟が中に入ってるんですっ」

 俺も知ってはいたが、いちいちこいつの面倒を見るのは嫌だから黙っていたのだ。しかも、もっと言うとこいつが大雑把で襟を片側だけ中に入れて服を着ていることも珍しくないので、普段から俺はスルーしている。

 凪は首を曲げて自分の右側の襟を確認した。

「あらら。本当だ。どおりでおかしいと思ったんだ」

「その時点で鏡を見てください。みっともない。あたしが直しますから動かないでじっとしててくださいね」

「自分でやるからいいって」

「ダメです。どうせ今度は左が入っちゃったよ、とか言うんですから先輩は」

「そんなこと言うもんか」

 いや、言うな。こいつは学習能力がないからな。

 鈴ちゃんが凪の襟を直してあげると、両手で両の肩をパンと叩いた。

「これでカンペキです」

「うむ。ご苦労」

「ご苦労じゃないです。偉そうに。先輩、襟が中に入ってたりしたらみっともないから、これからはちゃんとマメに鏡を確認してくださいよ?」

「無理だよ。ぼくの通る場所に、あまり鏡がないんだ」

「はぁ」

 と、鈴ちゃんはため息をついた。

「なんだ、もう降参か」

「降参ってなんですか。別に言い合いをしてるんじゃないです。あたしが一方的に先輩に注意を促しているんです」

 胸を張った凪が小首をかしげたところで、鈴ちゃんは自分のバッグから鏡を取り出した。

「これ、使ってください。あげますから身だしなみに気を付けるんですよ?」

「逸美さんに面倒を見てもらってばかりの開じゃないんだから、心配はご無用さ」

 減らず口の凪に俺は言い返す。

「俺は別におまえみたいに面倒を見てもらってないっ! 子供じゃないんだから」

「なにを言ってるのさ。いつもご飯つぶをほっぺにつけて、取ってもらってるくせに」

「だから、俺はそんなことないって」

 すると、逸美ちゃんが俺のほっぺたに手を伸ばした。

「うふふ。なーんだ、開くん今日もついてるじゃない」

 ご飯つぶを取って、逸美ちゃんはペロッと食べる。

「は、恥ずかしいことしないでよ! もう」

「なんで~? 可愛いじゃない」

 凪はやれやれと手を広げた。

「あざといですな」

「だからわざとじゃなーい!」

 まったく、凪のせいで俺がかっこ悪いところを見せてしまったじゃないか。

 凪は鈴ちゃんに向き直って、

「そういうことで、ぼくは鏡なんて大丈夫だよ」

「大丈夫じゃないから言ってるんですよ。先輩、この鏡、実はポケモンの絵が入ってるんですよ? もらわなくていいんですか? ならあげませんけど」

「え? なんだって?」

 凪が食いついた。

「チラ」

 と、鈴ちゃんが鏡の裏面を見せる。

 鏡の裏面には、ピカチュウがいた。小さな手鏡だが、身だしなみをちょっと確認するには問題ないだろう。

「鈴ちゃん、ぼくそれもらってあげてもいいんだぜ!」

「どうしようかなー。さっきいらないって言ってたし」

「せっかくもらう気になったんだ。意地悪しないでぼくにおくれよ。大事にするって」

 なるほど。ピカチュウ大好きな凪には効果てきめん、いやポケモン風に言うならこうかはばつぐんだ。

「じゃあ先輩、ちゃんとこれ毎日見るんですよ。いいですね? 約束です」

「わかってるさ。毎日見る。約束する」

 鈴ちゃんはにこりと微笑んで、凪にポケモンの手鏡をあげた。

「はい。どうぞ」

「おぉー。ありがとう」

 そのあとも、凪は嬉しそうにもらった手鏡を見ていた。

 数日後、またこの四人が探偵事務所の和室にいたとき。

 凪の襟がまた中に入っていることに、鈴ちゃんが気付いた。

 鈴ちゃんは腰に手を当てて、仁王立ちになる。

「ちょっと先輩!」

 こたつに入ってうつぶせになり、ひじをついてゲームをしていた凪が顔を上げた。

「なんだい?」

「なんだいじゃありません。襟がまた中に入ってるじゃないですか。だらしない。みっともないから身だしなみを確認するように言いましたよね?」

「言ってたね」

 ケロッとした顔であっさり答える凪に、鈴ちゃんはため息をついた。

「先輩、鏡はちゃんと毎日見てます?」

「鏡? ぼくを甘くみてもらっちゃ困るぜ。毎日見てるに決まってるじゃないか。あのピカチュウ、お気に入りなんだ」

 凪はポケットからもらったポケモンの手鏡を取り出して、高くかかげてそれを見る。

「うん、いいね~。少なくとも、一日に五回は見てるよ」

 しかし、よく見れば、凪が見ているのは鏡の裏面のピカチュウの絵だった。本当にピカチュウの絵が気に入っているだけらしい。

 鈴ちゃんは握りこぶしを作って、

「それじゃ意味ないでしょうが……。先輩のおバカ~!」

「な、なんだ? なんだ? いきなり怒ってどうしたんだ?」

「どうしたもこうしたもあるか~」

 凪が逃げて鈴ちゃんが追いかける。

 この狭い和室で追いかけっこはやめてくれ。

 まったく、鈴ちゃんもあんなやつのことは放っておけばいいものを。

 そのとき、逸美ちゃんは俺を見て、「あっ」と声を漏らした。

「どうした?」

「開くん、ご飯つぶついてるよ。うふふ」

「え?」

 俺は右手を丸めてネコが顔をこするようにほっぺたをこすった。

「つ、ついてないし」

「こっち」

 と、俺の左側からご飯つぶを取って、逸美ちゃんはペロッと食べた。

「いったい誰がこんなものを俺のほっぺたに」

 凪が鈴ちゃんから逃げながら言った。

「開はあざといな~」

「わざとじゃないって言ってるだろ!?」

「ならキミこそ鏡を使うべきだね。ははっ」

「鏡の使い方を間違えてる先輩が偉そうに言うな~! 使わないなら返してください」

「このピカチュウはぼくがもらったんだってー」

「待てー」

「やだー」

「だったら鏡を見てください」

「鈴ちゃんこそいま怖い顔してるから鏡を見るべきだ」

「な、なんですって~」

 俺はそんな二人を見て、大きくため息をついた。

 やれやれ。

 ああならないためにも、みんなはちゃんと鏡を見るようにしようね。

つづく



柳屋凪 ピカチュウ イラスト

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