12月12日 漢字の日

「今日、12月12日が何の日か知ってる?」

 探偵事務所にて。

 くせ毛の少年・凪がそう問いかけた。

 だが、考えるがわからない。

「1、 2……だから、ひふ……皮膚の日!」

 俺の言葉に、凪は首を横に振る。

「違うよ。そんなの聞いたこともない」

 そんなの俺だって12月12日が何の日かなんて聞いたことないよ。

 答えられずにいると、凪が得意そうに言った。

「12月12日は、読みを変えると、いいじ、いちじ。つまり、いい字一字。そう、今日は漢字の日さ」



 俺の名前は明智開。

 世間からは探偵王子と呼ばれる高校二年生だ。

 いま目の前にいる凪も高校二年生であり、俺と同じ少年探偵団のメンバーでもある。だからこうして探偵事務所にも遊びに来ているのだ。基本的には少年探偵団は事件のときに臨時で集まるチームなのだけれど、普段は探偵事務所でだらだらすることが多い。

 12月12日。

 今日が「漢字の日」だと教えられた俺は凪に聞いた。

「それで、今日が漢字の日だとなにかあるの?」

「特にないけど」

「やっぱりそうか」

 意味もなくクイズ大会してヒマ潰ししてただけらしい。

 凪は情報屋でもあり、その関係からかなぜか雑学みたいな無駄な知識は無駄に豊富なやつなのだ。

 ここで、同じく少年探偵団のメンバーでこの事務所の管理もしている大学一年生のお姉さん・逸美ちゃんがにこにこしながら凪にお茶を出してやった。

「どうぞ。凪くん、来るなりまたおもしろいお話してたの?」

「ありがとう。逸美さん、ぼくは開に今日が漢字の日だと教えていたのさ」

「そういえばそうだったわね~」

「逸美ちゃんも知ってたの?」

 と、俺が聞き返すと、逸美ちゃんはにこっと微笑んだ。

「前になにか見たことがあっただけよ」

 本当に逸美ちゃんは物知りで探偵助手として俺をサポートするには優秀過ぎるくらいに博識なお姉さんなのだ。その膨大な知識はものすごい記憶力からきている。

「あとはね、12月12日はケニアがイギリスから独立した日なの。他にも、ロシアの憲法記念日でもあるし、バッテリーの日でもあるのよ」

「逸美ちゃんも相変わらず無駄な知識が多いね」

 俺が苦笑いする中、凪が補足で解説を加えた。

「バッテリーというのは電池のほうのバッテリーではあるんだけど、由来は野球のバッテリーが1番と2番だから、そこからきているのさ」

「先輩も本当に無駄な知識が豊富ですね。もっと他のことに役立てればいいのに」

 呆れたようにつぶやく金髪ツインテールの少女は鈴ちゃん。

 鈴ちゃんは中学三年生だから俺や凪より二つ年下で、家はお金持ちのお嬢様。同じく少年探偵団のメンバーだ。探偵の俺や助手で管理人の逸美ちゃん、情報屋の凪と違って特に役割はないので凪には雑用係と呼ばれている。

 凪は鈴ちゃんの言葉など気にせず言った。

「知識は人生を豊かにしてくれる。竹野内や松重も知識が豊富だから豊かになったんだろうねぇ~。うむ」

 ひとりで納得したようにうなずく凪にジト目で鈴ちゃんが返す。

「あれは元からです」

「まあ、基本に立ち返るとだ、ぼくはこの漢字の日だからこそできる漢字トークがしたいと思ったんだ」

 この凪の主張に、俺はまったく乗り気じゃない。鈴ちゃんも乗り気じゃない。ただおっとり天然さんな逸美ちゃんだけは楽しそうに手を挙げた。

「漢字トークいいと思うわ~」

「でもさ、逸美ちゃん。漢字トークっていっても、話すことなんてないよ?」

 俺の反問にも逸美ちゃんは笑顔で答える。

「そんなことないわよ~。昔ね、開くんが小学生のとき、漢字練習をクラスで一番頑張って、難しいテストなのに満点を取ったのよ! わたし、とっても鼻が高かったの~」

 とても嬉しそうにしゃべってくれたけど、それは漢字トークって言うのか? 逸美ちゃんは幼なじみの俺のことを本当の弟のように溺愛しているから、ちょっと気を抜くとすぐ俺の話をしちゃうのだ。

「ほうほう。開がクラスで一番漢字練習をしていたのか。なにが彼をそこまで駆り立てていたのだろうか」

 興味なさそうにうなずく凪に言ってやる。

「俺は難しい漢字のテストがあるから頑張っただけだ!」

「小学生レベルの漢字に必死にならなくても」

 憐れむ顔で俺を見る凪。

「あのなぁ、俺は高校生にもなって小学生レベルの漢字練習をしてたんじゃなく、小学生のときに小学生レベルの漢字を頑張って勉強しただけなんだよ」

 言い終わって俺はため息をついた。

 こんなくだらないことで言い合っていても時間の無駄だ。

「それで、凪がしたかった漢字トークって?」

 俺の問いに、凪は淡々と言った。

「特にないと言ったら嘘になるけど、特別なにかあるかと言われると答えられないんだ。一応、人と人は支え合って人という字ができているとだけ言っておこう」

 どこの先生だよ。

「キミはくさったみかんなんかじゃない。いや、みかんですらない」

 なんか漢字から遠ざかってないか? 俺はあの先生の顔しか浮かばないんだけど。

「3ね~ん、B組~!」

 凪が拳を振り上げると、鈴ちゃんが立ち上がって、

「きんぱ……」

「言わせねーよ?」

 俺は拳を振り上げる凪と鈴ちゃんの手を取ってつっこんだ。

 鈴ちゃんも乗りやすいから困る。普段は清楚なのに、凪がボケると脊髄反射しちゃう子なのだ。リアクションも大きいから凪にはリアクション担当と言われることもある。


 さて。

 凪のおバカな話に付き合わされたあと、鈴ちゃんが恥ずかしそうに咳払いをして、口を開いた。

「そういえば、毎年その年の漢字ってあるじゃないですか。今年の漢字はなんでしょうね?」

 それについて逸美ちゃんが答えようとすると、凪が先に言った。

「なんかさ、ずっとおんなじ漢字を見ているとその漢字が字なのかなんなのか意味わかんなくなってくることってあるよね」

 ズコっと俺と逸美ちゃんと鈴ちゃんがこける。

 鈴ちゃんは抗議の声を上げる。

「先輩っ、なんで違う話をし出すんですか! あたしがせっかく話題を振ったのに」

「いや、わかってるよ。それはゲシュタルト崩壊っていうんだ。知覚における現象で、ひとつのまとまりある構造から全体性が失われることを言うんだってさ」

「そんなこと聞いてません!」

「なんだい、ぼくが説明してやったのに」

 なんで鈴ちゃんのやつ怒ってるんだ? という顔の凪だが、おまえは少し人の話に耳を傾けろ。

 気を取り直して俺は逸美ちゃんに聞いた。

「でさ、さっきの今年の漢字だけど、あれっていつ発表されるのかな? なんか毎年このくらいの時期だったような気もするんだよね」

「そうですよね。あたしも年の瀬によく聞く印象があります」

 俺と鈴ちゃんの疑問に、広才博識なお姉さんが答えてくれる。

「一応、原則としては12月12日、漢字の日の午後に京都の清水寺で発表されるのよ。必ずしもその日に発表とはいかないときもあるけどね」

「さすが逸美ちゃん。よく知ってるね」

「ほんとに物知りですよね」

 感心する俺と鈴ちゃんに続けて凪も腕組してうなずく。

「うむ。まったくだよ。1947年にファウストくんがこの現象をゲシュタルト崩壊って名付けたんだけど、本当にゲシュタルトって感じに文字がくちゃくちゃになって変な模様とかに見えるんだもん、秀逸なネーミングだよ」

 こいつ、まだその話をしてるのか。

 俺は凪のことは無視して逸美ちゃんに問うた。

「考えたらもう午後だよね。今年の漢字も出るんじゃない?」

「ですね! あたしも気になります」

 そんな俺と鈴ちゃんに、逸美ちゃんはにこやかに言った。

「もう出てるわよ。わたしはさっきパソコンで確認しちゃった。ほら、これよ」

 と、逸美ちゃんがこたつの上に載っているノートパソコンを傾けて見せてくれた。

 そこにはもう漢字も出ている。

「なるほど。今年はそうなったか」

「世界情勢とかも加味されていたり、おもしろいですよね」

 すると、逸美ちゃんがポンと手を打った。

「そうだ! わたしたちも今年の漢字を考えてみない? 自分は今年どんな年だったのか、漢字で表すの~」

「おもしろいかも」

「そうですね。あたしも考えてみます」

 鈴ちゃんも考え始めた。

 俺や逸美ちゃんも考えるが、いつも飄々としてやる気のない凪も考える素振りをしている。

 最初に思いついたのは逸美ちゃんだ。

「はい」

「どうぞ」

 俺が促すと、逸美ちゃんは広告の裏面に『楽』と書いたのを見せた。

「わたしは『楽』よ。みんなと過ごせてとっても楽しかったから。うふふ」

「シンプルでいいんじゃない? 本当に、今年はみんなでこうやってよく集まったしね。じゃあ次は俺が言うね」

 俺も広告の裏面に書いた字を見せる。

「これ。『優』。俺は今年も優等生として、優秀な探偵として、一年を過ごしたな~ってさ」

「開くん、とっても頑張ってたもんね。えらいえらい」

 逸美ちゃんに褒められて、えへへと俺は頭をかいた。

 凪はそんな俺を見て、無言で漢字を書いて見せる。

『自』

 俺は小首をかしげた。

「どういうこと?」

「この『自』という漢字に、『惚れ』と書いて『うぬぼれ』と読む」

「なんだとーっ!」

 狭い和室で逃げる凪を追いかける。

「こらまて!」

「無理~」

 そうして二人共疲れたところで座り直す。

 逸美ちゃんが笑顔で俺と凪を見て、

「みんなでわいわいして楽しいわね」

「楽しかねーよ!」

 凪に振り回されていい迷惑だ。

 改めて。

「今度はあたしもいいですか?」

 はい、と鈴ちゃんも描いた字を見せた。

「あたしは『会』です。今年は開さんや逸美さん、いろんな人たちに会えました。これまでの人生の中でも、とても貴重な出会いが多かった一年です」

「そっか。鈴ちゃんとは今年出会ったんだもんね」

「あっという間だったわね~」

 しみじみと今年を振り返っている俺たち三人に、最後に凪が言った。

「よし、それじゃあ最後はぼくだね。ぼくはこれさ」

 ドン、と凪が広告の裏面に書いた漢字を俺たちに見せた。

「ぼくにはこれしかないって思ってさ」

 凪が書いた漢字は、『続』だった。

「これってどういう意味?」

「なにかしら~」

「きっと、なにか意図があるんですよね?」

 俺と逸美ちゃんと鈴ちゃんが考え込んでいると、凪が朗々と言った。

「うむ。むろんさ。今年のような一年を来年も続けられますようにってね」

 ふっと俺は笑った。

「それじゃあ、今年の漢字じゃないよ」

「ふふっ。そうですよ、先輩。来年の漢字じゃないですか」

 鈴ちゃんもふわりと笑った。

 逸美ちゃんは小さく微笑んで、

「でも、とっても凪くんらしいわ」

 俺もうなずく。

「来年も、こうやってみんなで過ごせるといいね」

「ですね」

 と、鈴ちゃんも微笑む。

「凪にしてはいいこと言うな」

 ぽつりと俺がそうつぶやくと、凪はそれを聞き逃さず、俺に向き直って言った。

「当然さ。ぼくと開は来年高校三年生。受験なんかせずにもう一度高校二年生を送れたらどんなにいいかって思ったんだ」

 えっへん、と胸を張る凪。

 俺はそれを見て、凪が『続』と書いた紙を丸めてゴミ箱に捨てた。

「さーて。こんなことしてないで、勉強するか」


おわり

AokiFutaba Works 蒼城双葉のアトリエ

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