放課後は探偵事務所へ
「あ、お兄ちゃん。偶然だね!」
妹の花音が自転車をこいで近寄ってきた。
「花音、いま帰り?」
「うん。お兄ちゃんも学校終わったの?」
「終わったよ」
俺の前まで来た花音は自転車を止めて、ヘルメットを取った。
「じゃあいっしょに帰ろうよ。いっしょに帰ると、きっと楽しいよ」
妹といっしょに帰るだけでなにが楽しんだか。
「ごめん、いまから探偵事務所に行くんだ。花音は先に帰ってて」
そう言うと、花音は頬を膨らませて不満顔になる。
「えー! やだ。今日は月曜日でせっかく部活ないし、帰ってゲームしようよー」
「俺も仕事なんだよ」
探偵という仕事があるから、俺の放課後は毎日忙しいのだ。これも探偵王子と呼ばれる少年探偵の宿命というやつだ。
「仕事って、探偵の?」
「そ」
あからさまに驚いた顔で花音が俺に詰め寄ってきた。
「クラブ活動なのにお金がもらえるの?」
「だからクラブ活動じゃねーよ! ちゃんと働いてるんだ」
なんでうちの家族は俺がしっかり探偵をしていることを信じないんだ。まあ正直、探偵事務所の番をするのがほとんどでお客さんなんて滅多に来ないけど。
花音は諦めたらしく、はぁと小さくため息をついた。
「わかったよ。じゃあ、早く帰ってきてよね! ゲームの準備はしておいてあげるから」
「うん。できるだけ早く帰るよ」
「よし。約束だよ。ばいばい」
「ばいばい」
また自転車をこいで走り出す花音の背中を見送る。
さて。
これで落ち着いて探偵事務所へ行ける。
俺は探偵事務所へ向かって再度歩き出した。
探偵事務所は、だらだら坂を登ったところにある。
周囲は住宅街になっていて、道幅も広くはない。
ようやっと探偵事務所の前まで到着する。
この周辺では他にはない三階建ての建物がそうだ。
三階建ての一階部分は車庫兼物置、二階が事務所、三階がこの探偵事務所の所長の住居になっている。
しかし所長は世界中を忙しく飛び回る名探偵で、普段は事務所にいない。この風変わりな所長についてはあとでタイミングがあったときに話そうと思う。
十三段の階段を上り、俺は二階に来た。
探偵事務所のドアを開ける。
「あ、開くん。おかえり~」
俺を迎えてくれたのは、ゆるくウェーブがかった長い栗色の髪を持つお姉さんだ。
(密逸美 イラスト『 探偵王子カイ 容疑者ナギとワールドフールの螺旋』でも使用)
彼女の名前は、密逸美。
忙しい所長に代わって、この事務所の管理をしている。所長とは親戚でもある。また、豊富な知識で探偵の俺をサポートしてくれる頼れる探偵助手だ。俺は彼女のことを逸美ちゃんと呼んでいる。
「逸美ちゃん、ただいま」
ソファーに座ろうとすると、逸美ちゃんが立ち上がった。
「いまお茶淹れてきてあげるからね。うふふ」
「うん」
立ち上がるとわかるが、逸美ちゃんは女としては背が高い。俺とも目線が変わらないほどだ。おまけに胸も大きくスタイルもいい。柔らかい瞳、すっと通った鼻筋、常に微笑みが浮かぶ口元、これらの要素を統合すると、わかりやすく言えばマンガによく出てくる近所の綺麗なお姉さんって感じだろうか。
バッグを下ろしてソファーに腰掛けた。マジメな俺はとりあえずバッグの中から英単語帳を取り出してテーブルの上に置き、手を組んでぐっと腕を前方に伸ばした。学校では優等生を演じている俺は、ここに来てやっとくつろげる気分になる。
「は~い。どうぞ」
逸美ちゃんがお茶を出してくれた。
「ありがとう」
しかし、置かれたマグカップの位置が俺と逸美ちゃんで逆だ。相手が逸美ちゃんなら俺は気にしないけど、一応交換しておいてあげる。
その様子を見て、なにを勘違いしたのか逸美ちゃんはうふふと笑った。
「交換しても、わたしのもいま淹れてきたばかりだから熱いわよ~。開くんったらこっそり可愛いことして」
「いや、自分のマグカップに取り換えただけだよ」
「やだ~。間違えてた?」
「うん」
「うそ~」
嘘じゃないからちゃんと見ろ。見ればわかる。
そんなどうでもいい話をしたあと、俺は逸美ちゃんとお茶を飲みながら、今朝うちに凪が来たというこれまたどうでもいいことを話した。
「あら。そうだったの。きっと凪くん、相棒の開くんの顔が見たかったのね。うふ」
「やめてよ」
「わたしに言われても~。凪くんが開くんの顔を見たいって思ってるんだし……」
思ってない思ってない。
「そっちのやめてじゃないって。凪が俺の顔を見たいとかいう怪談みたいにゾッとする冗談をだよ」
「なーんだ。そうなのね」
微妙にわかってなさげな相槌を打つ逸美ちゃん。
俺は続けて、
「凪ってばさ、うちの妹やお父さんお母さんに本当の家族みたいに受け入れられてるから困るよ。あいつがいてもみんな当然の顔してるんだもん」
誰に対してもフレンドリーなうちの父なんか凪にテストの点数を聞いたり馴れ馴れしく呼び捨てにするくらいだし。
今朝のことを思い出してため息をつく俺に、逸美ちゃんがキラキラした瞳で言った。
「いいな~、凪くん。わたしだって開くんのお姉ちゃんだし、できることなら朝から開くんのお世話とかしたいわぁ」
「やめ……」
……なくてもいい。それは嫌じゃない。
朝から逸美ちゃんに起こしてもらえるとか、なんだか新婚さんみたいで悪くないかもしれない。全然悪くない。
だけど嫌なのは、弟扱いされることだ。
逸美ちゃんと俺は幼なじみで、逸美ちゃんは俺のことを本当の弟みたいに溺愛するお姉ちゃんなのだ。ただし、いつまでもただの弟ではいたくない俺としては、ちょっと複雑な少年心がある。
そんなことも気にしない世話好きのお姉ちゃんは楽しそうに言う。
「なんだか大家族みたいでいいわね。おばあちゃん、お父さん、お母さん、わたし、開くん、凪くん、花音ちゃん。賑やかになりそう~」
それは賑やかレベルじゃないな。ていうか、さらりとそこに凪を入れるのはやめてほしい。どうも逸美ちゃんは、凪を俺の相棒で大親友という凪の戯言を真に受け、誤った認識をしているようなのだ。
なにを隠そう、隠さなくても丸出しなのでわかった人も多数いたろうが、逸美ちゃんも相当に天然さんなのである。
「あら? 開くん、今日はちょっと疲れてる?」
俺のちょっとした変化にも気づいてくれる逸美ちゃん。
「あんまり疲れてるとか見せないようにしようとしてたんだけど、よくわかったね」
「お姉ちゃんは、開くんのことならなんでもお見通しなんだから」
さすがに付き合いが長いだけはあるな。
「わたしにはなんでも言って? 疲れてるときは甘えてもいいんだもん」
いくらお客さんが滅多に来ないとはいえ、ここで甘えるのはちょっとできない。なんか恥ずかしいし。でも、言うだけ言わせてもらおう。
「実はさ、今朝学校へ行くとき、いつも通る道が工事中だったんだよ。だから遠回りしちゃってさ。おかげでちょっと遅刻しちゃって」
「あら~」
と、逸美ちゃんが残念そうにつぶやく。
「幸い、担任の先生がまだ来てなかったから遅刻扱いはされなかったんだけど、大変だったんだ」
俺が疲れた原因を吐露すると、逸美ちゃんが俺の頭をなでた。
「大変だったわね。遅刻扱いされなかったのも、きっと開くんの普段の行いがいいからよ」
「そ、そうかな?」
と、チラッと逸美ちゃんを見上げる。
「うん。お姉ちゃんはそう思うな」
なんだか逸美ちゃんに話してスッキリしたかも。逸美ちゃんの言う通り、きっといつも変な家族や友達や知り合いたちを相手にしてやっているという、普段の行いの成果だ。
「そういえば、凪のやつ、来るって言ってたのにまだ来てないな」
あのお気楽マイペースな自由人はいつも来る時間なんてバラバラだから気にしてもしょうがないけど、放課後とは言っていた。
逸美ちゃんはにこにこしながら立ち上がる。
「開くん、それならこっそりお饅頭食べちゃおう? それでね、お願いがあるんだけど、お饅頭は三つだけあるからわたしが二つ食べてもいい?? 少年探偵団のみんなにはナイショで」
と、逸美ちゃんがウインクする。
「逸美ちゃんってば食いしん坊なんだから。うん、逸美ちゃんが二つでいいよ」
「やったー。開くん優しい。さすが、わたしの可愛い王子様だわ。うふふ。持ってくるわね」
少年探偵団のメンバーについてはあとで説明するけど、現在メンバーは六人。うちの三人は俺と逸美ちゃんと凪である。残りは男子高校生が一人、女子中学生が一人、女子小学生が一人という構成だ。
まるで泥棒みたいにこそこそとお饅頭を手にホクホクとした笑顔の逸美ちゃんが戻ってくると――
急に、探偵事務所のドアが開いた。
そこには、英国少年のような品のあるくせ毛の少年・凪がいた。
「やっほ~」
「凪か」
「凪くん!?」
逸美ちゃんは驚いて、転んでしまった。転んだ先に俺がいたから逸美ちゃんを抱きとめられたけど、正直に言えば抱きとめたというより逸美ちゃんの胸に顔面をつぶされたように受け止めた形になる。
「いや~ん、開くんごめんね。痛くなかった?」
そのまま胸に抱き寄せて俺の頭をなでる逸美ちゃん。
これは、どうしていいか困る。
「たんこぶもできてないし、大丈夫みたいね。開くん、ケガはない?」
「うん。大丈夫だから」
ちょっと頭がクラクラするくらいだ。
凪はそんな俺と逸美ちゃんを見て、呆れたようにつぶやく。
「昼間からラブコメのアニメみたいなことしないでおくれよ。ぼくもいるんだぜ?」
「おまえが来たからだろ!」
と、俺はつっこむ。
凪はどこからかメモ帳を取り出して、スラスラとメモを取る。
「ええと、なになに? 開はぼくが来たらイチャイチャしようとするようだ。どうやら、人に見られるのが好きらしい。これは、露出狂の適正があるかもしれない、っと」
「そういう意味で言ったんじゃねーやい!」
前にも言ったけど、こいつはこれでも情報屋なのだ。しかしこんな間違った情報までメモするし、信頼はできないように思う。
なんだか凪と逸美ちゃんの相手を同時にしてたら、ちょっと疲れたな。
凪は、探偵事務所の壁――はた目にはただの壁にしか見えない壁に、手をかけた。
そして、その壁を横にスライドさせた。
実は、壁が襖になっているのだ。
襖の先には和室がある。
広さは応接間より狭いけど、十畳はあると思う。
少年探偵団のメンバーやたまに遊びに来る俺の妹の花音、その他お客さんではない知り合いがそこでくつろぐ憩いの場になっていた。
凪はさっそく和室に上がってこたつに入り、ごろんと横になる。
「いや~。日本人はやっぱり畳ですな~」
「凪くんは和室が好きよね~」
「おう。まあね」
「お茶持ってきてあげるわね」
「お構いなく~。お饅頭とか、そういったお菓子はなければいいからね。無理に出さなくてもさ。ぼくには気を遣わないでよ」
「も、もちろんあるわよ~? いっしょに出してあげるからね。別に、こっそり開くんと食べようとか思ってなかったからね」
パタパタと逸美ちゃんは給湯室に逃げていった。
途中、「やだ~。バレてる~」とかつぶやいていたが、凪は本当にいつのまにここにお饅頭があるなんて情報を仕入れたのやら。
凪はそんな慌てた様子の逸美ちゃんには興味なさげにぼそりと言った。
「お饅頭があるのか~。ちょうど食べたいと思ってたときに出してもらえるなんて、ぼくって運がいいなぁ~」
まるで全部知っていたかのようなタイミングと言葉だったくせに、よく言うよ。
「ぼくの背後には、神様がついているのかもしれない」
俺には悪魔が乗り移っているように見える。
さて。
どうせお客さんは来ないだろうし、俺も和室に上がった。ついでに俺と逸美ちゃんのマグカップも持ってだ。マグカップはこたつの上に置いた。
「そういえば凪、今朝のことなんだけど」
凪は手をひらひらさせた。
「いいよ」
「は?」
「だから、お礼はいいって。ぼくたち相棒であり大親友だろ?」
俺は怒鳴りたい気持ちを押さえて、
「おまえ、お礼を言われることなんてひとつでもしたか? 迷惑ばっかりかけて。第一、俺とおまえは相棒でも大親友でもない」
凪はまたメモ帳を取り出して、声に出しながらさらさらと文字を書いてゆく。
「開は今日もツンデレだ。素直になれない男心に、ぼくはついていけなかった。まる」
だー! もうこいつに構ってたら日が暮れる。
ついていけないのはこっちだ。
逸美ちゃんが凪の緑茶を持ってきた。
「はい。お饅頭もあるからね」
「これはどうも、逸美さん。なんだか催促したみたいで悪いね」
「みたい、じゃなくて催促してただろ」
俺は凪のほうは見ずにつっこんだ。
「ところで、凪くんは今朝どうして開くんのおうちに行ったの?」
気になってたことを、俺の代わりに逸美ちゃんが聞いてくれた。
凪はさらりと答える。
「あー。なんだっけ」
「どうせ、意味もなくうちの朝ごはんを食べに来ただけだろ?」
俺がそう聞くと、凪はかぶりを振った。
「いや、違うんだ。目的はあったはず。キミになにか言いたかったことが……」
目的? なにか大事なことだろうか。
凪の目的なんて知らない逸美ちゃんが必死に思い出そうとしているのはさておき。
ポン、と凪は右の拳と左の手のひらで音を鳴らして言った。
「思い出した。わざわざ遠回りまでして開のうちまで行ったのに、ぼくとしたことがガッカリだったよ」
「それ言うならうっかりだ。で? 結局、俺に言いたかったことって?」
ちょっと鼻につく仕草で凪は顎に手をやった。
「情報屋のぼくだからこそいち早く仕入れた情報さ。今朝から、キミが学校へ行くいつものルートで工事があるから、別のルートで行ったほうがいいよ。家を出るのも普段より五分は早いほうがいい」
ズコーと俺はこける。
「そういうことはちゃんと朝のうちに言えー!」
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