家族に遠慮はいらない
今日も探偵事務所には依頼が来なかった。
すっかり日も暮れてきたことだし、俺はそろそろ帰ることにした。
「逸美ちゃん、今日もお疲れさま」
「開くんもお疲れさま~。もう帰るのね」
「うん。逸美ちゃんは?」
「まだ凪くんがいるし、凪くんが帰ったらわたしも帰ろうかしら」
まったく、凪のやつ。
「おい、凪。逸美ちゃんもこう言ってるんだし、早く帰れよ。むしろ、三人そろって探偵事務所を出ない?」
けれども凪は、探偵事務所にあるノートパソコンをカタカタといじって画面から目を離さない。
「ごめんよ。悪いんだけど、先日の事件についての情報収集をしないといけないからあとほんのちょっとだけ待ってくれ」
こいつのあとほんのちょっとはいつまでかかるかわかったもんじゃない。しかしあの凪がちゃんと仕事してるなんて珍しい。
そういうことなら、俺は一足先に帰らせてもらうか。家では花音がゲームの準備をして待っているし、早く帰ってきてくれと言われていたので仕方ない。
「わかったよ。好きにしろ」
俺は逸美ちゃんに向き直って、小さく手を振った。
「じゃあまた明日ね」
「うん。ばいばい」
逸美ちゃんが手を振ってくれて、俺は探偵事務所を出た。
家に着くと、お茶の間のテレビでもうゲームをやっていた。
「ただいまー」
「おかえりー」
俺は自分の部屋にバッグを置きに行こうとすると、花音が続けて言った。
「開ちゃん! もうゲームやってるから早くー」
「わかったよ。バッグ置いて手洗いうがいしてからね」
と、俺も返す。
「急いで」
「手洗いとかいい子ちゃんみたいなことはいいからさ」
「よくない。俺はそういうのはちゃんとしないとイヤなタチなんだ。凪もせかさないで待ってろよ」
……。
俺は超特急で引き返してお茶の間に顔を出した。
「凪! なんでおまえがいるんだ!」
ビシッと凪を指差す。
が、凪はテレビ画面から目を離さずコントローラーも握ったまま離さず言った。
「人を指差すとか失礼だなぁ」
「勝手に人んちに上がる込むほうがよっぽど失礼だ!」
「いいじゃないの。凪ちゃんはうちの子みたいなもんなんだから」
急に母登場。
「よくないよ。それに全然うちの子じゃないよ」
はぁ、と俺はため息をついた。
「わかったよ。いいから早くいっしょにゲームしようぜ」
と、凪が呆れたように言った。
「それは俺のセリフだ!」
仕方ない。俺はバッグを自分の部屋に置いてきて、洗面所で手洗いうがいをしっかりしてお茶の間に来た。
ゲームはなかなかに盛り上がっているようだ。
レースゲームで、現在は凪と花音がふたりプレイしている。
俺はふたりのレースが終わるのを見ていた。
やたらゲームがうまい凪がコンピュータを押さえてぶっちぎりの一位、完全に独走状態。このレースゲームの腕は俺より落ちる花音はコンピュータたちといい勝負をしている。
「ところでさ、凪はいつ帰るの?」
「開、それが来たばかりの友達に向かって言うセリフかい?」
「そもそも、俺よりあとに探偵事務所を出たはずのおまえがなんでもう仕事を終えてうちにいるんだよ」
「ぼくは急いできたんだ。当然じゃないか」
どこかにすごい近道とかあるんだろうか。凪の場合、知らない人の家を突っ切って塀の上にまでよじ登るなんてこと、平気でしそうで困る。
凪はコントローラーを置いた。
「終わった~。またぼくの勝ち~」
「凪ちゃんはや~い! もっとゆっくり走ってよー」
「ぼくは普通にやってるだけだから。花音ちゃんに合わせて走るとNPCにぶつかられるから嫌なんだ」
そんなことをしゃべっているうちに、花音もやっとゴールした。
俺はコントローラーを握って、今度は三人でプレイする。
「よし、負けないぞ!」
「あたしだって!」
気合満々の俺と花音に比べて、凪は無言でお茶をすすってのんきなものだ。
そして、いざ始まったレース。
俺と花音が苦戦する中、凪はさらりと一位でゴールした。
「うわー! また負けたー。凪ちゃん強過ぎるよー」
ぐぬぬ、と悔しそうな顔をする花音。
「ほんと凪は無駄に強いよな」
ぽつりと俺が漏らすと、凪は腰に手を当てて、
「えっへん。ぼくはゲーム全般得意だからね」
こいつはゲームだけじゃなく、コンピュータ関係にも強い。なぜかうちによくいるせいか、うちの家族はテレビとかDVDとかパソコンとか、うちの機械関係のものは大抵凪になんとかしてもらおうとする傾向がある。
昔、お父さんがパソコンをフリーズさせたとき――
「大変なんだ、パソコンが固まった!」
慌ててやってきた父にみんながなに言ってんだろうと顔を向けるが、父はすぐにきびすを返して、
「なんだよ。凪はいないのか。どこほっつき歩いてんだか」
と、ぼやいていたこともあったくらいだ。
仕方なく俺がパソコンを見に行って、
「お父さん。俺に見せてよ」
「いいって。おまえじゃどうにもできないだろ?」
「俺は理系だよ? 任せてよ」
しかし結局パソコンの状態を悪化させるだけで、凪が父に招集されて直したという苦い思い出もある。
とまあ。
そんな昔話は置いといて、ゲームも何度かやって、いい時間になってきた。
お母さんがお茶の間に来て言った。
「みんな~。ご飯よ~」
「やったー! あたしお腹空いた」
花音がバンザイするように手を挙げると、凪も顔をほころばせ、
「ぼくもー」
「それじゃあ三人共、運んでちょうだい」
と、母が言った。
「いや、ちょっと待って。凪はうちの子じゃないんだから、家に帰れよ」
「なにさ。自分ばっかりたくさん食べようって腹積もりだな?」
凪の反論に、母も乗せられる。
「そうなの? まあ、なんてこと言うの、開ちゃんは」
「ちげーよ。凪は自分のうちに帰れって、ただそう言ってんだ。家の人も心配してるんじゃないのか?」
これにはさすがに母もわがままを言えないようだ。無頓着な妹だけは、あっけらかんと俺に小声で言う。
「凪ちゃんもいると楽しいよ。開ちゃんだって楽しそうにしてたし」
「してない。いいから凪は帰れ」
腕組して凪にそう言いつけると、凪はやれやれと手を広げて、
「わかったよ。相棒の開に心配はかけさせられないし、今日のところは帰るさ」
と帰っていった。
「気をつけてねー」
「凪ちゃん、またおいでね~」
「すぐにでもいいからねー!」
「そうよ~」
花音と母の言葉に、凪は背を向けたまま片手を上げた。
ふう。やっと帰ったか。これでゆっくりできる。
明智家の夕食は、いつも父を待たずに食べる。
父の帰りが遅いことが多く、たまにみんながまだ夕食を食べている夜の七時台に帰ってくることもあるけど、七時十分現在、父はまだ帰ってきていない。
俺が時計からまたお皿に視線を戻したときだった。
玄関が開く音がした。
どうやらお父さんが帰ってきたらしい。
「ただいまー」
お父さんの明るい声が響き渡る。
お茶の間にきたお父さんに、俺は「おかえり」と言った。
が。
俺は一瞬だけ固まった。
そして言った。
「凪、なんでおまえがいるんだ!」
なんと、さっき帰ったはずの凪がお父さんといっしょにいたからだ。すぐにでもいいどころか一瞬じゃないか。
これにはお父さんから愉快そうに説明が入る。
「いやー。なんか、帰り際ちょうど凪に出くわしてな。ほっつき歩いてないでちゃんと家に帰れって言って連れてきたんだ」
連れてきちゃダメだろ。お父さん、そいつは自分の家に帰ろうとしてたんだよ。
「なんだよ、お父さんのせいかよ」
俺が頭を抱える横で、花音とお母さんはうれしそうにバンザイした。
「わーい! 凪ちゃんもお父さんも早くごはん食べようよ!」
「これでこそ明智家の食卓ね」
母よ、ひとり明智家じゃないのがいるぞ。そしておばあちゃんはテレビに集中してむしゃむしゃご飯を食べている。このおばあちゃん、凪のことは心底どうでもいいのかテレビを見て笑っている。
「オレはざぶんと入ってくるからよ」
お父さんはいつも帰ってすぐにお風呂に入らないと気が済まない性分なのである。だから夜でも夕方でも、俺がお風呂に入っているときにお父さんが帰ってくると、構わず俺のバスタイムに乱入して烏の行水を決めるのだ。
仕方なく諦めて凪もいっしょにご飯を食べていると、お父さんもお風呂から上がってお茶の間にきた。
「凪、ちょっと寄れ」
「うん。ちょっとだけね。きついんだから」
「おう。サンキュー」
凪が父の隣の席でなぜか偉そうに父よりスペースを取っても、うちの父は心が広いので気にしない。
余計なのもひとりいるけどやっとみんなそろって食卓を囲んでいると、花音が急に声を上げた。
「あっ」
「どうした?」
俺が聞くと、花音は苦い顔で力なく答える。
「宿題があったの忘れてた」
「花音ちゃん、宿題はやっといたほうがいいわよ」
宿題は義務としてやらせるべきだな。うちの母は勉強に関してはガミガミ言わない人だけど、それは俺の頭がよかったことによる部分が大きい。
お父さんは焼酎のお湯割りを呑みながら言った。
「そうだぞ、花音。凪も成績下がったっていうし、二人共ちゃんと開に見てもらえ」
おい。凪の面倒を見る義理は俺にはないぞ。
「そういうことだから、お願いっ! お兄ちゃんだけが頼りなの」
花音はお父さんにはよく甘え、娘に弱いうちの父ははいはい頼みを聞いちゃうんだけど、俺はそう簡単にはいかない。
「お願い、開~」
鬱陶しくすり寄ってきた凪にはアイアンクローだけして、俺は花音に向き直る。
「花音、まずは自分の力でやってみろよ。もしそれで本当にダメだったら、やり方を教えてやる」
「わかった」
花音はタタタと宿題を持ってきて、座り直した。
そして、なにかに納得するようにふんふん言いながら宿題を眺めて、俺を見る。
「やったけどわからなかった。教えて、カッコイイお兄ちゃん」
「ダメだ。そもそも、ぼんやり眺めるのをやったとは言わないんだ」
こいつは昔からおバカではあったけど小学生のときは結構勉強もできたのに、中学生になってからはただの勉強もできないおバカになってしまった。
それをなんとかしたいという思いはあるものの、現状では宿題を自力でやらせるのが俺には精一杯だ。
俺はため息をついた。
「しょうがないから、やり方を教える。自分で問題は解くんだぞ」
「さすがお兄ちゃん!」
ということで、俺と花音は夕食を切り上げるとお茶の間で勉強を始めた。
「なるほど、うんうん、やっぱりお兄ちゃんは教えるのうまいよね。学校の先生とかにもなれちゃうよ」
「まあ、なれちゃうかもね」
すぐにおだててくるんだから、この妹は。ふふっ。まったく困ったやつだ。
「開~。ぼくの数学の問題なんだけどさ」
と、凪が俺に問題集を差し出す。
「おまえは自分でやれ。ていうか、帰れよ。家の人はほんとにいいのかよ」
「いいんだよ。もう連絡はしたし」
「ああそうかよ。でも、食べたらすぐに帰れよ!? 鬱陶しいんだよ」
こいつがいたんじゃ花音の勉強も見れないし、俺が風呂に入ることもできない。
しかし、花音が俺に囁いた。
「お兄ちゃん、それはさすがに言い過ぎじゃ……」
「そうよ。凪ちゃん、うちにはいつまででもいていいんだからね」
「そうだぞ。凪」
うちの家族はそう言ったけど、凪は自分が食べた食器を台所に運んで、お父さんとお母さんに小さく会釈した。
「ごちそうさまでした。ぼくはこれで」
「凪ちゃん?」
お母さんが引き留めようとするが、凪はもう家を出て行ってしまった。
花音が俺を肘で小突いて、
「ちょっと、凪ちゃん帰っちゃったよ? 謝ったほうがいいって」
いや、でも……。
「い、いいんだよ。あんなやつ」
俺は決まりが悪くなってお風呂に入った。
お風呂につかりながら、ちょっと考える。
「言い過ぎちゃったかな……? 明日、凪にちゃんと謝ろう」
今日電話する勇気はなかったけど、明日になったら気持ちも晴れてるだろう。
翌朝。
俺が起床すると、お茶の間では花音が先に朝ごはんを食べていた。
「おはよう」
「お兄ちゃん、おはよう」
いつも元気な花音は今日も朝から挨拶が明るい。
俺が花音の隣に座ると、お腹をさすりながら凪がお茶の間に入ってきた。
「ふぃ~。今日も朝から快調、快調。あ、開おはよう」
「ああ、おはよう」
挨拶して、俺は味噌汁をすすった。
「って、なんでまたいるんだよ!」
「グダグダ言ってないで早く食べなきゃだよ? 遅刻するぜ、相棒」
くーっ! なんだこいつは。
「昨日はあんないそいそと帰ったのにどうして今朝も来てるんだっ」
「え? 昨日? ああ、昨日は観たいアニメがあって、どうしても間に合いたかったから急いでたんだ。それがどうかした?」
なんだよ、そんなことなら心配するんじゃなかった。
俺は肩の力が抜けた。
「凪、今後おまえには気を遣うのやめるよ」
「なんだい、キミがぼくに気を遣ったことなんてないくせに。ぼくには遠慮するなって」
と、凪は平然と言ってのける。
お父さんはひげをそってさっぱりしてきた顔で凪に続けた。
「そうだぞ、開。家族に気を遣う必要はないんだ。お互い遠慮するな! はっはっは」
だから凪は俺たちの家族じゃねーよ。
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