相棒との最初の事件

「こんにちは」

 おどろおどろしく登場したのは、二十代後半くらいの女性だった。

 このお姉さん、こういうところに来るのは初めてだろうか。事務所内をそわそわと見回して、それから俺たちに目を向けた。

「すみません。依頼があって来たんですけれど、お二人は……」

「僕たち二人が、探偵事務所所長の鳴沢千秋に代わり、ご依頼をお聞きします」

「そ、そうですか」

 不安そうなお姉さん。

 そう思われるのも仕方ない。

 俺と逸美ちゃんは中学二年生と高校一年生。

 まだまだ子供な俺たちが話を聞くと言われても、信頼性に欠けるだろう。

 だが、こういうとき、俺は探偵事務所の探偵らしく推理を披露して信用を得ることにしている。

 例えば。

「ここまで坂道を歩いて来てお疲れでしょうし、どうぞお座りください」

「は、はい」

「合わない靴を履かれると、この登り坂はしんどいですよね」

「ええ」

「それも、昼食を取るのも遅かったから余計にね」

「あ、あの。どうしてそんなことまでわかるんですか?」

 不思議そうに、怪訝な瞳で俺を見るお姉さん。

 俺は答える。

「僕は探偵ですから。見れば色んなことがわかるんです。うっすらと額に浮かんだ汗と、新品のように綺麗なパンプス。そしてそれが当たって赤くなったかかと。そこから、ここまで来るのにあのゆるやかな上り坂を歩いて来たことと、履き慣れていない新しい靴を履いてきたことがわかります。また、お食事が遅かったのは、お姉さんの口紅です」

「口紅ですか?」

「はい。ついさっき塗り直したように綺麗でしたので」

「なるほど。でも、お食事を家で済ませて、さっきしたくをして家を出てきたってことは考えられませんか?」

 ひとつうなずき、俺は言った。

「いえ。その可能性は簡単に否定できます」

「どうしてか、聞いてもいいですか?」

「理由は、お姉さんの恰好です。この時期、朝は涼しいけどこの時間は比較的暖かいですよね。この時間だけ用事があって外に出たなら、もう少し薄着をするけど、お姉さんはスプリングコートを着ている。つまり、朝家を出たと考えられるんです」

「……す、すごいです。全部当たっています」

 ホッ。よかった、合っていたみたいだ。

「よくそんなところまで見れましたね」

「探偵ですから。これで、お話をお聞きするくらいの信頼は得られたでしょうか」

「もちろんです」

 逸美ちゃんがお茶を出して、それを飲むお姉さん。

「あ、申し遅れました。あたし、日野といいます」

 そう言ってお辞儀する日野さん。

 逸美ちゃんは俺たち二人分の自己紹介する。

「わたしは密逸美です。高校一年生です。この探偵事務所では助手をしています。そして、こっちが明智開です。この子が所長の鳴沢に代わって探偵役をすることもあるんですよ」

「明智開です。普段は二人揃って事務所の番をしてるだけですけどね」

 と、苦笑する。

 日野さんは俺に合わせて微笑み、そして、口を開いた。

「では、本題に入らせてもらってもいいですか?」

「どうぞ」

 俺が手をつけて促す。

 居住まいを正して、日野さんは言った。

「今日、うちの宝石店に宝石強盗が入るんです」

 宝石強盗?

「え? 今日ってことは、予告状が来たってことですか?」

「それじゃあまるで怪盗ね」

 俺と逸美ちゃんの言葉に、日野さんは首を横に振った。

「違うんです。宝石強盗団『テケテケ』は、最近この辺りで強盗をしている強盗団なんですが、あたしが調べたところでは、今日うちに強盗に入るんです」

「宝石強盗団『テケテケ』? 逸美ちゃん、知ってる?」

 物知りな逸美ちゃんが教えてくれる。

「テケテケっていうのは、最近巷で有名な宝石強盗団なの。人数は五人以上、リーダーがオカマってことだけがわかっているわ」

「そうなんだ……」

 オカマか。得体が知れない分ちょっと怖いな。

 俺は顔を上げて日野さんに聞く。

「でも、どうして今日テケテケが来るってわかるんですか?」

「それはですね、これまでの傾向から、順番的に次がうちになるからです」

「というと?」

「最初に事件が発生したのは、ひと月前の金曜日。その次が一週間後、さらにその次も一週間後だったんです。また、ターゲットになっている場所は、いずれもこの近辺で、だんだん南に下っています。北から順番にいくと、次がうちになるんです」

 ふむ。よくまとまった話だった。

「なるほど。逸美ちゃん、過去の事件発生リスト出せる?」

「うん。待ってて」

 カタカタっとノートパソコンのキーボードを叩いて、逸美ちゃんはすぐに事件があった場所の地図を出してくれた。

 俺はその画面を見る。

「ええと、一件目がここね。そして、二件目、三件目と続くわ。すべて金曜日に起きていることが考えると、今日が実行日。そうなると、前回から一番近くて南にあるのは、ジュエリーSNOW」

「日野さんの働いている宝石店がジュエリーSNOWですか?」

「はい」

 首肯する日野さん。

 すべて理に適っている。うん、間違いないだろう。選択肢が他にない以上、この情報の信頼度は極めて高い。

 逸美ちゃんはそれからも、これまで事件があった宝石店の外観の写真を順繰りに見せてくれた。

「どうかしら?」

「そうだね。これまでのお店との大きな相違点もないし、SNOWが外される理由もない。これは今日すぐにでもお店に行って見張っておきたいね」

「そうね。千秋さんはいないけど大丈夫?」

 ここで逸美ちゃんの言う千秋さんというのは、所長のことだ。逸美ちゃんとは親戚らしいのだけど、いとこなのかはとこなのか叔父なのか、詳しくは逸美ちゃん本人も知らないらしい。

「今日は帰って来ないんだよね」

「うん。明日になると思う。事件が長引いたり別件が入ったりすれば明後日以降になるかもしれないわ」

「じゃあ、やっぱり俺たちだけか」

 まだ中学二年生の俺と高校一年生の逸美ちゃんだけっていうのは、依頼人からしたら心もとないというか、それ以前にお話にならないのかもしれないが――

「日野さん、今日現場まで行って対応できるのは僕たち二人だけですけど、それでもいいですか?」

 日野さんの言葉を待つ前に、逸美ちゃんが俺の肩に両手を置いて誇らしげに言う。

「ご安心ください。所長の鳴沢は世界一の名探偵ですが、うちの開くんだって探偵王子と呼ばれるほどの優秀な子なんです! 期待に添えると思いますよ」

「ちょっと、逸美ちゃん! 俺が探偵王子ってことは基本的には秘密なんだから」

「あら~。いいじゃない。依頼人さんの信用を得るためよ」

「ていうか、なんか、その王子って呼ばれ方がちょっと恥ずかしいんだよ!」

「可愛いのに~。うふっ」

「もう」

 逸美ちゃんにそう言われるのも恥ずかしいのでぷいっと顔を背けると、日野さんがくすっと笑った。

「やっぱり探偵王子でしたか。綺麗な顔立ちだし、推理力もすごいからそうかなって思ってました」

 あれ? バレてた?

「それに、あたしは明智さんの推理をさっき聞いたときから、信用してました。お二人になら任せられます。ぜひよろしくお願いします」

 やったー。よかった。

「はい! こちらこそよろしくお願いします!」

 ぺこりと頭を下げる。

「よろしくお願いします。わたしたちで宝石店はお守りします」

 グッと拳を握り、逸美ちゃんもやる気満々だ。

「それにしても、日野さん。このことは警察には言ったんですか?」

 警察も協力してくれたら事件は簡単に解決できる。だが、俺のこの質問には、日野さんも眉を曇らせた。

「ええ、言いました。しかし、相手にしてもらえなくて。そんなの憶測に過ぎない、事件が起こってからでないとこちらも対応できない、とのことでした」

「そうですか。確かに、確実な証拠がないと警察側も動けないんですよね」

「なので、この探偵事務所を頼ってきたわけです」

「大丈夫です。開くんはここぞというときの推理力はすごいですから」

 逸美ちゃんの言葉に、俺は謙遜して、

「まあ、今回は推理より現場での動きが重要になる事件ですけどね」

「明智さんの洞察力なら、現場での活躍も期待できます。あの、明智さん。事件は夜の八時以降に起きています。なので、まだ時間に余裕はありますが、どうしましょうか? あたしはいまからお店に戻りますけど」

 日野さんに聞かれて、俺は考える。強盗団『テケテケ』について調べるのもありだけど、これ以上いま調べられるほどの情報収集力もないからな。

「じゃあ、いまから向かいましょう」

「はい。え?」

 返事をして、日野さんは困った顔をする。

「どうしたんですか? 自分も行くのに賛成ですけど」

「わたしも賛成ですよ」

 俺と逸美ちゃんがそう言うが、日野さんは俺たちの方は見ずに、横を向いている。

「あの、いまから来てくださるのはいいんですけど、そちらの男の子は……」

 ん?

 ふっと俺と逸美ちゃんの頭を日野さんの見ている方へ向く。

「凪! おまえ出てくるなって言っただろ?」

「いいじゃないか。ぼくたち相棒なんだからさ」

 誰がだよ! と言おうとしたとき、日野さんが目を輝かせる。

「探偵王子に相棒さんがいらっしゃったんですね! 一層心強いです」

「いや~。そこまで言われる筋違いはないですよ」

 と、凪が照れて頭をかく。

「それを言うなら、筋合いはない、だろ? ていうか、筋合いがないってのも文脈的にも間違ってるし」

「開は細かいな。繊細でおデリケートなんだから」

「その言葉の使い方も違うよ。細かいことを繊細とは言わないんだ。つーか、おまえのことは頼まれたって連れて行かないからな!」

 俺と凪が言い合っていると、逸美ちゃんがのんきにニコニコ微笑みながら、

「いいじゃな~い。相棒くんがいると心強いわ」

「そうですよ。ぜひ一緒に来てください!」

「日野さんまで……」

 凪の言葉を真に受ける逸美ちゃんと日野さん。依頼人の日野さんに頼まれたら断れないじゃないか。はあ。俺はため息をつく。

「わかったよ。凪も来ていいよ」

「頼まれても連れていかないって言ってたのに、案外あっさりだね。まあ、そうため息なんてつくな。ぼくがいるじゃないか」

 俺は凪を見ることなく、誰にともなくつぶやく。

「おまえがいるから不安なんだよ」

 日野さんの案内で、凪も一緒に俺と逸美ちゃんはジュエリーSNOWに来た。

 宝石店にしては割と広いが、特別変わったところはないお店だ。ただ、二階建てになっているのはポイントだろう。

「でも、早く来てもらってよかったですね」

「そうですね」

 と、俺は時計を見る。

 現在の時間、夕方の六時。

 早ければあと二時間で強盗団『テケテケ』がやってくる時間だ。

「では、夕食は早めに取りましょう。ぼくは出前でもなんでも結構なので、お寿司とかでも大丈夫です」

 また凪が調子のいいこと言っている。

 俺は無視して、日野さんに聞いた。

「すみません、強盗団がやってくる八時って、お店の方はもう閉まってますか?」

「はい。八時まで営業ですので、ちょうど閉まる時間です。これまでも強盗団がやってくるのはいつもお店が閉まったあとだということなので、八時から警戒するべきかと」

「そのようですね」

「そういうことなので、八時以降はバタバタしてしまうかもしれませんし、いまのうちの夕食にしますか? お寿司でもなんでもご馳走させていただきますよ。ただ、お安いお店になりますが」

「いや、そんな悪いですよ」

 断ろうとしたが、凪が俺の前に入って、

「そこまで言われたらいただきましょう。ここで断ったら男がクリスマス」

「それを言うなら男が廃ります、だろ? 自分でねだっておいてそこまで言われたらもあるか」

 つっこむ俺と能天気な凪を見て、日野さんはフフッと笑った。

「本当によいコンビのようですね」

「違いますよ、誰がこんなやつ」

 否定する俺に、凪は意外なことにうなずいた。

「そうです。コンビは相方。ぼくら相棒は一心同体のボディーです」

「それもちょっと違う! ボディーじゃなくてバディーな! 俺とおまえは一心同体でもねーけど」

 逸美ちゃんと日野さんが楽しそうに笑った。

 ホント俺は凪の考えてることがわからないよ。

 まあ、まるで緊張感がない凪のおかげか、日野さんのこわばった表情も柔らいだみたいだし、そこは評価してやらないでもないか。

 ということで、俺たちはお寿司の出前を取り、お店の控室で食事を取らせてもらうことになった。

「お安くても美味しいですな」

 凪がのほほんとお茶をすすりながら言う。

「失礼だろ! 普通に美味しいお寿司じゃないか」

「いや、このお茶の話ね」

「なんだ、そっちか。……て、それも失礼だ」

 俺と凪のやり取りを聞いて日野さんはくすっと笑い、お茶の筒を見せた。

「実はこのお茶、いただき物なんですけど、すごく高級なんですよ」

「ほう。このコクと深み、だと思った」

「さっき安物って言ってたのはどこのどいつだ!」

 また、俺は凪にバシッとつっこむ。

 逸美ちゃんもまったりお茶を飲み遠慮なくお寿司を食べている。俺もつい箸が伸びてしまっていたが、ここで、急に凪が立ち上がった。

「どうした?」

「来た!」

 バッと凪は走り出す。

「おい、来たって、もう? だってまだ八時前だぞ」

 まさか……! 

 現在、七時二十分。

 でも、何事にも例外はある。これまでの事件だってたった四件だ。

 急いで俺は凪を追って走り出した。

 凪は店内をまっすぐ抜けて、入り口まで行った。

 俺はキョロキョロと周りを見回す。

「あれ? 強盗団っぽい人なんていないような……」

 すると、入り口前の通りに止まったバイクからやってきたお兄さんに向かって、凪は手を振った。

「おーい。こっちこっち~」

 なんだ?

 一緒についてきた逸美ちゃんと日野さんも凪とお兄さんを注視する。

「どうもー。追加の贅沢マグロづくし12貫とフライドポテト、それからチョコレートケーキが4つです」

 ズコー。

 俺たち三人は思いっ切りズッコケた。俺に至ってはヘッドスライディングである。

 なにやってるんだこの人たち……という顔で振り返る凪。

「まあいいや。お兄さん、ありがとう」

「いえ。まいど」

 すっくと立ち上がり、俺は凪に向かってビッと指差した。

「紛らわしいマネするな! なに勝手に注文してるんだよ!」

「へ?」

「へ? じゃない!」

「ああ、そういうことか。ごめんごめん、開はチョコレートケーキよりチーズケーキ派だったっけ?」

「まあな。チョコも好きだけどチーズケーキも……て、そういう話じゃなーい!」

 凪は両手で耳を押さえて、片目を開いて俺を見る。

「怒鳴らないでよ。いまは営業時間中、お客様のお邪魔だ」

「ハッ」

 と、俺は手で口を押えた。

 後ろから日野さんが、

「大丈夫ですよ。この時間、お客様は少ないですし、幸い現在はスタッフだけですから」

「ごめんなさい」

 やってしまった。探偵王子と呼ばれる俺にあるまじきことだ。

 そんな俺の肩をポンと叩く凪。

「まあまあ。そう落ち込むなよ。反省すればいいって」

「ありがとう。て、おまえのせいだろうが!」

 ここに逸美ちゃんが割って入って俺(と凪)をなだめる。

「二人共ケンカしてないで、せっかくだし食べましょうよ」

 日野さんが、「あの、それはあたしのセリフのような……」と蚊の鳴くような声でつぶやいた。

「デザートの甘い物も食べたら元気出るわよ」

「ぼくはそのために注文したのだ」

 うふふっと逸美ちゃんは笑う。

「うん、じゃあ食べようか」

 とだけ言って、俺は日野さんに振り返る。

「すみません、あの二人マイペースで遠慮を知らなくて」

「いいんですよ。まだ子供なんだもん、むしろちょっと微笑ましいくらいです」

 あのおバカを微笑ましいと言ってくれるなんて、日野さんいい人……。

 かくして俺たちは控室に戻り、追加注文分も4人でいただき、あとは八時の閉店を待つのみとなった。

 そして、八時。

 店は閉まった。

 ただし、店内の電気は消さず、待ち伏せる。

「でも、どうして電気を消さないんですか?」

 日野さんに聞かれて、俺は答える。

「理由は、通常の閉店同様に電気は消しておくと、強盗が入りやすいからです」

 逸美ちゃんも補足する。

「逆にもし電気が消えていたら、これまで通りの方法で強盗に入ることでしょう」

「その『これまで通り』を知らない以上、望み薄でも電気がついていることで入りにくくして撤退してくれたら儲けものっていうだけです」

 凪はじぃっと俺を見ている。その視線がうるさいので聞いた。

「なに?」

「いや、盗まれなかったら被害がないだけで、別に儲けてもないと思って」

「そういう意味で言ったんじゃねーよ」

「ほうほう」

 こいつ、わかっていちいち揚げ足取りに来たのか?

 チラっと凪を見ると、ひとりで自らの左右の手を使いじゃんけんをしていた。

「うわ。また右手が負けた。左手強いぞ。さすが黄金の左手。あはは」

 やっぱりこいつ、なんにも考えてないただのアホのおバカだ。

 さて。

 控室からは出て、俺たち四人がいるのはカウンターだ。レジが入り口のすぐ近くではないのが吉と出ればいいけど。

 ちなみに、スタッフで残っているのは日野さんだけ。他にいるスタッフは二名だが、二人共帰った。店長のおじいちゃんも身に危険があるといけないので帰らせてある。

 それから、待つこと一時間。

 もうかなりの長時間待っている気分だ。緊張状態だからだろうか。それとも、横にいる凪がうざいからだろうか。

「あの、日野さん」

「なんですか?」

「他の宝石店って普通どれくらいの時間まで営業しているんですか?」

「うーん、他店について詳しいわけではないですが、だいたい七時か八時、遅くても九時くらいのところが大半だと思いますよ」

「強盗団『テケテケ』の人たちも、店の営業時間は調べてあるはず。この時間くらいまでなら、たまたま長く営業しているだけに見えなくもないですよね」

「ええ。ただいまを持って九時になりましたから、ここからが要注意ですね」

 と、日野さんは腕時計を見て言った。

 ――さらに時間が経過し、九時半。

 ついに動きがあった。

 外はまだ車も通る時間だが、この店の前に、一台のワゴンが止まった。真っ黒のワゴンだ。このワゴン、さっきから外を見ていたとき、二回ほどこの店の前を通ったと思う。

 俺が逸美ちゃんを見ると、逸美ちゃんもうなずく。

「おそらく、あれがテケテケね。三回も通っていたから怪しいと思っていたの」

 三回だったか。俺が凪の相手をさせられたときにでも通っていたんだな。

 それはさておき。

「うん。気をつけていこう」

 日野さんも俺の言葉に顎を引き、のんきな凪だけがスマホを開いてゲームをやっていた。肘で凪を小突き、俺はワゴンに集中する。

 すると、真っ黒なワゴンからは、頭に覆面をかぶった全身黒づくめの見るからに怪しい団員が三人ほど出てきた。

 リーダーのオカマはあとからの登場だろうか。

 そのとき。

 パッと。

 店内の電気が消えた。

「チッ」

 俺は舌打ちする。

 やられた。外の電線を切られたんだ。

 同時に、入口のガラスが割られた。

 店内にはテケテケの団員が入って来る。このタイミングで、俺は警察に電話した。電話の準備をしておいたのだ。店の名前と場所、宝石強盗が来たことを告げ、一方的に電話を切る。

 これでよし。

「あら~!」

 そう言って、やつらのあとから、ついにオカマまでやってきた。

「アタシは煌く宝石を追い求める美しきオカマ、キラリよ。どうしてアタシたちが来るってわかってたの? アンタたち」

 急に暗くなった店内に、目が慣れなかった俺たちだったが、やっとキラリと名乗ったオカマの顔も見えるようになった。

 キラリはパッチリした目元と眉の濃い顔立ちで、肉付きがよくずんぐりした体型。服装はというと、タンクトップにワイドパンツ。首から大玉の真珠ネックレスをさげている。暗がりで見えにくいけど、タンクトップが黒でパンツがピンクか? 趣味悪……。

 ……その前に、凪がいないぞ。あいつ……、どこに行ったんだ。

 俺は凪のせいで一瞬動揺したものの、余裕を繕ってキラリに聞き返す。

「そっちこそ、なんでこんなことを?」

「まあ、アタシがソッチって気付いたのは、すね毛が生える前よ。聞きたい?」

 聞きたくねー!

「そういう意味のそっちじゃないです。なんで電気もついていて人がいるお店からでも盗もうとしたんですか?」

 カウンターに立つ俺たち三人を見て、キラリはぷっと笑った。

「大した意味はないわよ。アタシ、宝石が好きなの。美しいアタシに似合う宝石がたーくさん欲しかっただけっ」

「本当に、大した理由じゃないですね」

「アンタ、生意気な感じがいいわね。ただまだ中学一年生ってところ? アタシの好みに入るには、あと十五年早いわ」

「俺はもう中二――」

 言い返そうとすると、逸美ちゃんがぎゅっと俺を抱き寄せて、自分の胸に俺の顔をうずめるようにする。

「開くんはわたしのなんです! オカマさんには十五年後も渡せません!」

 な、なんて恥ずかしいことを言うんだ……!

「うふん。心配しなくてもいいわよ。オカマはいまを生きるんだから」

 身動きできなくなっていた俺だったが、やっと逸美ちゃんから解放される。改めてキラリに向き直る。

 日野さんは俺と逸美ちゃんの前に立ち、キラリに言った。

「すみません。どうか、うちの店から宝石を盗むのはやめてください!」

「そう言われてもね~。もう盗むって決めちゃったし、そう易々とは引き下がれないわよ」

「じゃあどうすれば」

「そうね、だったら、この店で一番美しい宝石をアタシにくれたら、見逃してあげてもいいわ」

 キラリの要求に、日野さんは反発する。

「できません。それじゃあ盗まれるのと一緒じゃないですか」

「一個で勘弁してあげるって言ってるんじゃな~い。話のわからない女ね。だから女って嫌いよ」

 まだショーケースの中を漁ったりしていない団員たち。

 だけど、このオカマ相手じゃここでの交渉もうまく行くとは思えない。

 そろそろ実行に移るだろう。

 仕方ない。俺はキラリに啖呵を切った。

「わかりました。なら、俺たちが追い払ってみせます!」

「やってみせてもらおうじゃないのー。行くわよ、みんな」

「おう!」

 キラリの掛け声に合わせて、団員たち三人が声を上げた。

 次の瞬間。

 唐突に、キラリたち四人に向かって強烈なフラッシュがたかれた。

「うわ」

 キラリたちの目がくらんでいる隙に、俺の腕が何者かに引っ張られる。

 俺もいまのフラッシュで目が暗がりに慣れていなかったが、視界も戻ってきた。腕を引かれて数歩分移動していたのは、店のすみの壁際だった。

「凪?」

「やっ」

 飄々と軽く手を挙げる凪。

「どうしてこんなところに俺を――」

 凪がしーと口唇に人差し指を立てる。俺も口を閉じると、凪は説明した。

「ぼくたちはさっき控室で、あそこでオカマたちに対面する想定でのシミュレーションはしたけど、考えたら戦うよりいい方法があった」

「いい方法って?」

「このあと教える。まずはついてきて」

 それだけ言って、凪はいつのまに見つけたのか、大人一人がやっと通れるほど狭い四角い穴の中に入り、赤ちゃんみたいにハイハイして進んでいった。

「ちょっと、待てよ」

 俺も慌てて凪を追う。

 ちょっと進むと、少し広いスペースに出たが、それでもそこは巨漢が通れるかどうかという幅しかない。それも上に向かっている。

「登るよ」

「登るって、どうやって」

「普通に」

 と、凪は手のひらと足のつま先を左右の壁に当て、それを支えにして登る。

 まあ、こんな場所の登り方なんてこれしかないよな。

 俺もマネして登り始める。

「それで、ここはどこに続いてるの?」

「二階さ」

 二階?

 そうか。こいつは二階に行きたかったのか。二階に行くには、店の入り口のすぐ隣にある階段を登らなくてはならない。

 キラリたちが入り口側にいる以上、そこは塞がれている。だったら、こういう抜け道を使えばいいってことか。

「いや、それにしてもおまえ」

「開、もう出口だ」

「聞けよ」

 凪が穴から出て、俺も続いて出た。

 二階フロアに出ると、一階からはテケテケたちの声が聞こえる。なにかやっていたんだろうけど、逸美ちゃんは大丈夫かな……。

「こっちに来たまえ」

 人の話も聞かない凪は歩き出す。

「なんでおまえはこんな抜け道みたいの知ってるんだよ」

「ぼくはこの店の従業員じゃないんだ。調べたに決まってるだろ」

 素っ気なく答える凪。

「そりゃそうだろうけど、それをどうやって調べられるのかが気になったんだよ」

「キミ、コンピュータ関係に疎いだろ?」

「う。ま、まあ。得意ではない」

 はあ、と凪はため息をつく。

「そんなキミに説明すると長くなるからやめておこう」

「わかったよ。それはいい。で、さっき言ってた作戦ってなんだよ」

 凪の後ろにくっついて歩いていると、ショーケースの横に来た。

 そこには、黒づくめの一人が手足を縛られて倒れていた。動きもないし、気を失っているように見える。おそらくこいつが店の電線を切った。そして二階に上がってきた。

「こいつは、おまえがやったのか?」

「開、キミはおバカかい? 自分でこんな無様な恰好になれるほど人間は器用にできてないよ。これじゃ強盗もできないしね。ははっ」

「おバカはおまえだ」

 本当に、こいつは一体何者なんだ。身体の線も細い方だし、そんなに力があるようには見えないのに。

「で?」

「ん?」

「さっき言ってたそのいい作戦ってを聞かせてもらおうじゃないか」

「オッケ~」

 無表情だけどノリ気に親指と人差し指で丸を作り、オッケーサインをする凪。

 だが、このとき、下からテケテケの団員の一人が呼びかけてきた。

「おーい!」

 どうする!?

 上にいた団員が凪にやられたことなんてあいつらは知らないはずだし、ここで返事をしなかったら、いま呼びかけてきた団員が上がってきてしまう。

「そっちはどうだー? 良い宝石は集まったかー?」

 俺がどうしようと考えていたとき――

「まだー。もうちょっとかかりそう~」

 凪ーっ!

 このバカなに普通に返事しちゃってんだよ! 返事するならするでちょっとは声色を変えるとか頑張れよ。まんま凪じゃねーか!

 やばい……と思っていると、また下から声がした。

「そうかー。頼んだぞー」

「へーい」

 え……。ばれてない。おまえが話してた相手、明らかに凪だったじゃん。テケテケの団員ってバカなの?

 でも助かった。

「それでさ、開は卵かけごはんの食べ方って黄身だけ後乗せ派? それとも別の器で溶き卵を作ってかける派?」

「いまする話か? それ」

「いま気になったんだ」

「おまえ、わかってないようだから言っておくけど、いまする話じゃないんだ、それは。いますべきはおまえが考えた作戦がどんなものなのかってことなんだよ」

「わかったよ。一応、黄身だけ後乗せで白身を先にごはんにかけて混ぜる。最後に黄身を入れる。これが一番美味しいと聞くよ」

「ああそうかい。俺はごはんに窪み作って割った卵そのまま入れるだけだったから参考になったよありがとう」

 俺が怒りを抑えながら言うと、凪は照れたように頭をポリポリかく。

「いや~。それほどでも」

「褒めてない」

 なんでこいつとこんな状況で卵かけごはんの話をしないといけないんだよ。

「それで、作戦ってなに?」

「作戦? 大人しく待つ作戦」

「は? それって、ただここで待ってるだけ?」

「元々、テケテケが店に侵入したら警察に連絡する予定だっただろ?」

「ああ。とっさだったけど、一応連絡はしておいたよ。あとは逃がさないように戦う寸法だった」

「そう。それが間違いなんだ。あんな連中とやり合っても疲れるだけさ。警察が来るまで上手に待とうってことだよ」

 まあ、それができたら一番だ。だが、それができたら苦労はしない。

「だけど、そうしたら逸美ちゃんは? 日野さんだって、あいつらに捕まってるかもしれない」

「だろうね」

「だろうねって、おまえ、無責任に言うなよ」

「仕方ないじゃないか。そうすることで、ぼくたちが動ける。これからぼくたちで彼女たちを解放して、やつらを警察に突き出すよ」

 こいつも、なにか考えがあるってことか。

 まったく、付き合ってやるか。

「だな。で、作戦はもうあるのか?」

「ない」

 ドーン、と堂々と言い切る凪。

「だと思ったよ。じゃあ俺が作戦を立てる」

「おう。頼んだ」

「おそらく、警察もあと五分もすればここまで来てくれる。それまでに逸美ちゃんと日野さんを解放して、警察が突入しやすくする。できれば、テケテケを警察の元まで誘導する」

「そのためには?」と凪が促してくる。

「そのためには、安全な人質解放のためにも、警察が来たとわかってから行動する。それまではここで待機」

 凪は敬礼する。

「あいよ~。ぼくはちょっと昼寝でもしてるから、ちょうどいいとき起こして」

「わかったよ」

 ゴン、と凪の頭にチョップを降り下ろす。

「てなるか! どう行動するのかまだ言ってないだろ」

「言われてみればそうだったかも。ぼく早とちりして焦っちゃってたかも」

「どこが焦ってたんだよ、寝ようとしてたやつが」

 つーかこの時間じゃ昼寝じゃなく通常の熟睡する気だったじゃねーか。

 俺はほんの一瞬考えたあと、口を開いた。

「考えを煮詰めたわけじゃないけど聞いて」

「カンガルーの肉詰めじゃないカフェラテ? なに言ってんだこの人」

「無理やり聞き間違いしてんじゃねーよ! なに言ってんだこの人はおまえだ」

 頑張って想像しようとしている顔がまた腹立つ。

「とにかく聞け」

「はいな」

 返事だけはいいやつだ。

「まず、警察が来たのがわかったら、二人で同時に飛び出す。なるべく警察と同じタイミングになるように。外からは警察、中からは俺たち。ちなみに、飛び出す先はさっき通ってきた排気口。この双方の同時に出現したら相手はパニックになる。少なくとも、人質への注意も薄くなる」

 手慣れているやつが相手だと、逆に警察が来たらとにかく人質を大事にするものだけど、やつらは店が閉まって誰もいない時間を狙って犯行を行ってきた。警察との接触には慣れていないはずだ。

「うん。開、いけるよその作戦。そういうことでぼくはひと眠りして体力回復に努めます」

「この段階だと、まだ俺たちが登場しただけなにもできていない。このあとが重要だからしっかり聞いてくれ」

 と、俺は凪の頭をげんこつでぐりぐり攻撃しながら言う。

「聞くっ。聞くからやめて。痛い痛い」

 俺は改めて座り直して、凪に説明する。

「やつらは、銃は持っていないようだった。それでも一応飛び道具には気をつけて、二人同時に走り回る。そして、撹乱しながら人質に近づき、どちらかが解放する。その際、どちらかが囮になるだろう。そして、二人を解放したらさっさと警察が来る入り口の方へ逃がす。同時に、警察を中へ誘導する。また、裏口にも警察は来るだろう。そこからなら逃がしてもいい。なにも知らずにそっちへ逃げたらそれでも捕らえられる。タイミングさえ揃えられれば、やつらは袋のネズミだ。これで俺たちの勝ち」

「それいいよ」

 ほっ。凪も納得したようでよかった。

「人質さえいなければ警察がなんとかするから大丈夫だからね」

 凪は親指をビッと立てて、

「オーライ。最後に、ひとつ聞いてもいいかい?」

「ああ。いまのうちにじゃないと聞けないからな。なんでも言って」

「途中からさ、お尻のおできが気になってよく聞こえなかったんだ。だからもう一回言っておくれよ」

 ズコー。

 俺は思わずコケた。

「じゃあさっきのそれいいよとオーライはなんだったんだよ!」

「いや~。勘違いさせちゃった? ぼくって罪なオ・ト・コ」

「だから褒めてない!」

 なぜ照れるんだ、こいつは。気持ち悪い。

「おーい!」

 しまった。バタバタしてしまったから、下にいる団員が怪しんでいる。

 凪を見ると、やはりこいつはさっき同様に答えた。

「なーに~?」

「いまなんかあったかー?」

「なーい」

「おーう」

「うぇーい」

 テケテケ……あいつらバカだ。

 よし、時間的にもそろそろ警察が来ておかしくない頃だ。

「じゃあ、凪。これからまた排気口を通って下に行くぞ」

「ほい」

 再び、凪を先頭に俺たちは下りて行った。

 一階の排気口の前で止まる。

「そういや、凪はさっきどうやってフラッシュなんてたいたんだ?」

 小声で後ろから呼びかけると、凪は答えた。

「こっそりここから出たあと、物陰に隠れる。そして、小型のライトを使ったんだ。スマホのじゃ瞬間でのパワーが足りないからね、ライトにちょっと細工すればフラッシュみたいな光を出せるんだ。もっとも、ライトだから光は一瞬じゃない。数秒にもできる」

「なら、今度もそれを使ってくれ」

「了解」

「じゃあ、出てくれ」

「うい~」

 凪と俺はこっそりと順番に出て、物陰に隠れる。

 テケテケたちはみんな集中して小型のライトを使い宝石を吟味している。一人だけ逸美ちゃんと日野さんの見張りをしているやつがいるけど、他の三人は必要な宝石だけ選んでいるらしい。全部奪えばいいのにと思うけど、やつらは案外こだわり派のようだ。

 それから一分もせず、サイレンの音が聞こえてきた。パトカーのサイレンだ。サイレンはどんどん近づいてきている。

「凪、パトカーが来た」

「わかってる。合図を決めておこうぜ」

「じゃあ、いち、にの、さん、で飛び出すぞ」

「まあ、それでもいいか」

 ちょっと不満そうな凪だったが、わざわざ面白い合図なんて必要ない。

 サイレンの音が店の前まで来て、止まった。

 店内にいたキラリと黒づくめのテケテケたちの動きも止まった。

「なに? なにかあったらのかしら?」

「事件でもあったんスかね?」

 オメーらだよ!

 内心でつっこむだけで我慢する。

「しっかし、あの子供どこ行ったんスかね?」

「知らないわよ。あんなガキ、相手にしてるヒマないわ。外にいるケイサツの連中に見つかってとばっちりくらう前にずらからないといけないんだから」

「そっスね」

 とばっちりじゃなくあんたらを捕まえに来たんだよ。

 テケテケたちがぼさっとしている間に、店の周りにはパトカーが集まってきた。中からも警察官が何人か出てきている。突撃準備をしているようだが、警察もすぐには飛び出して来ないだろう。

 でも、警察が準備段階に入ったいまが狙い目だ。

 俺は凪に小声で言う。

「警察が突撃してくるのも時間の問題だ。俺たちはもう動き出そう。俺たちの動きが見えたら、警察も動いてくれるはず」

「そうだね。探偵王子のピンチじゃ助けないわけにはいかないさ。警察に期待しよう。そして、ぼくたちの出番でもある」

「うん。それじゃ、行くぞ」

 凪もうなずく。

「そういうことで開、合図はぼくがしてもいいかな?」

「構わないよ。いつでもどうぞ」

「よし。それじゃあ、いち……、にの……」

 静かに迫るカウントダウン。

 俺は息を呑んだ。

「さんっ」

 ダッシュ。

 凪の声に合わせて、地面を思いっ切り蹴って飛び出す。

「の『さ』に合わせてでいいんだっけ?」

「ズコー」

 予想外の練習に、ヘッドスライディングをしてしまった。

 急いで振り返って、俺は凪に怒鳴る。

「紛らわしいマネするな!」

 しかし、店の真ん中へ向かってヘッドスライディングした俺だけが悪目立ちしているのは言うまでもなく、テケテケ全員と人質に取られていた逸美ちゃんと日野さん、それら五人の視線を一身に集めた。

 キラリが俺を見て、

「あー!」

 と、指を差した。

「しまった」

「やだ~! こんなところにいたの~? 気付かなかったわ~。アンタたち、そのガキ捕まえちゃって!」

「へい」

 手下の黒づくめが俺を取り押さえに来た。

 ここは凪のせいで目立って俺に三人が来るとみて、凪に人質解放をしてもらおう。そのため、俺は逸美ちゃんたちがいる方とは逆の控室なんかがある店の奥の方へと走り出した。

 そのとき、凪も登場する。

 凪はまっすぐ逸美ちゃんと日野さんの元へ走った。

「あら?」

 キラリが凪に気付く。

「アンタ、いつからいたの? 何者よ?」

「ぼく? ぼくは凪。探偵王子の相棒さ。よろしく」

「探偵王子って、あの子がそうだったの~? やだー。サインもらっておけばよかった」

「いまからもらえばいいです。そこにいるんだから」

「それもそうね」

 俺は振り返って、

「んなことしゃべってる場合か! 人質の解放が先だろ!」

「あ、そうだったかも。警察に渡さなきゃ」

 凪が人質に向かってまた移動し、まずは日野さんを解放してやった。

「警察? まさか、やつらアタシたちを捕まえに来たっていうの?」

「それ以外にあるかよ」

 黒づくめと格闘しながら俺が答える。俺はこう見えて空手を習っているから、そんじょそこらの大人にだって負けはしないのだ。

 ひとり落として、俺は逃げる。

 日野さんを見ると、彼女は外へと逃げて警察に保護された。

 同時に、警察官たちがどっと店内に突撃してきた。

 しかし、逸美ちゃんはキラリに捕まってしまった。

「開くん!」

「逸美ちゃん! いま助ける! 凪、やつらのことは頼んだ」

「あいよ~」

 俺がキラリと逸美ちゃんの元へ行こうとすると、キラリは宝石をしまいナイフを逸美ちゃんに突き立て、じりじりと動く。

「この女を殺されたくなきゃ、おとなしくすることね。警察の方々もね。うふっ」

「くそう」

 ギリっと歯噛みする俺だったが、その横で凪はふらふらと走っている。

「みんな~。あっちには警察がいる。こっちこっち~」

「は?」

 さっきまで俺の相手をするので精一杯だった黒づくめの残りの二人は、凪の存在がよくわかってないらしい。

 キラリは完全に凪のことを無視しているので、凪はそのまま店の奥の方へ向かって裏口へと行ってしまう。

「アタシも裏口から逃げるわよ。ほら、アンタも走る!」

 腕で首を絞められた逸美ちゃんがキラリに連れて行かれ、俺も距離を取りつつ追う。

 店の裏口まで来たとき、先頭を切っていた凪が黒づくめのやつらに手招きした。

「こっちだ」

「なんだ?」

 なぜかドアの開いたワゴンがあり、凪はそこに入って行った。

「おお、あそこに逃げりゃいいのか」

「助かるぜ、へへっ」

 凪は団員二人に呼びかける。

「急げ~」

「おおーぅ」

 と二人は外に出て、脇目もふらずにワゴンに飛び込んだ。

 そんな黒づくめの二人に、キラリが叫ぶ。

「バカ! なにやってるのよ! それは罠よ」

「へ?」

「テケテケの団員。宝石強盗の現行犯で逮捕する!」

 そして、二人はワゴンの中で控えていた警察官に手錠をかけられ逮捕された。

 凪は額の汗をぬぐって、

「ふぅー。いい仕事した~」

「ふざけんな!」

「騙しやがって!」

 二人に怒鳴られても、凪は満足そうな顔をしている。

「もう~! 信じらんないわ! なんで騙されるのよ~」

 俺も信じられないくらいだから、このオカマが怒るのも無理はないか。

 だが、そう悠長なことを考えてもいられない。

 オカマは裏口から出て別の方向へと走り、道の端に停めてあった車に乗り込んだ。

「アンタも来なさい」

 逸美ちゃんが連れて行かれてしまう。

 くそう。

 あの車で逃走する気だな。

 バッと辺りを見回すが、凪が乗り込んだワゴン以外に乗れる車はなさそうだ。

 キラリの車も発進してしまった。

 俺はワゴンの空いていた助手席に乗り込み、運転席にいる警察官に言った。

「あの車を追って! お願いします!」

「わ、わかりました」

 慌ててワゴンも発進する。

 後ろに乗っていた警察官の一人が俺に聞いてきた。

「キミ。もしかして、探偵王子?」

「はい。言っておけばよかったですね」

 考えたら、俺はあのとき時間もなかったから店の名前と場所と宝石強盗があったということしか言っていない。

「いや、それは聞いていたよ」

「どうしてですか?」

「ぼくが言ったのさ」

 と、凪が答える。

「いつのまに」

「キミたちがオカマさんとおしゃべりしてるとき、ぼくはさっさと上にいた人をやっつけて、そのあとにね」

 意外とやるじゃないか。

「探偵王子の相棒が助けを求めてると聞いて、この事件に関わっているのが探偵王子と知り、急きょ増員したんです」

「そうでしたか。ありがとうございます」

「恩に着てくれよ」

「俺は警察官さんにお礼を言ったんだ」

 前を向くと、ワゴンはしっかりオカマの車を追っている。サイレンも鳴らして大追跡のカーチェイスだ。

 どんどんスピードも上がり、危険度も増してくる。

「うわああっ」

 急カーブと、同時に対向車にぶつかりそうになったのだ。

 おいおい、警察がこんな危ない運転していいのかよ。緊急事態とはいえさ。

 すると、道の先でキラリの車が曲がった。

 いや。その道は、道ではない。公園だ。公園内に侵入し、普通車が通らない場所まで進んでいる。そして、キラリは車から降りた。

 俺たちは公園内にはワゴンでは侵入せず、路肩に停めて走る。

「逸美ちゃん……!」

 なんとかして逸美ちゃんも助ける。

 こんなところに入って一体どこへ行くのかと思えば、キラリは逸美ちゃんを連れたまま小山の上に用意していたらしい気球に乗った。

 気球に点火し、徐々にふくらんでいる。

 走る俺たちを見て、キラリが言った。

「これ以上近づいたら、この女の首を切るわよ。それでもいいのかしら」

 俺たちは一斉に止まる。

 やはり、人質の存在は大きすぎる。逃がさないようにするには、どうすれば……。

 と。

 凪は構わず走り出した。

「ア、アンタ! この女がどうなってもいいっていうの?」

「好きにしろ」

「ふざけんな!」

 そう怒鳴ったのはもちろん俺だ。

「じゃあ、むしろアンタはなんのために」

「ぼくも気球に乗りたい」

「そ、そんなことのために? なかなか面白くて、見込みのあるいい男じゃない。アンタ」

 うっとりとした顔で凪を見るキラリ。

 そのあいだに、凪が走って行くのを追いかけ、俺も気球に向かう。

 凪がやっと気球に到着して、気球に乗り込もうとした。

「いや~。ぼく気球って初めてだから楽しみだ~」

「アンタの初めて、アタシがもらっちゃうわ。でもね、これはお遊びじゃないの。アンタの相手はあと十五年したらしてあげる。ごめんね」

 と、キラリはお尻でボンと凪を押し飛ばした。

 凪はひっくり返って、地面に転がった。

「いてて」

「じゃあね~」

 気球は飛び立つ。

 だが、そうはさせない。

 俺はギリギリ、飛び立つ気球に手をかけた。

 なんとか、気球にくっついて飛べた。間に合ったみたいだ。

 キラリは逸美ちゃんにぼやく。

「やっと逃げられたけど、せっかくの気球旅も、女と一緒じゃ盛り上がらないわ。しかも二人っきりだなんて」

 俺は気球のふちに手に力を込めて身体を持ち上げて、

「二人っきりじゃないぜ。どうも。また会いましたね」

 這い上がり気球の中に転がり込む。

「開くん!」

 逸美ちゃんはぱあっと顔を明るくして、バッと俺に抱きついた。

「よかった、無事で。お姉ちゃん心配したんだよ」

「それはこっちのセリフだって。逸美ちゃんこそ無事でよかったよ」

 俺は逸美ちゃんに抱きつかれたままだが、顔を上げてキラリに言う。

「これで逃げ場はなくなったぜ」

「アンタ」

「なんですか?」

 と、ドヤ顔を作って聞く。

「その女にだいぶ可愛がられてるみたいね。決めゼリフもカッコよくないわよ」

「う……」

 確かに、俺は決めゼリフっぽいことは言った。言ったけど、逸美ちゃんに抱きつかれて頭なでなでされながらではいくら俺でも迫力に欠けるか。

 俺は逸美ちゃんを引きはがし、今度こそクールに言った。

「それで、どうします? おとなしく降参でもしますか?」

「そうしたら楽なんでしょうけど、アタシ嫌なのよね~。負けるのって」

「でも、俺たち二人を気球から落とす以外にあなたが安全に逃げ切ることはできない。しかも、幸いもうすぐ進めば海の上だ」

「落とすならそのときがチャンスね。アタシも人殺しはしたくないし」

 実際、このオカマは人殺しはしない人だと思う。だけどさっきまで人質を取ってたやつがよく言うよ。

「まあ、でも。負けだろうとなんだろうと、おとなしく諦めるのが一番だと思いますよ」

「ほーんと、迷うわ~。みんなが安全でアタシが負けることなくプライドを保てて、逃げ切れる方法はないかしら」

「どこまでも図々しいですね。ここまで来たら、もう逃げ切りは不可能でしょう。諦めましょうよ。負けを認めて楽になってください」

「ムカつくガキね。さっきのクルクルパーマの子の方がずっと個性的で素敵だったわよ。あの子になら負けても文句はないんだけどね」

 そうかい。俺は逆に、あんなやつに負けるのは絶対嫌だけどな。

 いよいよこの気球が海にさしかかったとき、ヘリコプターの音が聞こえてきた。

「こんな時間に、もしかして……」

 振り返ると、ヘリコプターはこっちに向かって飛んで来ていた。しかも二台いる。

 キラリは腰をプリプリと振りながら、ほっぺたを両手で押さえた。

「いやーん。まだ追いかけてくるの? 情熱的ね」

「そういうのじゃないと思いますけど」

 ヘリコプターはどんどん近づいてくる。

 気球はもうすでに海の上に出ているし、ここから先は太平洋だ。まっすぐ進んでも下りる場所もないから、これは詰んだようなものである。

「降参したらどうです?」

「まだよ。まだ諦めないわ」

 しつこいオカマだ。

 すると、二台いるヘリコプターのうちの一方が、さらに気球に近づいてきた。気球よりも上を飛んでおり、俺たちは見上げる形になる。

 そのヘリコプターのドアが開き、そこから顔を出す人がいた。

 あれは、凪だ!

 なにやってんだ、あいつ。

「かーい」

「危ないぞー! 凪っ!」

 早く注意してやれよ、と思っていると、すぐに凪は一緒に乗っている警察官に注意された。それより、よく凪を乗せたもんだよな、警察も。

「こら、キミ。危ないから顔を出さないで」

「お構いなく~」

 凪の言葉に、オカマが反応する。

「オカマ? あの子、いまオカマって言ってなかった?」

「言ってねーよ」

 と、俺は小さくつっこむ。

 上では警察官が困った顔で、

「お構いなくって言われても、座ってないといけないんだよ? 本当は。……て、あれ? キ、キミ、どうしてここにいるの?」

「そうです。ヘリコプターは初めてです」

「初めてとかそういう話じゃなくて、ダメじゃないか! 勝手に乗り込んじゃ」

 と、凪は警察官に取り押さえらえる。

 おいおい、勝手に乗り込んだのかよ。周りも気付けよ。

 凪は警察官とわちゃわちゃして、

「いいじゃないか」

「ダメ」

「ちょっとだけだから」

「ダメ」

「おとなしく下で待ってるのは」

「ダメ」

「じゃあどうすればいいのさ」

「あ、間違えた。下で待っていてくれたらいいんだ」

「今更言われても」

 やれやれ、と手を広げる凪。

 あの警察官、凪に振り舞わされて苦労してそうだな。

「そういうことだから、キミはもう下がりなさい」

「やだ。ぼくは開を助けるんだ。そして、気球に乗るんだ」

「気球に飛び移るなんてできないだろ。ほら、おとなしく――ああっ」

 すると。

 警察官とのわちゃわちゃがたたり、凪はヘリコプターから落下してしまった。

「ほえー」

 間の抜けた声でこっちに向かって落ちる凪。

 そして。

 バシュ。

 気球のバルーン部を貫き、穴を開けて斜めに突っ切って穴が二つになった。

「凪のドアホー!」

 今度は俺たち三人がピンチだ。

 二つも穴が開いた気球は、もう機能を果たせなくなり落ち始めた。しかも意外と落下スピードは速い。

 キラリは自分の身体を抱きしめるように腕を回して、

「どうすればいいのよー!」

「やだ~。海に落ちちゃうわ。海水飲んじゃったらどうしよう~」

 とぼけた逸美ちゃんに俺は即座につっこむ。

「そういう問題じゃないだろ!」

 下を見ると、凪はバサッとパラシュートを広げた。

 これだ。あいつに捕まって勢いを殺して、より安全に着水しよう。

「キラリさん、お互い生きてまた会えることを願ってます!」

「なによ、別れの挨拶みたいなこと言っちゃって。アタシたち、ここまで来たら生きるも死ぬも一緒じゃない」

「俺たちはお先に失礼します。あなたも、ギリギリで気球からは飛び降りることを推奨しますよ。離れた場所に降りないと、バルーンが邪魔をして海面から顔を出せなくなりますからね。では」

「ちょっと」

 呼び止めるキラリのことには構わず、俺は逸美ちゃんを抱き寄せ、

「逸美ちゃん、凪に捕まるよ」

「うん。わかったわ」

 二人で気球から飛び降りた。

 気球から出るとさらに落下スピードが上がる。凪の元へは微妙に水平方向の距離があるように感じたが、斜めに飛んだから徐々に近づいてきた。

「凪! 俺たちも捕まらせて!」

「どうぞご自由に~」

 のんきに返事をする凪。

 手を伸ばして、さらに近づいてきた。

 スッと俺と凪の手が空を切り、また伸ばすがうまくつかめない。

 だが。

「いっけー!」

 やっと、手が繋がった。

「開」

「ああ」

「手が冷たいね」

 ズコっとこけそうになるが、ぐっとこらえて凪に抱きつく。凪のおへその辺りに顔が来る感じだ。

 一方、逸美ちゃんは俺におんぶしてもらうように抱きついて、ようやく気球からの脱出に成功した。

「手が冷たいのは、優しい人の証拠なんだって」

 と、後ろから逸美ちゃんが言った。

 凪は内ポケットからメモ帳を取り出して、なにやら書き始めた。

「開はやさしくないのにてがつめたい。フシギなこともある。まる」

「はぁ? 俺のどこが優しくないって?」

 だが、凪は俺の声も聞かず遠くを指差して言った。

「開。見てごらん。夜景だ」

 俺と逸美ちゃんは同時に空から望む夜景を見下ろす。

「ホント、綺麗ね~」

「ほんとだ」

 逸美ちゃんと俺の反応に、凪は満足げにうなずく。

「だろ? びっくり箱をひっくり返したみたいだ」

「なんだよそれは」

 俺は張りつめていた緊張の糸が切れるように笑う。

「それを言うなら、宝石箱をひっくり返したみたい。だ」

 タワーや観覧車、ビル群の明かりが煌びやかに輝く。東京の夜景が綺麗だ。本当に、宝石箱をひっくり返して一面に散りばめたみたいだな。

「出会っていきなりこんなものが見られるなんてね。これから楽しくなりそうだ。改めて、今後ともよろしくね。相棒」

 やれやれ。こいつには色々と言ってやりたいこともあるけど、

「誰が相棒だよ」

 俺はため息まじりにそう言った。


つづく

AokiFutaba Works 蒼城双葉のアトリエ

オリジナル作品を掲載中。

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