背が高くなりたい
探偵事務所でテレビを観ていた。
平日の放課後、現在探偵事務所にいるのは俺と逸美ちゃんのふたり。
「……」
「……」
探偵王子と呼ばれる少年探偵の俺は、テレビドラマはミステリーくらいしか興味もないのだけれど、広才博識な探偵助手の逸美ちゃんは雑食なのかジャンル問わずなんでも見る。
ゆるくウェーブがかったふわふわの栗色の髪を揺らせて、逸美ちゃんは俺に顔を向けた。
「ドキドキの展開ね~」
ただいま、よくわからない滅茶苦茶な設定の救急医療と恋愛の要素を強めたサスペンスドラマを視聴中である。
「逸美ちゃん、この番組おもしろいの?」
正直、展開が急過ぎて俺にはよくわからない。だが、俺より二歳年上のお姉さんは子供のように目を輝かせて言った。
「おもしろいわよ~。謎が謎を呼ぶ展開でね、もう手がつけられないの」
手がつけられないのは俺にもわかる。なんせ、テレビの音だけ聞いてゲームをしている俺には次から次へと登場する人物たちの把握がまるでできないからだ。いまは5次元からの旅人が現代に迷い込み22世紀から生き別れの兄妹だと言い張る未来人がやってきて、ヒロインと裁判所に行くところだ。
「この作品考えた人は天才だよ。俺には理解できない」
「そうね~。わたしにも理解できないわ」
逸美ちゃんもわかってないのかよ。
「どうして、ヒロインは幼なじみを選ばないのかしら」
「そっちかい……」
俺と逸美ちゃんも幼なじみだけど、二歳の年の差が姉弟のような関係になっていた。逸美ちゃんは俺を弟みたいに思っているのだ。
「でもまあ、幼なじみはいいよね」
「ね。開くんも幼なじみ派なのね」
「そりゃあね」
「やっぱり~? あのすらっと背が高いのがいいのよね~」
「そうそう、いつも一番近くにいる存在だもん、特別だよ! って、え!?」
見た目? 見た目の話なのか!?
だが、これはまずい。いままで特に気にしたこともないわけじゃなかったが目をそむけていた点だけど、俺は背が高くない。詳しく言えば、日本人男性の平均をほんちょっと下回る168センチだ。逆に、逸美ちゃんは女としては背が高く、俺と同じく168センチもある。
逸美ちゃんが身長の高い人が好きだったなんて初耳だ。
くそう。これはまずいぞ。男の俺でも、背が高い異性を見るとカッコイイと思うし、憧れる気持ちもわかる。
「これは、どうしたものか……」
俺は考え込んでしまう。
「ヒロインの子が背が低くて可愛い子だから、相手は背が高いのがいいのと思うの。身長差って大事よね~。逆に、女の子の背が高い場合は男の子の背が低いとかもいいし、一番萌えるのは身長差なしかも~。うふふ」
まだ逸美ちゃんがしゃべっている声が聞こえたが、俺にはその内容はすでに耳に入っていなかった。
こうなったら、俺も男だ、大きくなって帰ってこよう!
俺は立ち上がって、逸美ちゃんに言った。
「ちょっと行ってくる。いや、今日は帰って来られないかもしれない。どこに行くかは聞かないでくれ」
バッと俺は走り出す。
「開くんっ」
逸美ちゃんの呼び止める声が聞こえたが、俺は構わず外に出た。
探偵事務所では、「ついでにお醤油買ってきてもらおうと思ったのに」とか逸美ちゃんがつぶやいたことを、俺は知らなかった。
さて。
外に出てみたはいいけど、俺は自分がなにをするのか、考えていなかった。
「背が高い人。背が高いってことは、身長を伸ばす必要がある。でも、そんなの簡単にはできない。だったらどうするか。やっぱり偽装かぁ……」
「偽装? なにを偽装するの?」
「ああ、それはね、シークレットシュ……うわぁ!」
急に声をかけられて、答えている途中で驚いてしまった。
「シークレットシュ? シュって、お酒?」
そんなことを聞いてきたのは、探偵事務所のお隣に住む同級生の女の子、浅見羽衣(あさみうい)だ。浅見さんはすごく普通だけど、すごくいい子なのだ。
「ううん。違うよ。なんでもないって」
「そっか。開くん、今日はもう帰っちゃうの?」
「いや、ちょっと買い物にね」
「へえ。なにを買うの? わたしヒマだから、場所によってはいっしょに行ってもいいかな?」
うむ、ダメだな。シークレットシューズを買っているところなど、同級生の女の子に見られたら恥ずかしすぎる。
浅見さんの行かなそうなところは……
「ええと、そう! スポーツ用品店に行くんだ」
「開くん、探偵のお仕事があるから部活なんてしてないんじゃ……」
「いや、ちょっと靴を見ようかと」
「なるほど。運動靴だね! スポーツ用のだと普段のウォーキングとかにもよさそうだしね。わたしもついて行くよ」
「え? いや、その」
「カバン置いたらすぐに来るからね」
浅見さんは行ってしまった。家もすぐそこだし、カバンを置くだけだから、一分もしないで戻ってくるだろう。
「しかし、キミも意外と女難の相を持っているよね」
「俺をラブコメの主人公みたいに言うな。て、今度は凪か」
「よっ」
飄々とした顔で手を挙げるくせ毛のこいつは、柳屋凪。
俺の中学時代のクラスメートで、情報屋。俺とは少年探偵団のメンバーとしていまでも交流がある。一方的に相棒だの親友だの言ってくるけど、俺は女難よりこいつからの受難のほうが多いと確信している。
ちなみに、俺と逸美ちゃん以外の少年探偵団のメンバーは必要なときだけチームとして動く存在だから、探偵事務所をたまり場にしていっしょくつろぐことはあっても、そこで働いているわけではないのだ。
「で? なんか用?」
と聞くと、凪は呆れたようにやれやれと手を広げた。
「相棒になんか用はないだろ? いっしょに買い物について行ってあげるってんだからさ」
「余計なお世話だ」
「浅見さんとは行くのに?」
本当は浅見さんも連れて行きたくはないんだよ。
凪は観念したように肩を落とした。
「わかったよ。キミが他に見たいっていう運動靴を見たあとでもいいさ。そのあと、キミの探していたシークレットシューズを買いに行こう。いい店知ってるんだ」
「ほんと? 助かるよ……て、なんで!? なんでまだ口に出してもないのに知ってるの!?」
すると、浅見さんが戻ってきてしまった。
「ごめんね、お待たせー。あ、凪くんもいたんだね」
凪は俺の背中を押して、
「やあ、羽衣ちゃん。三人そろったし行こう~」
はぁ。俺はため息をつく。
考えたら、凪も俺と身長いっしょだし、前からシークレットシューズが欲しかったのかもしれないな。……いや、周囲のことに無関心なこいつに限ってそれはないか。
俺たち三人が歩いていると、スポーツ用品店の前に、普通の靴屋を発見した。どうせ靴を買うって言っているんだし、たまたま底が高くなる靴を選んだ感じにすればいいじゃないか。
うん、その手でいこう。
「ねえ、ここ入ってみない?」
「いいよー」
と、浅見さんが笑顔で答える。
しかし、俺の提案に凪が反対した。
「ここにはないんだ。開の探している背が高――」
俺は凪の口を押えて、苦笑いを浮かべる。
「え? 凪くん、なんて?」
「なんでもないよ。凪が良い靴屋さん知ってるみたいだし、やっぱりそっちにしようか」
「う、うん。いいよ」
ということで、凪のナビで別の靴屋に行くことになった。
そしてたどり着いたのは、比較的小さな靴屋さんだった。
浅見さんは靴屋を見て、
「小さくて可愛いお店だね」
「そうさ。小さくて可愛い人向けのお店なんだ」
げっ。それを言っちゃあお終いだ。
が、浅見さんは朗らかに笑って、
「ふふっ。それを言うなら小さくて可愛いお店が好きな人向けでしょ」
「それもあり~。ぼくが開に勧めたいお店だよ」
こういう小さいお店って、特注品とかで値段が高いとかありそうで怖いな。でも、外から見える場所に展示されている靴はそれほど高くない。
「なんだ、隠れ家的なお店かと思ったけど、芸能人御用達って書いてあるじゃん」
ん?
待て、よく見れば、英語でしっかりとシークレットシューズだと書いてあるじゃないか。これじゃあ浅見さんにもバレバレだよ!
だが、浅見さんは店内に入っても、
「さすが英語の名前のお店、オシャレな感じだねー」
ふう。いい子でよかった(ちょっとおバカなところもあるかもしれないけど)。実際浅見さんと俺が通っているのは進学校だから本当におバカではないんだけどね。
店内の品物を見る。
どれもこれも、何センチアップか書いてある。
幸い、浅見さんがその点について気にした様子もないしよかった。
靴の値段もピンキリで、高い物はものすごく高いし、安い物もちゃんとある。俺はお手頃価格の物を手に取って、実際に試着してみる。
んー。これはちょっと小指が当たる。
別の物を試す。今度は靴幅そのものが狭い。
さらに次。
これはデザインもそこそこだし、四センチアップならあまり目立たず底上げできる。初心者にはいいかもしれないぞ。
俺はこれに決めた。
凪と浅見さんを見ると、ふたりは見ているだけで、履く様子はなかった。
「ふたりは買わないのかな?」
「うん。わたしはまたあとでにするよ。開くんは?」
「俺はこれにしようと思う。凪は?」
「ぼくはいい。困ってないから」
さいで。
ということで、俺はレジに靴を持って行った。
店主のおじさんは、俺の靴を手に取って、
「サイズは大丈夫ですか?」
「はい。試したので」
おじさんは俺にコソコソ話をするように顔を近づけて、
「これは初心者にはオススメです。さらにステップアップしたくなったら、もうワンランク上の物をお使いになるのがよいかと」
「あ……。はい」
こうして、俺はシークレットシューズを買ってしまった。
探偵事務所に戻る前に、俺はシークレットシューズを履いてみた。実際に履いてみると、ちょっと背が高くなったのがわかる。視線がいつもよりちょっぴり高い。
シークレットシューズを履いて探偵事務所に戻ると、逸美ちゃんが立ち上がって、
「お茶淹れるわね~」
と、俺の前を通り過ぎようとした。
が。
固まってしまっている。
フッ。
気づいちゃったか。
俺の背が、高くなっていることに!
そんなつもりはないが、俺はついドヤ顔で悠然と歩いてソファーに座る。
座るといつも通りだけどね。
逸美ちゃん、驚いてるだろうな。反応をもっとちゃんと観察したかったけど、なんかアピールしてる感じだとカッコ悪いのでクールに読書を始める。
「かか、開くんが……! わたしの可愛い開くんが……」
ん?
逸美ちゃん、驚いてなにかつぶやいたぞ。
さっそく効果てきめんだな。
よし、これからは毎日この靴を履くとしよう。
翌日。
探偵事務所にやって来ると、今日も大学の授業が早々に終わった逸美ちゃんがいた。
逸美ちゃんは俺にお茶を淹れるために、立ち上がる。
俺は背筋を伸ばして逸美ちゃんの前を通り過ぎようとするが……。
あれ?
なぜだか、逸美ちゃんとの身長差がいつも通り同じくらいに戻っている気がする。靴を間違えただろうか。
いや。確認するが、間違ってない。
チラッと逸美ちゃんの靴を見ると、ヒールを履いていた。
な、なんだと……!
そうか、逸美ちゃんは普段ヒールを履かないけど、女の人はその手があったのか。ずるいぞ。こそこそしないで長身足長効果を使えるなんて。まあ、後日逸美ちゃんがヒールじゃないときに、改めて背が高いところを見せられればいいか。
「はあ」
と、俺はため息をついた。
さて。
少年探偵団の他のメンバー――凪と鈴ちゃんが和室にいたので、俺も和室に上がる。
俺の指定席で寝っ転がっている凪を見下ろして、
「ここで寝るなよ」
「いいじゃないか~。それよりどうだい? あの靴は」
「それがさ、ヒールがあるのを忘れてたよ」
「ヒール?」
凪だけじゃなく、元々の話もわからない鈴ちゃんも小首をかしげた。
やっと凪がどいて座ろうとすると、逸美ちゃんがお茶を片手にヒールを脱いで和室に上がった。
逸美ちゃんが俺を見てなにか気づいたようにハッとする。
「あら?」
「ん?」
「なんだ~。よかった。うふふ」
なぜか逸美ちゃんが嬉しそうにしていたが、俺にはその理由がまるでわからない。
「どうしたの? 逸美ちゃん」
「うふふ。なんでも~」
これは、探偵王子と呼ばれる俺にも難しい謎だ。
おわり
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