出かけるときは鍵を持つのを忘れちゃいけない

 ある冬の日。

 いつもの通り、俺は学校の掃除を終えると、まっすぐ探偵事務所へ行った。そしてこれまたいつもの通り、探偵事務所でのんびり過ごしていた。 


 俺は明智開(あけちかい)。

 世間からは探偵王子と呼ばれる高校二年生の少年探偵だ。

 そして、現在探偵事務所にいるのは、俺の他にもう一人――密逸美(みついつみ)。

 逸美ちゃんはこの探偵事務所で探偵助手として、事務所の管理などをしている。年は俺より二つ上でいまは大学一年生。ゆるいウェーブがかった栗色の長い髪、胸も大きく背も高い。包容力を具現化した雰囲気のお姉さんなのだ。ちょっと天然だけど。

 俺と逸美ちゃんはいつものように、いつ依頼人が来てもいいように二人並んでソファーに座って、読書をしていた。

「あっ」

 思い出したように声を上げる逸美ちゃん。

「どうしたの?」

「ちょっと買い物に行かないといけないんだった~」

「俺もついて行こうか?」

「大丈夫よ。ちょっとスーパーに行くだけだから。このあと行ってくるわ」

「うん。了解」

 また俺が読書に戻ろうとするが、ふと俺も思い出した。

「そういえば」

「なに?」

 俺は窓の外を見て、

「今日はあのマンガの新刊が発売する日だったなって思って」

「ああ、あの仲良し姉弟のコメディ漫画ね。わたしも読みたいな~」

 幼なじみで姉弟のように仲のよい俺と逸美ちゃんとちょっとかぶるところがあっておもしろいマンガなのである。

「せっかくだし、俺も買ってくるよ」

「わたしもついて行こうか?」

「大丈夫。逸美ちゃんだって買い物あるんでしょ?」

「うん。じゃあ、それぞれお買い物ね」

 読書の途中だったけど、集中が途切れていたところだし、マンガも読みたくなったので俺はそろそろ出ることにした。

 立ち上がって、

「逸美ちゃん。じゃあ俺、先に行ってくるね」

「はーい。いってらっしゃい。わたしもすぐに出るわ」

「うん。またね」

 俺は探偵事務所を出て、本屋さんに向かった。

 助かることに、本屋さんまではそう遠くない。

 探偵事務所から一番近いスーパーと、探偵事務所から一番近い本屋さん、それぞれ別方向にあるけど距離は同じくらいなのだ。

 本屋さんに到着し、適当に店内を回ったあと、ほんのちょっとだけ立ち読みして、目当ての本を買った。

「ありがとうございましたー」

 店員さんの声を背中に店を出る。

 本をバッグにしまい、俺は再び探偵事務所に向かって歩き出した。

 それから約十分、探偵事務所の前まで来た。

 逸美ちゃんが行くスーパーは、探偵事務所を通り越して正面方向だ。だからこの辺で逸美ちゃんも帰ってきて、会わないかなっと思っていたけど、姿は見えない。まあ、逸美ちゃんは買い物が遅いからな。

 ドアの前や階段を上りながら鍵を探さなくていいように、いまのうちにバッグの中から取り出そうとする。

 が。

 俺はそう思ったところで、固まった。

「しまった。鍵忘れた!」

 どうしよう。

 急いでカバンを漁るが、見つからない。

「やっちゃった」

 なんたる失態。逸美ちゃんが買い物を終えて戻ってくるまで、ずっと外で待ってなくちゃいけないなんて。

 季節は冬。

 外は寒い。

 このまま外で待つのはちょっと辛いな。

 どこか避難できる場所があればいいんだけど、ご近所の家にお邪魔するのも忍びない。

「寒っ」

 極寒というほどの気温じゃないから、普通は大丈夫なんだろうけど、俺は寒がりだからちょっと厳しい。

 あとどのくらいで帰ってくるんだろう。

 電話をかけてもつながらないし、この分だとメールに気づくのがいつになることか。

「うーん……」

 腕を組んでうなっていると、こっちの方へと歩いてくる人影が見えた。

 誰かがこの道を通りかかるだけかと思って見てみると、向こうから歩いてきていたのは、なんと探偵事務所のお向かいの大分良人(おおいたよしひと)さんだった。

 名前の通りいい人で、他に特徴を上げるなら、どこからどう見ても普通。ただちょっと冴えない雰囲気をまとっていて、ヒゲが濃い。それくらいの優しいお兄さんだ。

 良人さんは俺に気づいて軽やかに手を挙げる。

「やあ。開くんじゃないか。どうしたの? こんなところで」

「こんにちは、良人さん。ちょうどいいところに来てくれました!」

「へ?」

 小首をかしげる良人さんに事情を説明した。

 すると、良人さんはプッと笑った。

「わかるわかる。ボクもそういうつまんないミスやっちゃうんだよね。そういうことなら、逸美さんが戻ってくるまでうちにいなよ」

「ありがとうございます!」

 良人さん、なんて優しいんだ。

「ボクもいま帰りだから、部屋はこれから暖めるけど、コタツにでも入っていればすぐにあったかくなるよ」

 ほんといい人。

 俺は良人さんの暖かい言葉に身も温まる思いで、良人さんのおうち(正確には良人さんが居候させてもらっている家)にお邪魔した。

 一応、探偵事務所の壁には逸美ちゃんもすぐわかるように、『鍵を忘れたから良人さんの家にいるね 開』と貼り紙をしておいた。さらにメールもしたから帰れば気づくはず。

「お邪魔します」

 良人さんの家の居間は、洋室なんだけどコタツがある。そういう家も多いと思うけど、結構落ち着くのだ。

 コタツでぬくんでいると、良人さんがコーヒーを淹れてくれた。

「どうぞ」

「わぁ。ありがとうございます。いただきます」

 やっぱりいい人。俺もこういう優しい人になりたいものだ。

「開くん、どこ出かけてたの?」

「本屋さんに行ってました」

「参考書とか問題集を買いに?」

 俺は笑いながらかぶりを振る。

「違いますよ。ただマンガを買いに行っただけです」

「そっか。開くんって優等生なイメージだから、ついそっちかと。でも、マンガかぁ。どんなの読むの?」

「え?」

 しまった。墓穴を掘った。とある美男美女の姉弟が主人公のコメディなんだけど、このマンガを見せたら俺が姉好きに思われてしまう。ギャグっぽい雑な絵柄ならあははと笑って流すんだろうけど、このお姉ちゃんキャラは絵柄も可愛いし逸美ちゃんに似ているところもあるし(本人は気づいてないけど)、それになんか変にあれだし……。

 て、あれってなんだよ!

「か、開くん?」

 頭の中で自分に自分でつっこんでしまっていた。

 気を取り直して、俺は笑顔を作る。

「ただのくだらないコメディ作品ですよ」

「え、コメディ? ボク、コメディ好きなんだ。純愛物も好きだったりすんだけどね、顔に似合わず。あはは」

「あはは」

 俺も調子を合わせて笑っておく。

「せっかくだから読ませてくれない?」

 きた。

 やっぱりそうなるよな。

 どうやってかわそう。

 いや。でも、俺の考え過ぎなんじゃないのか?

 このお姉ちゃんキャラを良人さんが見ても可愛いと思うかはわからないし、姉と弟って設定が俺と逸美ちゃんに多少似てるところがあっても、それで俺が逸美ちゃんのことが好きだとか……て、なに言ってんだ俺! 口には出してないけど。

 良人さんは心配そうな顔で、

「か、開くん、大丈夫? 頭を抱えたりなんかして」

 ハッ。

 俺はそんなことまでしていたのか。まあ、こういうときの常套句はあれだな。

「すみません。なんでもないです。俺、寒いとくらみが出たり貧血っぽくなっちゃうこともあって。最近は大丈夫だったんですけどね。ははっ。あ、マンガは俺がまず自分で読んでからでいいですか? そのあとならお貸ししますよ」

「開くんも大変だね。気をつけてね。マンガのほうは大丈夫だよ。ボクよりまず開くんが読まないとだもん、失敬。あはは」

 すごい気を遣ってくれてる……。それほど身体が丈夫じゃないってのは本当なんだけど、言い訳がおかしな誤解を与えてしまったな。でも、まあいいか。

 気まずくならないように、良人さんがテレビをかけてくれようとした。

 そのとき。

 ピンポーン。

 玄関のチャイムが鳴った。

「なんだろう? ちょっと行ってくるね」

「はい」

 逸美ちゃんかな。良人さんの家にはお客さんもあまり来なそうだし、このタイミングならきっと逸美ちゃんだ。

 そう思ってコタツで温まっていると、良人さんが戻ってきた。しかも、隣に変なやつを連れて。

「やあ。開」

 ビニール袋を持った少年が飄々と言った。

 このお気楽マイペースな少年は柳屋凪(やなぎやなぎ)。

くせ毛が特徴の俺の中学時代のクラスメートで、情報屋をしているこいつは現在でも探偵として交流がある。また、俺や逸美ちゃんも所属する少年探偵団のメンバーでもあるのだ。だからよく探偵事務所にも遊びに来る。

「どうしてここに?」

 俺が質問すると、凪はやれやれと手を広げて答える。

「そりゃあ、キミが鍵を忘れたせいさ。ぼくが行ったら閉まってるんだもん。貼り紙を見てやってきたってわけさ。ちなみに、あの貼り紙にぼくの名前も追加しておいたよ」

「悪かったな。鍵忘れて。つーか、おまえ探偵事務所の合鍵渡しただろ? それ、どこやったんだよ?」

「ぼくが知るもんか。また開が忘れたんじゃないの?」

「そんなわけないだろ。もう、おまえが失くしたら、どこかでその鍵を拾った人がいるかもしれないし、事務所が危険になるじゃないか。鍵も交換しないといけないよ」

「大丈夫。どうせぼくの持ち物とか部屋とかどこかにはあるから。どこかに落とすなんてことはしないって」

 どこまで信用していいかわからないが、整理整頓も得意そうじゃないこいつのことだ。本人の言うようにどこかにはあるのだろう。

 そういえば、こいつ探偵事務所に一人で来るときはいつも探偵事務所じゃなく良人さんの家のチャイムを間違えて鳴らすのに、貼り紙を見たってことは、今日は真っ先にあっちに行ったのか。やっぱりわざとやってるとしか思えない。

 凪は「よっこらしょ」と座って、コタツに入る。

「ふぃ~。オコタは日本人の鏡だね~」

「オコタは日本人どころか人間じゃねーよ。おまえの言いたいことのニュアンスはわかるけどさ」

 俺の言葉に、良人さんもうなずく。

「日本の文化っていうか、日本人の心のふるさとだよね」

 ふるさとっていうのもちょっと違う気がするけど、ニュアンスは伝わったよ。

 さらに凪も腕を組んでうなずいた。

「そうそう。だろ? 日本人らしい温かさを、物理的にも表現している。さらに、日本人らしく足も短い。うん、ザ・日本人だね~」

「まんまの意味で言ってたのかよ!」

 凪も良人さんも、俺のつっこみには興味もなさそうにコタツでリラックスしている。

 いそいそと持ってきたビニール袋からお菓子を取り出す凪。自分で買ってきたお菓子を広げて、良人さんに淹れてもらったコーヒーを飲みながら食べ始めた。勝手なやつだ。まあ、かくいう俺もちょっとお菓子をもらうんだけど……。

 俺は凪と良人さんがまったりしている横で、バッグから英語の参考書を取り出した。

「開、こんなところでまで勉強しなくてもいいんじゃないかい?」

「こんなところで悪かったね」

 と、良人さんがぼやく。

 そんな良人さんの手前、俺は「あはは」と苦笑いだ。

 凪が自分のバッグをガサゴソと漁っている。

「ん? 凪くん、なに探してるの?」

「あった。これこれ」

 そう言って凪が取り出したのは、トランプだった。

「ぼく、UNO強いんだぜ。やろうよ。きっと楽しいよ」

「トランプじゃないか」

 軽い俺のつっこみに、凪は小首をかしげて、

「えっと、ぼくいまアメリカ政治の話なんてしてないぜ?」

「そうじゃないっ! おまえが持ってるのがトランプだって言ってんだよ!」

「ははっ。そんなバカな……ハッ」

 言われて、ようやく気づく凪。おバカはおまえだ。

 良人さんは懐かしそうに微笑みを浮かべる。

「へえ。トランプか~。ボクも、昔はブイブイ言わせてたなぁ。七並べのよっちゃんって呼ばれてたんだぜ」

 凪は俺に向き直ってトランプの山を切る。

「なににする? 七並べ以外ならなんでもいいぜ」

「ちょっとっ! ここは七並べでしょ。ボクに対する嫌がらせ?」

「よっちゃんもこう言ってるし、間を取ってババ抜きにするか」

「どこの間も取ってないよね? ボクの意見を無視しただけじゃない? 凪くん」

 実質そうだけど、俺はなんでもいいから口を出さず、配られたカードを手に取った。

 良人さんも凪に合わせてカードを取り、俺たちは三人でババ抜きを始めた。

「まず、誰から行く?」

 俺が聞くと、凪が手を挙げた。

「はいはい。ぼくから引く」

「じゃあボクのを引いていいよ。時計回りだ」

 だが、このタイミングで玄関のチャイムが鳴った。

 ピンポーン。

「今度こそ逸美ちゃんかな?」

「そうかもね。ボク見てくるよ」

 良人さんが出ている間に、凪は良人さんが伏せておいた手札をまじまじと見る。自分のカードと見比べて、どこを引けばよいのか見て確認しているらしい。

「ズルするなよ」

「違うよ。おかしなカードがまじってないかの確認」

 良人さんの足音が居間の方へ迫ってきて、凪は不正行為をやめてさっと姿勢を正す。

「おかえり。それじゃあ始めようか」

「開さん、こんにちは」

 金髪ツインテールの少女がぺこりと頭を下げて挨拶した。

「あ、鈴ちゃん」

 お嬢様然としたこの少女は御涼鈴(みすずみすず)。中学生三年生の女の子で、この子も少年探偵団のメンバーだ。そのためよく探偵事務所に遊びに来る。だから聞かなくてもわかる。鈴ちゃんも、凪同様に探偵事務所に来たけど鍵が開いていなかったというやつだ。

「先輩、あたしが来たんだからやり直しですよ」

「え~。カード切るの面倒くさい。鈴ちゃんは良人さんとペアね」

「嫌ですよ! なんであたしが良人さんとペア組まなきゃいけないんですか!」

「なんかごめんね」

 と、謝る人のいい良人さんに、失言にハッとした鈴ちゃんが何度も頭を下げる。

「すみません! すみません! 失礼なこと言ってすみません! そういう意味じゃなくてですね――」

「いや、いいよ」

 許してくれる優しい良人さん。

「これからは気をつけるんだぞ」と凪。

「はい。今後はこのようなことがないよう……て、先輩が言い出したからでしょ!」

 俺は改めて鈴ちゃんに聞いた。

「探偵事務所行ってみた?」

「はい。それで、あたしも鍵をおうちに忘れてしまったので、貼り紙に自分の名前も書き足してきました」

 探偵事務所の合鍵は、少年探偵団である鈴ちゃんも持っているのだ。

 良人さんが鈴ちゃんにもコーヒーを淹れてあげて、さらにおかわりを要求した凪の分も淹れ直してあげて、やっとみんなが席についた。

 俺はみんなにカードを配った。

「それじゃあ、ババ抜きを始めるよ。時計回りね」

「一番はぼく。いろんなミカエル」

「それを言うなら、異論は認める、だろ? なに天使の名前持ち出してんだよ」

「先輩、無理やり間違えないでください」

 俺と鈴ちゃんがつっこむがすでに凪は聞いてもいなかった。

 凪が引こうとして、良人さんはにやりと構える。

 急に、凪が窓の外を指差した。

「あっ」

 みんなの視線が窓の外へ向かう。

 その隙に、凪が良人さんの手札をペロリとめくり、確認する。凪のするくだらない行動パターンをわかっていた俺は、じぃっと凪を見る。

 凪は俺に気づき、ウインクして、口を動かす。

「ババがあるよ」

 と、口の形が言っている。当たり前だ。引かせる側があんなにニヤニヤしてたら一発でわかる。しかもそれが演技力のない良人さんであれば疑いようがない。

 ちなみに、鈴ちゃんが一番わかりやすく、絶対すぐ顔に出る。リアクションがあれだけビッグな子だから警戒の余地はない。残り一対一になったら、一番当たりたい相手だ。

 で、問題は凪。

 こいつはポーカーフェイスなので、いつ嘘をついているのかわかりにくい。ババを持っていてもそれ自体を楽しむやつだから「しまった」という表情にならないし、さっきの俺に教えてくれた良人さんがババを持っているという情報も、凪の嘘かもしれないくらいだ。

 俺は全員をよく観察して、そのあとも順調に進めていった。

 途中、ババが俺に回ってきたので、最初の凪の言葉が真実だとわかったわけだが、手札がみんな残り三~五枚の中これを持っているのは美味しくない。

 自分の手札からババが消えた良人さんは嬉しそうにニタニタしているから、俺のところにババが回ってきたのがバレたかもしれない。

 手順は、凪→良人さん→俺→鈴ちゃん、だから、次は俺が鈴ちゃんに引いてもらう番だ。

 俺は鈴ちゃんに向けて構える。

「どうしようかな。えーと、これにします」

 やった!

 ちょうど、鈴ちゃんはババを引いた。

 引いたカードを確認する鈴ちゃん。

「キャッ! えっ! いやっ」

 リアクションしてから、慌てて口を押える鈴ちゃん。もう完全にバレたぞ。

 凪が頭の後ろで手を組みながら、飄々と言った。

「ほうほう。鈴ちゃんの元にババが来たんですな。ぼくには回さないでね」

「べっ、別に、ババなんて来てないですよ? 本当ですから。ババなんて、きっとまだ開さんが持ってると思いますけどね」

 凪がジト目で鈴ちゃんを見て、

「なーんで開が持ってるってわかるのかな?」

「そ、それは、その、あれですよ。あたしの少年探偵団の一員としての活躍で磨かれた観察眼が反応したっていうか」

「少年探偵団の雑用係が観察眼を発揮したところをぼくは見たことがない」

「もぉ! いちいち言わないでくださいよ。なんでもいいから早く引いてください!」

「まあ本当になんでもいいけどさ。じゃあ引かせてもらうね」

 鈴ちゃんが真剣な顔で構える。

 あんまり力が入っているもんだから、前のめりになって、俺から手札が見えてしまっている。言わないでおくけど。

 しかも、視線がババに向いているから位置もバレていることだろう。

 凪の手がカードの上を一枚ずつ通り過ぎるようにスライドする。

 ゆっくり動き、凪は鈴ちゃんの表情を見ていた。鈴ちゃんは相変わらず、凪の手と自分の持っているババしか見ていない。

 ふっと、凪がババの上で手を止める。

 鈴ちゃん、これには満面の笑みだ。にんまりしてほくほくしている。

 凪はそんな鈴ちゃんを見て、ニコニコ笑う。

「うんうん、鈴ちゃんは本当に可愛いな」

 と、凪は鈴ちゃんの手札からババの隣を引こうとした。

「ふえ? な、なに言ってるんですか? 急にやめてくだしゃい」

 照れて噛んでしまった鈴ちゃん。その照れ隠しの反動で動いてしまったので、凪は誤ってババを引かされてしまった。

「べ、別に、あたしはパパに可愛いって言ってもらえることはあるけど、きゅ、急になんなんですかっ。もう」

 と、嬉しそうにトランプで顔を隠す。

 本当にわかりやすい子だ。ファザコンだけど、凪のことを好いているのは傍からもよくわかるので、いまの一言はかなり嬉しかっただろうと推察できた。

 対して凪は、ババを引かされて、驚愕の表情を浮かべている。

「前言撤回。なんたる策士……! こんな演者が隠れていたなんて。鈴ちゃん、やるな。もうその変な演技はいいぜ」

 真剣な表情になり、本気モード風に鈴ちゃんに言った。

 凪は本気で鈴ちゃんの気持ちに気づいていないらしい。本当のおバカだ。どうでもいいから俺はなにもしないけど。

 まだ照れて転がっている鈴ちゃんのことは放っておき、良人さんは凪の手札から真剣に一枚選んでいる。

「凪くん、キミがババ持ってる?」

「いいえ。うちでジャイアントモアは飼ってないないです」

「ババで間違えたんだから、せめてジャイアント馬場って言ってよ。え? これってどっち? 持ってるの? 持ってないの?」

 良人さんは小難しい顔して考えていたが、一枚選んだ。

「ええい! これだ」

 引いた瞬間、凪の口の端がニッと歪んだのが見えた。

 今度は良人さんか。

 そのとき、またもや玄関のチャイムが鳴った。

「もしかして、逸美ちゃんかな?」

 しかし、俺がそう言っても誰も反応しない。

 良人さんはやってしまったという悲壮感が漂い、ババが回ってきたショックを受け、鈴ちゃんはまだ照れている。凪はのんきにコーヒーを飲んでいた。

「じゃあ俺が見てくるね」

 席を立ち、一応変なマネはされないように手札のカードは持って玄関へ行った。

 ドアを開けると、逸美ちゃんがいた。

「あ、逸美ちゃん」

「ごめんね、電話気づかなくて。途中で高校のときのお友達に会って、長話をされちゃったの~」

「ううん。逸美ちゃんも上がったら?」

「はーい。みんないるならお邪魔しちゃおうかしら」

 そして、さっきのババ抜きをさっさと終わらせて(結局俺がババを引かなかったから負けは良人さん)、逸美ちゃんも交えてみんなでまたババ抜きをした。

 夕方。

 外はもう暗くなっていた。

「みんな、今日は楽しかったよ。また遊びに来てね」

 そう言って良人さんが見送ってくれて、凪が誰を見るでもなく言った。

「良人さんにとって、今日はかけがえのない大切な思い出になった。初めての友達とのトランプは、彼を悲しみのふちから救い出してくれたのだった」

「凪くん、変なナレーションいらないから。ボク友達なら大学にも普通にいるし。あと、みんなもう鍵を持って行くの忘れないでね」

「良人さんもね」

 と、凪が胸を張る。

「ボクは大丈夫だったんだけどね。あはは」

「じゃあね」

「バイバ~イ」

「お邪魔しました」

 こうして、俺たちは良人さんの家を出た。

 俺は逸美ちゃんに向き直る。

「さて。それじゃあ、探偵事務所に戻ろうか」

「そうね。えっと、鍵はっと――。あ……良人さんのおうちに忘れちゃった~」

「ズコー」

 俺と凪と鈴ちゃんは良人さんの家の前でズッコケた。


おわり

AokiFutaba Works 蒼城双葉のアトリエ

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