あの人に傘を届けよう

「あ……。雨」

 外を見ると、雨が降っていた。

 ちょうど降ってきたところだったらしい。

 俺は天気予報を見て雨が降る可能性も考えていたから、ちゃんと折りたたみ傘を携帯していたのだ。

 バサッ。

 傘を開いて、俺は昇降口を出る。

 パツパツと雨が傘を叩いて、周囲の雑音も遮断された気分になる。

 こういうところは、雨の日も嫌いじゃない。まあ、とはいっても、雨はそんなに好きではないんだけどさ。


 俺は明智開。

 世間からは探偵王子と呼ばれる高校二年生の少年探偵だ。

 現在、学校も終わって放課後。

 いつものように探偵事務所へ向かって歩いていた。

「フフフフーン」

 雨の日はテンションが下がりがちなので、あえて鼻歌を歌う。

 足を早めて歩き、しばらしくして探偵事務所に到着した。

 だが、鍵がかかっている。

 この探偵事務所の管理をしている大学一年生のお姉さん・逸美いつみちゃんが、いまはいないのだろうか。普段はいるんだけど、大学生だし授業の関係でいないこともある。

「逸美ちゃん、いないの?」

 ノックしながら呼びかけるが、反応はない。

 預かっている合鍵で入ると、やはり逸美ちゃんの姿はなかった。

 テーブルを見ると、メモが置いてある。

『開くんへ。スーパーに買い物に行ってきます。すぐに戻るからいい子で待っててね。しっかり者でかっこいいお姉ちゃんより』

 あんまりしっかり者でもかっこいいタイプでもないような……。むしろおっとりとした天然さんだし。どこまで本気なのかネタなのかわからない。

 ちなみに、このお姉ちゃんという単語を使う理由は、幼なじみの俺を本当の弟のように可愛がっているからだ。

 まあ、そのうち帰ってくるだろう。

 自分でお茶を淹れてソファーに座ろうとする。

 が。

 和室のほうが開けっ放しになっていたから、そこに置いてある逸美ちゃんのバッグが目に入った。しかも開いていて中身が見えている。

「あれって、折りたたみ傘?」

 近づいてみると、やっぱり折りたたみ傘だった。

「どこがしっかり者だよ」

 俺が学校を出るときにちょうど降り出したし、逸美ちゃんはまだ雨が降ってないときに出たのかな……。

 だったら、いまは雨が降ってるし濡れてしまう。

 仕方ない。

 しっかり者の俺が持っていってやるか。

 まずはメールをして状況を確認する。

 数分して返信がなかったので、逸美ちゃんが行きそうなところに行ってみることにした。

 メモにはスーパーに行くとあったから、一番近いあそこだろうと検討をつける。

 俺は自分の折りたたみ傘を開いて出発した。

 すると、正面から知った顔が歩いてくる。

「やあ。開くんじゃないか」

 探偵事務所のお向かいに住んでいる大学生、良人さんだ。どこからどう見ても普通のちょっと冴えない雰囲気のお兄さん。だけど名前の通りとにかくいい人。

「こんにちは。いま帰りですか?」

「そうだよ。授業も終わったし、今日は雨だから早く帰ってきたんだ」

「お疲れさまです」

「開くんはいまからどこか行くのかい?」

「はい。ちょっと前に逸美ちゃんがスーパーに買い物に出かけたんですけど、傘持ってないと思って届けに。逸美ちゃんってちょっとおっちょこちょいですからね。ははっ。では」

 俺はたったと歩き出す。

 そのあと良人さんが小首をかしげて、

「あれ? でも肝心の開くんも自分の傘しか持ってないような……。まあ、開くんもしっかり者ぶってるけど、意外と抜けてるからな」

 と、つぶやいたのを、俺は知らなかった。

 なにも知らずに俺は歩く。

 その近所のスーパーといっても、一番近いそこですら徒歩で十分弱かかる。探偵事務所まで傘もささなかったら絶対びしょ濡れだ。

 歩いていると、今度はくせ毛の少年がいた。

 少年の名前は凪。同じく高校二年生で、情報屋をしている、俺とは少年探偵団の仲間。少年探偵団は探偵事務所で働いているわけではないけど、必要なときに集まるチームみたいなものだ。そういう意味でも、凪はよく探偵事務所にも遊びに来るのである。

 見ないフリ。

 なぜなら、凪はトラブルメーカーで俺に迷惑ばかりかけるから。

 凪はなにが楽しいのか、傘をさして一人で木から落ちてくる雨粒を受けていた。

 ホント、なにやってんだか。することないなら帰れよ。

 傘で顔を隠して通り過ぎようとしたとき、凪に呼びかけられる。

「お? あれは、傘で顔は確認できないけど、ぼくの大親友の開じゃないか」

 見ないフリ見ないフリ。

 せかせか歩くが、凪が「あ!」と声を上げる。

「あっちにドラえもんのラッピングカーが走ってる。かっこいい~」

「え?」

 マジで?

 スマホを取り出しながらバッと振り返ってカメラを構えるが、走ってきたのはラッピングカーじゃなくてただの青いトラックだった。

 バシャ―っと水が跳ねてズボンが濡れる。左側がびちょびちょだ。

 凪が平然とした顔で俺を見て、

「あ、やっぱり開だ」

「開だじゃねーよこのおバカがよー!」

 と、俺は凪の傘を投げて凪の頭をぐりぐりする。

「痛い、痛いって」

「ったく。俺のドラえもん好きな純真な心を弄びやがって」

 ぐりぐりをやめて傘を拾うと、凪がぼそっと。

「あんな暴力的で親友を無視する人のどこが純真なんだか」

「なんか言ったか?」

「いや、別に~」

 鳴らない口笛を吹いてそっぽを向く凪。

「そうかよ。じゃあな」

「待ってよ。どこに行くのさ」

「おまえには関係ない。ついてくるな」

「お構いなく~」

「それはこっちのセリフだろ? もう。しょうがないな。勝手にしろ」

 どうせ俺がなにを言ってもついてくるものはついてくるのだろう。

「うん。そこまで言うなら、ぼくも我慢や遠慮もせず、たまには自由にやらせてもらうか」

「いつも誰よりも自由なおまえが言うな!」

 どの口が言ってんだか。

 凪を引き連れて、俺はさらに進む。

「ねえ、開。どこに行くの? ぼくも予定があるからちゃんと確認しておきたいんだけど」

「予定があるならついてくんなよ」

 笑顔を作って言ってやるが、凪はため息をついて、

「やれやれ。ぼくだって忙しいのに振り回さないでよね」

「おまえが言うな!」

 ほんとなに言ってんだこいつ。イライラする。

「で、おまえはこのあとなにがあるんだ?」

「ぼくはちょっとね。キミに言っても理解されないかもしれない」

「確かに、俺はおまえが言ってることのほとんどができないからな」

「ごめんよ、難しい言葉を使ってるつもりはないんだ」

「そうじゃねーよ! おまえが論理的じゃない意味不明なことばっかり言うからだろ!?」

 もういい。

 俺は足早になる。

 凪はそれでもついてきて、後ろから聞いた。

「それで、開はこっちに来てるってことはスーパーにでも行くのかい?」

「そうだよ」

 ぶっきらぼうに言って、ずんずん進むと、スーパーが見えてきた。

 よし。

 あそこまで行けばもう凪とはさよならだ。

「さあ。スーパーに到着したぞ」

 俺が折りたたみ傘をたたんでスーパーに入ろうしていると、折りたたみではない普通の傘をさっとたばねて凪が先に店内へ入って行った。

「なんだよ、あいつも来るのかよ」

 さて、俺は俺で逸美ちゃんを探そう。

 逸美ちゃんって足りない物をこれって急いで買いに行くとき以外は、いつも買い物に時間がかかるタイプなのだ。

 だから、まだゆっくりと店内を回っている可能性だってある。

「あ、でも誤差は三十分弱か。逸美ちゃんは雨だと歩くのがちょっとゆっくりになるから、せいぜい二十分。うん、まだ買い物していておかしくないな」

 レジの並びの前を突っ切って歩いていると、反対のお惣菜コーナーに逸美ちゃんがいた。

 やっぱりいた。

 でもなんでお惣菜なんだ。

 近づいていく。

「うーん。こっちのコロッケだったらいますぐ食べられるけど、このコロッケなら事務所で開くんもいっしょに食べられるし……。ああ、でもメンチカツもいいわ~。じゅるり」

 よだれを拭く動きをして悩んでいる逸美ちゃん。

 なんだか逆に声かけにくいな。

「考えたら、開くんはコロッケ食べないって言うかもしれないわ。ならどっちも買ってわたしひとりで――」

「逸美ちゃん」

 呼びかけると、ビクッとして逸美ちゃんが振り返って俺を見る。

 完全にナイショでひとりで食べようと決めたときに声かけてしまったっぽい。

「やだ~。開くん、なんでこんなところに?」

「雨がね、降ってきて。逸美ちゃん傘持ってないんじゃないかと思ってさ」

「え? 雨降ってるの? 傘忘れちゃった~。でも、ありがとう開くん。さすがわたしの可愛い弟ね。うふ」

 喜んではいるのだが、さっきの独り言を聞かれたんじゃないかという気まずさが逸美ちゃんには垣間見える。チラ、チラと俺を見てくる。

「弟じゃないって。ていうか、メモにしっかり者のお姉ちゃんとか自分で書いておいて、全然しっかりしてないんだから」

「えへ。うっかり」

「まあ、俺がしっかりしてるからいいけどね」

「さすが開くぅ~ん」

「それより、逸美ちゃん。コロッケかメンチカツでも買うの?」

「うん。ま、まあね~。開くんの分も買おうか検討していたの」

「結果、ひとりでコロッケとメンチカツの両方を食べることに決めたのよ~」

 と、凪が逸美ちゃんの口真似をする。

「まだ決めてないわよ~。て、凪くん?」

「やっ」

 凪がすちゃっと手を挙げて挨拶する。

「びっくりしちゃったわ~。もう、いるならいるって言ってよ~」

「でさ。結局どうするの?」

「そうね。せっかく可愛い開くんがお迎えにまで来てくれたんだもん、みんなの分も買ってあげちゃうわ」

 にっこり微笑む逸美ちゃん。

「やったね」

「うふふ。凪くんも開くんの付き添いありがとう」

「いえいえ。大親友として当然の仕打ちをしたまでです」

「それを言うなら当然のことをしたまでよ~」

 あははは、と二人で笑っている。

 そんな凪に俺は言ってやる。

「なんでおまえまで食べようとしてるんだよ? それに、大親友ではないが仕打ちで合ってたぞ、おかげでズボン濡れちゃったしな」

「あら、大変~」

 と、逸美ちゃんがハンカチを取り出して俺のズボンを拭いてくれる。

「あっ、そこはやめて。いいから……」

 逸美ちゃん、変なところまで拭かないで……!

「あら、ヘンタイ~」

 と、凪もハンカチも出さずに俺のズボンをさする。

「それを言うなら大変だ。微妙にこのシチュエーションじゃ間違ってないけど」

 俺は凪だけはがす。

 しゃがんでいた凪がぽてっと尻もちをついてコロンとなるが、また起き上がる。

「凪くん、起き上がり小法師みたいね」

「起き上がり小法師?」と俺が首をかしげる。

「コロンと倒れてもまた起き上がる、お尻がまあるいお人形さんよ」

「なるほど」

「七転び八起きを表しているのよ」

 それを聞いた凪が腕を組んでうなずく。

「ほうほう。七転八倒とはまさに開のようですな」

「七転び八起きだ! それじゃ転ぶほうが多くなっちゃうだろ?」

「どっちでもいいじゃない。最後に起き上がればいっしょさ」

「いっしょじゃない!」

 逸美ちゃんがうふふと笑って俺たちを眺めて、コロッケとメンチカツを買ってきて、そろってスーパーを出る。

「もう食べようぜ」

 凪が食べたくて仕方ないように言うが、俺は手で制す。

「お行儀が悪いぞ。帰ってから食べればいいじゃないか」

「たまにはいいじゃない~」

「そうそう、いいじゃない~」

 逸美ちゃんと凪が言って、二人はさっそく食べようと袋を開ける。

「もう、スーパーの入り口でこんなことして」

 呆れて言うが、そのとき、俺のお腹がぐ~と鳴った。

「ほら。開くんも」

 逸美ちゃんが袋を開けてコロッケを俺に手渡す。

「うん。そうだね。食べるか」

 はむっとかじりつき、みんなで食べる。

 主婦らしい人が店内に入ろうとしていたので、俺たちは道を開ける。

「邪魔になるし、そろそろ行こうか」

「そうね」

 凪は自分の傘を開く。

 俺もさしてきた折りたたみ傘を開いたが、俺は痛恨のミスをしたことに気づいた。

「ごめん、逸美ちゃん。俺、逸美ちゃんの傘忘れた」

「あら~」

 ちょっぴり困ったように声を漏らす逸美ちゃん。

 凪は俺たちを見て、

「やれやれ。うっかり者コンビのお相手ができるのは、しっかり者のぼくだけですな。まあ逸美さん、開の傘にでも入れてもらいなよ」

「そうするわ~」

 ふふっ、と嬉しそうに俺の傘に入って来る逸美ちゃん。

 本当は凪におまえのどこがしっかり者だと言いたかったが、いまは気持ちも穏やかだし許してやるか。

 俺たちはスーパーを出て歩き出す。

「そういえば凪」

「ん?」

「このあと予定があるって言ってたけど、なんだったの?」

 聞かれて、凪の額に汗が浮かぶ。

 そのとき、後ろから声が聞こえてきた。

「あ! 見つけましたよ、先輩!」

 声の主は鈴すずちゃんだ。

 金髪ツインテールの中学三年生で、俺たちと同じく少年探偵団のメンバー。いつも凪に振り回されている子だ。

 どうせ、また情報屋の仕事を鈴ちゃんに押し付けて逃げて回っていたのだろう。

 凪は振り返りもせず走り出す。

「待ちなさーい!」

「開、逸美さん、コロッケ美味しかったよ~。ごちそうさま~」

 レインコートに身を包んだ鈴ちゃんのほうが傘を持って走る凪より有利だと思ったが、凪は傘を高くかかげ、壁を足場に空にジャンプする。

 すると。

 ファサっと風に乗って浮かび、飛んだ。

「どうなってるの?」

 戸惑う鈴ちゃん。

「さらば~」

 そう言って、凪は家の塀を超えて別の通りのほうへと消えたようだった。

「逃がしませんよ~!」

 やる気に燃える鈴ちゃんはまた走り出す。

 俺はぽつりとつぶやく。

「なにやってんだ、あいつは……」

「ほんとほんと。しつこくて嫌になっちゃうよね~」

「これは鈴ちゃんじゃなくておまえに言ってるの。て、凪!?」

 するりと電柱から凪が降りてきた。

「じゃあさっきのは?」

「変わり身の術の小道具」

「忍者かよ。よくやるよ、おまえは」

「やってやったぜ。えっへん」

「褒めてねーよ。胸を張るな」

「じゃ」

 凪はさっきとは逆方向にふわふわと軽い足取りで走り去った。

 忙しいやつだな。

 俺は改めて、逸美ちゃんに向き直る。

「それじゃあ逸美ちゃん、帰ろうか」

「そうね」

 相合い傘をしながら、ふたり並んで歩き出す。

「そういえば、逸美ちゃんはなに買いに来たの?」

 考えたら、まだ聞いていなかった。

 逸美ちゃんは足を止める。

「うーん、なんだったらかしら……」

 苦笑いで俺はつっこむ。

「やっぱりしっかり者じゃないね」

「ほんとね~。まあ、いっか~。うふふ」

 俺もあははと笑って、歩き出した。

 かくして、うっかり者コンビの俺と逸美ちゃんは探偵事務所に戻り――

「あっ」

 俺は逸美ちゃんに向き直った。

「逸美ちゃん、なにか思い出した?」

 あっ。

 質問しておいて、俺はテーブルを見て気づいた。

「ボックスティッシュ……」

「買うの忘れたね……」

 結局、また俺と逸美ちゃんは買い物に出かけたのだった。


おわり

AokiFutaba Works 蒼城双葉のアトリエ

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