なんにしたって家族は多いほうがいい
明智家。
俺が帰宅すると、いい匂いがしていた。
今日はカレーか。
「ただいまー」
「おかえり、開ちゃん」
お母さんがうれしそうに出迎えてくれた。
「どうしたの? やけにうれしそうだけど。俺、別にテスト返されたりしてないよ」
「そんな自意識過剰なこと言って、今日も調子いいわね」
うふふ、とお母さんが笑った。
「どんな調子のよさだよ。それで、なにかあったの?」
「実はね、凪ちゃんがカレー作ってくれてるのよ。凪ちゃんのカレーはとってもおいしいから、お母さんいまから楽しみで」
「え?」
バタバタバタと走って、お茶の間を通り過ぎるときに「お兄ちゃん、おかえりー」と言う花音に「ただいま」と返してキッチンに行く。
すると、そこにはさっき探偵事務所の方向へと引き返したはずの凪がいた。
「おまえ、なんでまた」
「おお、開。おかえり」
「ただいま」
と、挨拶を返す。
一度こちらを振り返って再度カレーの鍋に向き直る凪に、俺は言った。
「じゃなーい! なんでいるんだよ? カレーとか、普通そんなに早くは作れないじゃないか」
「最初につっこむところがそこ?」
と、凪にジト目で言われる。
む。
そんなのはどうでもいい。
俺がまた別の点について聞こうとすると、凪が答える。
「下ごしらえはお母さんに頼んどいたんだよ」
「人んちの親にそんなこと頼むな」
「人んちの息子にカレーを作るように言う母親になら頼んでもいいだろう?」
くっ。どうやら全面的に悪いのはうちの母親のほうらしい。
それにしても、最近はますますうちに馴染んできてるな。
「わかったよ。でも、それ作ったら……」
いや、作るだけ作らせて帰れというのは可哀想だ、無礼過ぎる。
「その、なんだ、おまえもカレー食べたらさっさと帰れよな」
「了解~」
まったく、うちの家族はどうなっているのか。
凪の鼻歌が聞こえる。
うちのお茶の間は、キッチンとは隣り合っているから、襖が開いてるとキッチンの音がよく聞こえるのだ。
しばらくすると、凪の声が聞こえた。
「お母さん、できたよ~」
「そう? 凪ちゃん、ありがとう」
お茶の間に座って休ませてもらっていたお母さんが、キッチンに行く。なんか母と娘みたいだ。実の娘はテレビを観ながらごろごろしてるけどな、実の息子といっしょに。
お母さんが味見をしたらしく、
「美味しいじゃない」
と、声がした。
かくして、お母さんに「運んで~」と言われて俺と花音がカレーを運んだ。
お父さんは今日もまだ帰ってきていないから、五人で先に食べ始める。
「いただきまーす」
と、俺と花音が声をそろえて言って、一口食べる。
「うん、うまい! 凪、カレー美味しいよ」
「うんうん! 凪ちゃんのカレーうまっ! 名人だよ」
おばあちゃんも小さくいただきますを言ってカレーを食べて、
「美味しいわ」
と、みんなが絶賛した。
凪は照れくさいのか、あんまり得意がったりせずに微笑みを浮かべる。
「そうか。みんなが美味しいと思ってくれたならよかったよ」
夕飯の凪のカレーも盛況に終わって、テレビを見ながら食休みをしているとき、お母さんが俺に言った。
「開ちゃん、お風呂入ったら?」
「うん。でも、凪が帰ってからでいいよ」
「みんな入るの遅くなっちゃうからもういいじゃない」
「いや……」
俺が言葉を詰まらせると、凪が手をひらひらさせて、
「気にするなって。先に入ってくれ。ぼくも開が湯舟を上がって身体や髪を洗っているときに入って湯舟に浸からせてもらうよ」
「やめてくれ。なんで他人と風呂に入らないといけないんだ」
これには、お母さんと花音が俺を諭すように言った。
「そうよ、凪ちゃんもいっしょに入ってくれたら時間も節約できるわ」
「そうだよ、早くいっしょに入っちゃえば? あたし、その次ね」
凪も腕組してうなずく。
「そういうことだから、早くしたまえ」
「むちゃ言うな! 俺は嫌なんだよ。凪も風呂に入るなら先に入ってくれ」
「オッケ~。ぼくが入って十分したら入ってきてくれてもいいからね。じゃあお先~」
え? マジか。こいつ、マジで人んちで普通に風呂に入るのか。
すたすたと凪はお風呂に入りに行った。
俺はため息をついた。
「もうダメだ。この家は終わりだ」
「ん? お兄ちゃん?」
そうだ。家出をしよう。
平気で人んちに馴染む凪に、俺は呆れて家出を決意した。
みんなどうせ、俺がいなくても明智家の子供なら凪がいればいいんだ。
荷造りなんて簡単にはできないし、せめて予行演習として今日だけ泊めてくれる家を探そう。
でも、どこがいいだろう。
やっぱり、俺が頼めるのは……。
電話をかける。
「もしもし。逸美ちゃん? ちょっとお願いがあるんだけど……」
かくして家を出た俺は、逸美ちゃんの家に行った。
逸美ちゃんがお母さんといっしょに迎えてくれた。逸美ちゃんのお父さんもいる。逸美ちゃんのお父さんとお母さんはとても優しい人で、うちの楽天的な両親に比べて基本的に穏やかでのんびりしている。
「開くんがうちにお泊まりに来るなんて、わたしうれしいわ。わくわく~」
ウキウキした逸美ちゃんに、お母さんが言う。
「あんまりハメを外しちゃダメよ」
「お母さん、いいじゃないか。あっはっは」
逸美ちゃんのお父さんも食卓に一人増えて上機嫌だ。
うん、俺がいるべきはこっちの家だったのかもしれない。
デザートにメロンが残っていたらしく、このあとメロンをいただいた。
また、お風呂にも入ったらどうだと言われて、お風呂もいただくことになった。
「さっきわたしが入ったばかりだから温度もばっちりよ。温めておきました」
「ちょっと逸美ちゃん、秀吉じゃないんだから。……て、え? 逸美ちゃん、入ったばっかりなの?」
「うん。開くん、着替えはわたしのTシャツでいいかしら? わたし、背が高くてよかったわ。大きめのシャツなら開くんにぴったりだと思うし」
「いや、いいよ。俺、自分の持ってきたし」
なんかそういうのは普通逆な気がするし、逸美ちゃんの服を着てたらドギマギして今夜は眠れなくなっちゃいそうだ。
「遠慮しなくていいのに~」
「逸美、開くんもお年頃なのよ、うふふ」
「ちょっと、おばさんっ……」
慌てる俺に、逸美ちゃんのお母さんはただただ優しく笑いかける。
そして、俺は逸美ちゃんの家のお風呂に入った。
湯舟はうちよりちょっと広いけど、浴槽自体はうちのほうがちょっと広いだろうか。あと、逸美ちゃんの家のほうが足を伸ばせる。
でも、やっぱり落ち着かない。
この湯舟に逸美ちゃんがついさっき入ってたんだよな……。
いけない、なんか頭がくらくらしてきた。のぼせてきたかもしれない。
家庭によっては湯舟に入る前に頭も身体も洗う人がいると思うけど、うちでは湯舟が先だからついいつも通りに入ってしまった。
さっさと頭と身体を洗って出ようと思ったとき、脱衣所のドアが開いて、逸美ちゃんが声をかけてきた。
「開くん、Tシャツ置いておくわね~」
「いや、大丈夫だよ」
「気にしないの~」
バタン、とドアが閉まる。
まあ、自分が持ってきたTシャツを着よう。
いざお風呂を出て着替えようとすると、俺が自分で用意しておいたものがなくなっていた。変な気遣いをしてくれるものだ。
俺が逸美ちゃんの用意したものに着替えて出ると、リビングではみんなが談笑していた。
ここで、逸美ちゃんのお父さんが俺に言った。
「開くん、うちに来てくれるのはうれしいんだけど、さっき電話したら開くんのお母さんも心配してたぞ。今日は帰ったらどうだい?」
「お母さんが心配? ええと、俺もちゃんと言わないで来ちゃったし……」
「うむ。それなら、決まりだな」
ということで。
俺は逸美ちゃんのご両親にお礼を言ったのだった。
家に帰った。
明智家に戻ると、家族が総出で(テレビに集中していると思われるおばあちゃんは除く)迎えてくれた。
そして、みんなが大喜びした。
「お兄ちゃんおかえりー! 逸美ちゃんもいらっしゃい! 今日は楽しくなりそうだね! わーい!」
「今日は盛り上がるぞー」
「パーティーみたいね~」
花音、お父さん、お母さんと言って、最後に凪が俺に聞いてきた。
「ところで、どうして逸美さんまで?」
実は、俺をひとりで夜道を帰らせるのも心配だということで、逸美ちゃんがついてきてしまったのだ。
俺は大丈夫だと言ったのに、「開くん、可愛い顔してるから」と逸美ちゃんのお母さんが言って、「そうだな。逸美、ついていってあげなさい」とお父さんが言って、逸美ちゃんが「わたしも開くんが心配だから行ってくるわ~」と張り切って、こうなったのだった。
そんな説明を逸美ちゃんがしたのだけれど、凪しかその辺は興味がなかったようだ。
「それで、逸美さんも泊まるの?」
「もちろんだ。なに言ってんだ、凪」
「凪ちゃんったら、なに当然のこと言ってるんだか」
父も母も決めてかかっている。
「逸美ちゃん、泊まっていってよ! 女の子が夜道のひとり歩きは危険だもん」
と、花音が逸美ちゃんの腕を取る。
俺も続けて言う。
「そうだよ。泊まっていって」
「ぼくたちも家族が増えるのは歓迎さ。なんにしたって家族は多いほうがいい」
なぜか凪が明智家の一員のようにぼくたちとか言っているけれど、たまには凪もいて逸美ちゃんもいて、家族が多いのもいいかもしれないな。
逸美ちゃんはにこにこと微笑んで会釈した。
「では、お世話になります」
「今宵は四兄弟仲良く遊び明かそうぜ」
「おー! 楽しもう」
凪と花音が二人ですでに盛り上がっている。
「は~い!」
と、逸美ちゃんも手を挙げた。
俺は小さく笑って、
「そうだな。みんなで遊ぼうか! 三人共みんな昼寝してたからいいけど、俺は眠くなったら先に寝るからな」
「でもお兄ちゃん、ひとりだけ仲間外れにされるの嫌なくせに、ちゃんと起きてられるのー?」
「は? 当然だろ? 起きてられるよ」
逸美ちゃんは胸の前で拳を握って、
「大丈夫。開くんが寝ちゃっても絶対わたしが起こしてあげるからね!」
「あはは。うん、よろしくね」
凪も俺の肩をポンと叩いて言った。
「ぼくたち三人でどれだけ盛り上がったか、明日の朝話してあげるよ」
こうなったら、俺も寝ないでみんなとゲームしてやる!
夜の十一時。
みんなでゲームをしている中、俺はトイレに立った。
一旦ストップしてみんなを待たせているし、俺もすぐに戻ってきて三人に呼びかけた。
「ごめん、お待たせ」
「……」
「……」
「……」
しかし、たったの数分で凪も花音も逸美ちゃんもこたつに入ったまま眠ってしまっていた。みんなどんだけ眠かったんだ。昼寝したじゃん。
「ねえ、みんな! 起きて」
「ぼくは寝てないから。ぼくは全然寝てなんか……ぐぅ」
「お兄ちゃん、あと五分だけ~」
「すぴー」
凪も花音も逸美ちゃんもダウンしている。
はぁ、と俺はため息をついた。
「これは起きないな。四兄弟じゃ人数が足りないよ。誰か、いっしょにゲームしてくれないかな……」
やはり、なんにしたって家族は多いほうがいいらしい。
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