ヤンキーは怖いけど優しい
いつものように起床してお茶の間に行くと、いつものように花音が朝ごはんを食べていた。ついでにいつものように凪もうちで朝ごはんを食べている。
自分の家で朝食を済ませればいいものをと思うがさすがに寝起きではつっこむ気力もなかったので、普通に二人にはおはようと挨拶した。
「そういえば、逸美ちゃんはまだ寝てるよ」
花音が笑いながら言った。
言われて思い出す。昨日、凪と逸美ちゃんもうちに泊まったんだった。二人はそれぞれ、凪が俺の部屋、逸美ちゃんが花音の部屋で寝た。三人共昨日はこたつで寝てしまったから寝床まで連れて行くのが大変だったのだ。
「逸美ちゃん、よく寝るね」
「今日は大学も二限目からだしゆっくりできるって言ってた」
大学生のお姉さんは余裕があっていいな。逸美ちゃんにはせかせかせず、あののんびりマイペースなままでいてほしい。
凪がついと顎を上げて、
「あっ、ぼくも今日は二限目からだったかもしれない。食べたら二度寝でもしようかな。開のベッドで」
スパーンと良い音を立て、丸めた新聞で凪の頭を叩いた。
「高校生のおまえは毎日一時限目から授業があるんだよ。それと俺のベッドで寝るな」
昨夜は、俺が自分のベッド、凪は床に布団を敷いて寝た。
「開は朝からつっこみでキレてますな」
と、凪が目をつむったままぽけーっと朝ごはんを食べる。
「つっこみで、じゃなくて、つっこみが、切れてるんだ。別に俺はヒステリーを起こしてるわけじゃねーよ」
「開の舌は今日も朝からよく回るねぇ。朝弱いくせに」
こいつっ。俺が朝弱いの知ってるならいちいちボケるなよ。
ここで、父が登場した。
お茶の間で着替え始めるという迷惑なことを平気でする父で、いまも下半身がパンツ一丁だけど、年頃の娘である花音は気にしない。俺も気にしない。ただしテレビの前にいるからニュースが見られないのが気になる。
お父さんが新聞を持ったままの俺に言った。
「よお、開も起きたか。なんだその恰好は」
「そのまま俺がお父さんに聞きたいよ。早くズボン穿いてくれ」
「それで、なに話してたんだ?」
俺が答えるようとする前に凪がしゃべり出す。
「それがさ、ぼくが開のベッドで寝ようとしたら、ダメって言うんだ。これから二度寝しようと思ったのに」
凪がまた学校サボる気満々のセリフを口走ると、なにを思ったのか、ズボンを穿いた父はこう言った。
「なるほどな。凪は布団だもんな。ベッドがないと不公平か」
そこじゃなくて二度寝についてなんか言ってくれ。期待はしていなかったけれど、せめて俺のつっこみの手間を増やすのはやめてもらいたい。
「でもお父さん、凪ちゃんのベッドを置く場所は?」
と、母がキッチンから顔を出して聞いた。
「そんなの開の部屋でいいだろ。ベッド二つならギリギリ入るし」
「そうね」
「じゃなーい! 俺の部屋に置いたら机で勉強もできないだろ」
渾身の俺のつっこみに、お父さんは快活に笑った。
「アッハッハッハ。なんだ、そんなこと心配してたのか。おまえは勉強ができるんだから大丈夫だろ?」
「開ちゃん優秀だもん」
と、母が続ける。
「勉強もしなくなったらできねーよ。ていうか、それ以前に凪はうちの子じゃないんだからベッドとかいらないでしょ」
これには、父も母もハッとした。
やっと自分たちがおかしな勘違いをしていることに気づいたか。
だが、お父さんは言った。
「それだ!」
「なに? お父さん」と母。
「わかったんだ。凪はうちの子じゃない。つまり、うちじゃない家にベッドがあるんだ。それをうちに運べば……」
「凪ちゃんにベッドを買わなくても、凪ちゃんがベッドで寝られるってわけね!」
「その通り」
「お父さん天才!」
普通に自分ちで寝させりゃ凪もベッドで寝られるだろ。
俺は立ち上がった。
「ごちそうさま。お父さん、会社遅刻するよ。花音も急げよ」
「うわっ! 開、そういうことは早く言え!」
「お兄ちゃん、ありがとう。あたしも急ぐよ」
バタバタと父と妹が出かけていって、やっと少し落ち着いた。
凪が席を立って俺の部屋に向かおうとするので、俺は凪の腕を取った。
「おまえは二度寝じゃなくて学校へ行け」
「ほーい。開ってば目聡いんだから~」
ということで、俺と凪も準備を済ませて学校へ向かった。
「いってきます」
家の門を出たところで凪とは分かれた。
歩いていると、ポケットに入っているケータイのバイブレーションが鳴った。見ると、逸美ちゃんからのメールだった。
立ち止まって確認する。
『開くん、おはよう。昨日は夜遅くまでゲームできて楽しかったわ。本当にありがとう。気を付けていってらっしゃい。今日も探偵事務所で待ってるね』
逸美ちゃんも起きたのか。正直夜遅くまでではなかったし昨日はみんな寝るのが早かったけど、楽しんでくれたならよかった。
歩きながらのスマホの操作は危険なので、俺は立ち止まったまま返信することにした。
遅刻なんてしたら優等生の俺のイメージが崩れるし、早く文章を考えよう。
なんて返信しようか考えていたとき。
俺はひとりの少年を発見した。
金髪は不良のよう。
真っ黒の学ランを着て、その下にはオレンジ色のTシャツ。
細身で身長は一七六センチほど。
そしてなにより特徴的なのが、顔がとにかく怖いことである。ヤクザの如く狂気的な鋭さを持った強面で、猛獣を連想させる。
そんなヤンキーな風貌だけど、彼は雨に濡れた捨てられた子犬を抱き上げたところだった。
ああ見えて心優しいという典型例を見るようだ。
実は、俺は彼を知っている。
名前は八草作哉。
交渉人。
少年探偵団のメンバーであり、交渉人としての手腕を発揮して俺たちを助けてくれたことがこれまで幾度もあった。
俺は彼を作哉くんと呼んでいる。
「おう、探偵サン」
逆に作哉くんは俺を探偵サンと呼ぶ。
「おはよう」
作哉くんも俺や凪と同じ高校二年生。通う学校が違うので、朝にこうして会うことは珍しかった。
遅刻はしたくないし、ここはなにも聞かず立ち去ろうかな。
しかし、俺は子犬に関してではなく気になったことがあってたまらず聞いた。
「あのさ、そこにぶっ壊れた電柱が倒れてるんだけど、事情を聴かせてもらえる?」
電柱。
それはいまの時代欠かせないものだ。電力の配送から通信線の支持など、なくてはならないものである。同時に、簡単には壊れない強度を持っているはずなのだが……。
作哉くんは決まり悪そうに言った。
「いや、ちっとよ、虫がこの子犬の周りを飛び回ってうるさかったからよ、追い払おうとして間違って電柱を殴ったら壊れちまっんだ」
「やっぱり作哉くんのせいか」
「ちげーよ。これが柔いのがいけねェんだ」
違くない。柔らかくもないしいけないのはキミだ。
実はこの強面の作哉くん、力の制御がヘタクソなのである。人間は誰しも潜在的にはものすごいパワーを秘めていて、実生活で使うのはほんの一部だけだと言われており、使われないパワーは制御されているのだ。
だけど、作哉くんはそのパワーの制御がうまくできず、かなりの腕力を意に介さず使用してしまう。
なにも、作哉くんがおバカだからではない。確かに気が短く、いまも通りかかった中学生にメンチ切ってるけど、バカではない。交渉人をする思慮部深さはあるし、頭はいい。それになにより優しい。メンチ切ってる理由も子犬を守ろうとする故だろう。
「大丈夫か?」
ワン、と子犬が元気に鳴く。
「おう、そうか」
作哉くんは優しい目で子犬を見ている。俺にはその子犬を食べようとしているように見えるくらい怖い顔なんだけど、作哉くんは本当に優しいのだ。
しかし、作哉くんには痛覚がない。
他にも愛想や忍耐力などいろいろ足りないものはあるかもしれないけど、痛覚に至ってはほとんどないのである。
だからこのように、作哉くん自身の拳が傷ついて血にまみれても痛さを感じないし、身に余る力を使ってもその反動を感じない。
「で、これどうするの?」
と、俺が電柱を見てつぶやく。
「オレにはどうしていいかわかんねェ」
「まあ、警察に行って謝ってくるしかないよ。とりあえず器物破損はしたんだから」
「だな」
作哉くんはうなずいた。
正直、このヤンキーみたいなのを警察に行かせるのは心配だけど、処置としては致し方ない。
「そういうことで、俺は学校に行くからまたね」
俺がきびすを返すと、バッグを掴まれる。
ただしそんなに力を入れてないのか、俺が歩を進めても前に進まないだけで、バッグがぶちっと切れたりはしていない。
立ち止まって振り返る。
「ええと、なにかな?」
「オレが痛覚ねェのは知ってるよな?」
「知ってるけど」
「要するに、オレは力の制御ができない」
「そうだね」
「とするとだ、細かい作業がうまくできねェんだ」
「だろうね」
「だから、オレの代わりにケイサツに電話しろ!」
怒鳴らないでくれ。その怖い顔で言われたらさすがの俺も恐怖で指が震えそうだ。
「わかったよ。電話するだけだからね。俺、急いでるんだから」
「ワリー。頼むぜ。助かるわ」
脅しといてワリーはないだろ。
「あと、この子犬をどうするかなんだけどよ」
「それも警察に聞こう」
俺は電話をかける。
そのとき、警察が電話に出るのと同時に、お巡りさんが俺たちの元へとやってきた。それもおばさんといっしょにだ。
「お巡りさん! あの人です! あの人が、男の子を襲ってます!」
「ほんとだ! 許せん! おい、ちょっとキミ!」
作哉くんはお巡りさんに振り返る。
「オ? なんだ?」
「キミ、少年から離れなさい!」
「ハ?」
作哉くん、状況がわかってないみたいだ。
お巡りさんが作哉くんとしゃべり始めるのと同じくして、警察に電話をかけて事情を説明していた俺の手をおばさんが引いた。
「こんないたいけな可愛らしい子を襲うなんて。でも大丈夫よ。お巡りさんが来たから」
電話を切って、俺はおばさんに言った。
「いえ。あれは、俺の友達で……」
「いいのよ! もうそんなこと言わなくて。怖かったでしょう?」
まあ、顔はいつも通り怖かったけど。
作哉くんは、顔が怖いというだけで事情聴取をされたり職務質問をされたりすることが多々ある。学ランを着てるのに職務質問までされるのはよっぽどだと思う。
そんな作哉くんなので、お巡りさんに取り押さえられることもしばしばあり、しかし力の制御がうまくできないからむやみに動くとお巡りさんに怪我をさせてしまう。結局、心優しい作哉くんはこんな無礼なお巡りさんにも抵抗をしないのだ。
「子犬に虐待までしたようとしただろ」
「してねェよ」
このままだといくらなんでも作哉くんが可哀想だし、事情を説明してあげようと思う。
くそう! でも、これじゃあ遅刻だ。
そのとき、凪の声がした。
「あっ! ヤクザだ!」
凪が作哉くんを指差して言った。
あいつ、なんでいまここに!
すると、この凪の言葉にお巡りさんが驚愕の表情を浮かべる。
「ぬぁあにぃ~! ヤクザだとぉ?」
「コラ情報屋! オレはヤクザじゃなくて八草だ!」
必死で訂正する作哉くん。
されど、時すでに遅し。
お巡りさんは完全に勘違いしてしまっていた。
なぜよりにもよって面倒事を大きくするんだ、凪は。
俺は頭が痛かった。
このあと、俺はお巡りさんに説明してやった。
凪のせいで生まれた誤解を解くのは大変だったけど、作哉くんをよく知るもうひとりのお巡りさんがやってきて、事情もわかってくれて、晴れて俺たちは解放された。作哉くんの器物破損の件はあとで話があるらしいけど。
「俺急ぐから、じゃあね」
作哉くんにそう言って俺が走り出そうとすると、お巡りさんに引き止められた。
「なんですか?」
一時限目が始まる前。
俺は、なんとか遅刻せずに学校に間に合った。
しかし、ちょっとした問題もあり……
教室に入った俺は、クラスメートに言われた。
「明智くん、パトカーで登校とかやばくない?」
「もうしかして警視総監と知り合いとか?」
「マジかよ」
「さすがおれたちの明智くんだぜ!」
「きゃー! カッコイイ!」
「やっぱり明智くんはわたしたちのスターね」
お巡りさんの好意でパトカーで送ってもらった俺は、学校にパトカーが来たばかりか中から俺が出て来るものだから、注目の的になってしまったのだった。
こんなことなら、普通に遅刻すればよかった……。
五時限目の授業中。
メールが来た。
普段は授業中に確認はしないのだけれど、今日は自習だったのでメールを見た。
作哉くんからだ。
『朝は悪かった。だが、いい報告だ。子犬の新しい飼い主が見つかったぜ。あのあと学校サボっちまったが、情報屋も手伝ってくれてよ。町中駆けずり回ってこんな時間になっちまった。あの子犬を大事にしてくれそうなおばさんが引き取ってくれてよかったぜ。じゃ、また探偵事務所でな』
添付されていた画像を見ると、本当に優しそうなおばさんと子犬が写っていた。どうやら凪の自撮りらしく、凪も笑顔で写っていたのだが、いっしょにいる作哉くんの笑顔は狂気をはらんだ恐ろしさだった。そのせいでちょっとしたサスペンスみたいになってるし、凪もおばさんと子犬だけ写せばいいものを。
しかし、作哉くんってばそんなことをしていたのか。やっぱり人は見た目じゃわからない。やっぱり作哉くんは優しい人だな、と思った。
ただ。
「学校はサボっちゃダメだろ」
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