あけちけにクイズは向いていない
ある夜。
明智家では、夕飯を食べながらクイズ番組を観ていた。
番組の司会者が言う。
『漢字の読み方クイズ第一問。この漢字の読みを答えなさい』
出された漢字は『姦しい』。
この問題に、明智家の面々は無言でごはんを口に運ぶ。
うちの家族はみんな勉強が得意じゃないからわからないのだ。
もちろん俺は知っている。
なので、ただ答えるのもなんだし俺は凪に尋ねた。
「凪、わかる?」
「かしましい」
「よくわかったね。女が三人そろうと姦しいってことなんだろうね」
「うんうん、開と花音ちゃんとお母さんがそろうと姦しい」
「俺は男だ!」
「いまの時代、性別関係なく若者がそろうとこうですからなー。まったく最近の若者は」
「おまえも若者だろ!」
凪は俺のつっこみは聞き流して、みんなに向かって尋ねた。
「それで、みんなは知ってた?」
直球で聞かれて、明智家のみんなはうなずく。
「やっぱりな」
と当然の顔で父。
「あー。うん、まあね」
母もわかってはないけどわかっていたフリをしている。
「はいはい。ばあちゃんはわかってました」
と、興味ないふうに言うおばあちゃん。
そして、花音が言った。
「お父さんもお母さんもばあちゃんもわかってないでしょ」
これに、三人が聞こえないフリを決めた。
明智家でクイズ番組に答えるのは、家族全員。ただし、それもわかると思った問題だけで、大抵は答えられない。
そんな場合、みんなが言わないのを確認して俺か凪が言うと、花音以外のみんながわかったフリをするのである。花音もわかったフリをするときもあるけど。
『漢字の読み方クイズ第二問。この漢字の読みを答えなさい』
次の漢字は『心太』。
これには、花音が真っ先に飛びついた。
「しんた!」
それに対して、お父さんがハッハッハとおかしそうに笑う。
「そんなわけないだろ」
「じゃあお父さんわかるの?」
「ああ。見てろ」
ついと顎を上げて、父はテレビの画面に視線を移す。
「いや答えろよ!」
と、俺と花音がつっこんだ。
親に偉そうなことは言わない俺たち兄妹だけど、ボケてることにはつっこんでしまう体質なのだ。
父は小さな声で、
「しんぶと」
とつぶやいた。
「ん?」
花音に聞き返されても父は知らんぷりだ。
仕方ないから俺が教えてやる。
「これは、ところてんって読むんだよ」
すると、家族みんなが俺を不思議そうに見て、花音が言った。
「お兄ちゃん、なんの話してるの?」
お父さんが俺を振り返って、
「ほら、開も答えてみろ。クイズやってるから」
いや、答えたんだよ。
おばあちゃんに至っては、なにがおかしいのか笑っている。
花音が凪に顔を向けて、
「それで、凪ちゃん。これなんて読むの?」
「ところてん」
あまりにもさらりと凪が言ったので、全員が固まってしまった。
「ああ、そうそう。お母さんも言おうと思ってたんだけど」
いまさらになって知ってたことをアピールするお母さん。
そして、正解が発表された。
『正解は、ところてんです!』
おバカタレントがうちの家族と同じ間違いをして、天然パーマが特徴でお笑いタレントでもある大御所司会者につっこまれている。
花音以外のうちの家族に至っては、さっきの問題もあれだけわかってなかったことが周知なのに、うんうんとわかっていたかのようにうなずいている。
往生際が悪いと言うか、見栄っ張りというか。
「見栄っ張りは開が一番なのにね」
と、凪に言われた。
「ああ、俺はなんでも一番を目指して……って、え? 俺、さっきの声に出してた?」
「別に~」
それはそうと、続いて三問目。
『漢字の読み方クイズ第三問。この漢字の読みを答えなさい』
今度は結構難しい。
『乖離』
これには、さすがにうちの家族はだんまりを決め込むしかない。
だが、花音が勇気を出して小さな声で俺にささやいた。
「なんかうえの字『はげ』って字に似てない? それっぽいよね?」
「確かにちょっと似てるね。違うけど」
ちなみに、『はげ』は『禿』と書く。
凪がぽつりと言った。
「かくり」
すると、うちの家族は水に浸かって息を吹き返した魚のように口々に言い出した。
「あー。ね」
と、真っ先に間違いに相槌を打つ花音。
「おー。凪もやるな」
と、なにもやらない父。
「凪ちゃんもわかったの? わたしも」
と、わかってないのに凪に賛同する母。
「うん」
と、間違った答えにしかとうなずくおばあちゃん。
しかし、全員の反応を聞いて、いまになって凪が言い直した。
「あ、言い間違えた。『かいり』だ」
「……」
「……」
「……」
「……」
一瞬、俺以外の家族が固まってしまった。
けれどもすぐに父が笑いながら、
「おー。凪、間違いに気づいたか」
気づいたもなにも、いくら凪だって知らなかった人に言われる筋合いはないだろう。
母も調子よく笑って、
「ありゃりゃ、凪ちゃんがさっき言ったのは『かくり』じゃなかったの? そっちだと思ったわ。聞き間違えね。年取ると耳がねー」
言い訳に無理はないが言い訳が長い。
「これは簡単ですっ」
ばあちゃん、それだと簡単なのに間違った答えにうなずいていたことになるぞ。自分で自分の首を絞めていることに気づいてない顔だ。
俺はみんなの知ったかぶりに苦笑しつつ、
「この字も本読めば出てくるよね」
まあ、この家では父が外田康夫のミステリー小説を読む程度なので期待はできないが。
みんな、まんまと凪にはめられたな。
凪はみんなの反応を見て、ふむふむと謎の納得を示した。
続いて、テレビ番組の司会者が言った。
『さあ。次で最後の問題です。漢字の読み方クイズ第四問。この漢字の読みを答えなさい』
最終問題。
出てきた文字は、
『飛蝗』
だった。
これは正直、俺もわからない。
推理するしかないな。
俺は探偵だ、これで推理できないと。
現在、むろん誰もわかっていない。
わかっていて凪くらいのものだろう。こいつは謎に無駄知識ばかり溜め込んでいるやつなので、知っていても不思議じゃない。
「凪、これわかる?」
「開は?」
即切り返されて、俺は普通に知らないと言うのが嫌だったのでこう言った。
「ちょっと待って! 俺は探偵だから」
凪はじぃっと俺を見て、それからつぶやく。
「ほうほう。頑張っておくれ」
俺は考える。
確か、『飛ぶ』ではなくもう片方の虫辺の文字も見たことがあったはずだ。
虫辺というからには、虫なのだろう。
なんの虫だったか。
『蝗』
この一文字だけで、なにかの虫を指していた気がする。
おそらく、この虫より、もっと飛ぶ虫なのだ。
俺はそう推理してみた。
確か、皇帝の『皇』の字がついた文字は『こう』と読むことが多い。『きらめく』と読む『煌めく』も、『煌々と』のように『こう』と読むのだ。
そこに『飛ぶ』。
普通に読めば『ひこう』。
とにかく飛ぶ虫であること以上が推理できないから前に進めない。
「煌く……ホタルは違うし、他に……いや、あれか。王様か。王の字があるってことは、わかったぞ!」
謎は解けた。
勇み足に言った。
「トノサマバッタでしょ!?」
俺の言葉に、うちの家族みんなが感心した。
「おー。開、さすがだねぇ」と父。
「開ちゃん、さっすがー」と母。
「それだわ」と祖母。
「なるほどー」と妹。
しかし凪だけがまだ無反応だ。
「どう? 飛ぶ虫で、王が入るときたらこれでしょ。で、実はバッタがトノサマバッタでもないのに『蝗』一字でバッタと読む」
ふふん、どんなもんだいと俺は解説した。
が。
凪は言った。
「いい推理だけど、これは推理が裏目に出るパターンなんだ」
「へ?」
意味がわからず呆気に取られていると、テレビで答え合わせが始まった。
『実はこれ、バッタと読むんですねー。この『蝗』だけで『イナゴ』と呼んで、『飛ぶ』をつけるとバッタになる。これはよい引っかけ問題ですねー』
「どこもよかねーよ」
思わずテレビにつっこんでしまった。
凪のやつ、ここまでわかっていたのか。
「たぶん、逸美さんくらいの博識かぼくみたいに雑学好きじゃないとわからないよ」
おそらく、逸美ちゃんもこの答えがわかっただろう。
俺の働く探偵事務所の管理をしていて探偵助手でもある逸美ちゃんは、凪以上に知識が豊富だから知っていると思う。無駄知識に関しては凪のほうが詳しい場合もあるかもしれないけど、逸美ちゃんの知識は一度見た物は覚えてしまうという半ば特殊能力じみたチカラのおかげで忘れない。
ただ、推理が裏目に出るなんて。
凪は俺の肩に手を置いた。
「だからさ、ドヤ顔で間違えても、ちっとも恥ずかしいことじゃないのさ」
こいつ、俺を慰めるつもりなのか馬鹿にしてるのかどっちなんだ。
俺は嘆息した。
「クイズはしばらくいいや」
翌日、探偵事務所へ行って逸美ちゃんに同じ問題を出してみた。
その結果、なんと全問正解だった。
「すごいね、さすが逸美ちゃん」
逸美ちゃんは首を横に振った。
「そんなことないわよ~。前にどこかで見たことあったから~」
読書家でかなりの数の本を読む逸美ちゃんなので、日常で触れる漢字の数も多いことだろう。
「俺は推理したけどダメだったんだ」
と、昨日の夜の話をする。
「開くん、推理してそこまでたどり着いたらすごいわよ~」
逸美ちゃんはそう言って俺を慰めてくれた。凪に比べて逸美ちゃんは本当に優しい。
「しゅんとしてる開くんも可愛いけど、開くんは笑顔が一番可愛いんだから。元気出してっ」
「ちょっと逸美ちゃんっ! 恥ずかしいからそういうの」
他の少年探偵団のメンバーがいないからよかったけど、俺はしゅんとした顔ではなく赤面してしまった。
そのとき、探偵事務所にお客さんがやってきた。
「あら、いらっしゃいませ~」
「ドウモ。コニチハ」
どうやら日本人ではないようで、どうやらカタコトの日本語を話す中国人の男性だった。まだ若くて二十歳くらいだろうか。
しゃべりにくくはあるけれど、日本語でも伝わるので安心した。
話を聞いてみれば、ちょっとした失くし物について推理してほしいということだ。常に慣れない日本語で話しているせいか表情が硬い中国人の彼。
だが、俺も頑張って会話して、なんとかその失くし物の場所を推理してみせた。
「オオ、アリガトゴザイマス」
「いいえ」
「アナタノヨウナ、スイリリョクノタンテイ、エート……」
俺のような推理力の探偵?
彼は迷ったようにして、紙に文字を書いた。
「ホントウニコレデス」
その紙に書かれた文字を見て、俺は肩を落とした。
書かれていたのは、
『放心』
この無表情はそういうことだったのか。
俺の推理力があんまりにもなくて、失くし物の場所の推理も的外れだったなんて。
「デハ、シツレイシマス」
そう言って、中国人の男性は帰ってしまった。
落ち込む俺に、逸美ちゃんが不思議そうに聞いた。
「どうしたの? 開くん、落ち込むことでもあったの?」
「うん。たったいまね。昨日の夜も推理が失敗して、今日も俺の的外れな推理に放心されて、俺はもうダメかもしれない」
俺の言葉を聞いて、逸美ちゃんは小さく笑った。
「なーんだ。この字のことを勘違いしてるのね」
「勘違い?」
「中国語の『放心』っていうのは、日本語では『安心』って意味なのよ。だから、開くんみたいな推理力を持った探偵さんがいて、解決してもらえて、本当に安心したって言ったのよ」
逸美ちゃん、中国語も少し知っているからな。
この話を聞いて、俺はちょっと元気が出た。
「そっか。よかったよ。俺、間違ってなかったんだ!」
「うんうん。開くんはとってもすごいって、わたし知ってるもん」
ふふっと逸美ちゃんが微笑んだ。
その日の夕方。
家に帰ると、花音がお茶の間でテレビを観ていた。
昨日やっていたのとは別のクイズ番組だ。
ちょうど花音がリモコンを持っていて、
「あ、お兄ちゃん」
「クイズ?」
「うん。ちょうど消そうと思ってたんだけど、お兄ちゃんいるなら観る」
「なんで?」
「だって、開ちゃんと凪ちゃんがいないと、誰も答えられなくてクイズ番組はおもしろくないから。やっぱり頭いい人がいないとね」
まったく、そういうことならしょうがないか。
花音の隣に腰を下ろしながら俺は言った。
「わかったよ。しょうがないからいっしょに観てやるよ。ほんとにしょうがないやつだな、おまえは」
「お兄ちゃん、なにかいいことでもあった?」
と、花音が俺の顔を見て聞いた。
「別に? なにもないし」
それから、凪がやってきた。クイズ番組に気づいて、なにやらつぶやく。
「またクイズ? ああ、これは謎とき系の有名なクソ番組……。確か、東大生でもわからないインチキな引っかけばっかりなんだよね~。まあ、二人共IQだけは東大生以上だし、好きにやらせておくか」
結局、俺と花音は一問目から引っかかる。
「インチキだー!」
俺と花音の声が重なり、二人そろって乖離したように放心した。
凪が心太と蝗の佃煮を持って台所から顔を出す。
「ん? 姦しいけどなにかあった?」
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