探偵事務所のお向かいさんは人がいい

 とある平日の午後。

 俺は学校が終わって放課後はまっすぐ探偵事務所にやってきた。

 逸美ちゃん以外の少年探偵団のメンバーはまだ来ていない。

 だから、まだ和室には入らず、時折来るかもしれないお客さんに備えて、逸美ちゃんといっしょに応接間のソファーでくつろいでいた。

「今日ね、わたし一回も信号で止まらずにここまで来られたの~。すごくない?」

「すごいね。俺もそういうことたまにあるけど、相当運がよくないとなかなかないもんね」

「そうなのよ。歩くペースがもうちょっと早かったら信号の前で足踏みするところだったから」

「わざわざ足踏みはしなくてもいいでしょ」

 あはは、と俺は笑った。

 お客さんが来る気配はないし、今日はこのまま凪なんか来ずに逸美ちゃんとふたりだけでのんびり過ごしたいものだ。

 そう思ってお茶をすすると、外から声が聞こえてきた。

「かーいーくーん」

 凪の声だ。

 こうなったら俺の穏やかな時間もここまで。

「凪くん来たのね~」

「うん、そうみたい」

 と、逸美ちゃんに答えてから、俺は凪に言った。

「凪、入っていいよ」

 しかし、凪は探偵事務所に入ってこない。

 探偵事務所に入ってこないばかりか、また声がした。

「かーいーくーん」

「だから入って……」

 あ。

 これは、またいつものパターンか!

 GO!

 俺は急いで探偵事務所を飛び出した。

 探偵事務所は三階建ての建物の二階部分。

 階段を降りて、探偵事務所の前の通りに出た。

「かーいーくーん」

 やはり、凪は通りにいた。

 通りで俺の名前を呼んでいる。

 しかも。

 探偵事務所のお向かいの家のインターホンを鳴らしながらだ。

「凪!」

「おっ、開だ。開~! あーそーぼっ」

 こちらから呼んでも、まだ凪はインターホンを鳴らしてそう言った。

「こら、後ろだ! 後ろを見ろ」

 凪は振り返りながら、

「ん? あ、開。そっちにいたのか」

「後ろから声がしてただろうが」

「ところで開」

「なに?」

 ちょっと苛立ち交じりに聞くと、凪が尋ねた。

「また引っ越したの?」

 ズコっとこける。

「引っ越してねーよ! 探偵事務所はずっとここにあるんだよ。まったく、おまえはいつもいつも間違えやがって。人様にまで迷惑をかけるな」

 こいつ――柳屋凪は、なぜだかいつもお向かいの家のインターホンを鳴らす習性がある。鈴ちゃんとか他の誰かと来るときは間違えないのに、ひとりのときはしょっちゅう間違えるのだ。これは完全にわざとなんじゃないかと俺は思っている。

 凪はやれやれと手を広げて、

「もう。紛らわしいなぁ。そうならそうって言ってよー」

「なにをどう言えばいいんだよ? もういいから、探偵事務所に入るぞ」

 俺が凪を連れて行こうとすると、お向かいの家のドアが開いた。

「はーい」

 出てきたのは、どこからどう見ても普通の大学生の青年。冴えないという点以外には特徴がなく、強いていえばひげが濃いくらい。

 名前は、大分良人。

 良人さんは、この春からここの家に引っ越してきた大学一年生なのだ。

「て、なんだ。また凪くんじゃないか」

 凪にインターホンを鳴らされるのも慣れてきた良人さんが残念そうに言った。

「おお。そういうキミは、だいぶ人がいいと書いて良人さんじゃないか」

「ズコ」

 と声に出して良人さんがこけた。

「人がいいじゃなくていい人って言ってよ。凪くん、ボクになにか用?」

 こんな凪の迷惑行為にも怒らない良人さんは本当に人がいい……じゃなくて、いい人なのだけれど、良人さんも凪を友達とは思いつつも迷惑がっていることには変わりない。

「そういう良人さんこそ、ぼくになにか用?」

 また、ズコーとこける良人さん。

「キミがボクの家のインターホンを鳴らしたんでしょ?」

「いや~。ついもっちり」

「それを言うなら、ついうっかり、だ」

 と、俺がつっこんだ。

 凪は良人さんをまじまじと見て、

「でも、ここは良人さんの家じゃないよね? 居候でしょ」

「い、いや。まあ、そうなんだけど、ボクの家みたいなもんなの!」

 実は良人さん、このおうちには居候させてもらっているのだ。

 その証拠に、家の表札は『小山』となっている。

 小山さんが元々の家の持ち主なのだが、小山さん夫婦は旦那さんの仕事の都合で一時的にアメリカに引っ越して、現在は親戚である良人さんがひとりで住んでいるといういきさつがある。

 俺は良人さんにぺこりと頭を下げる。

「すみません。ご迷惑をおかけして」

「本人もこう言ってますので」と凪。

「はい、本当に……て、悪いのはおめーだろ!」

 今度は凪の頭を手で押さえて下げさせて、

「本当にいつも迷惑ばかりで」

 再度俺が謝ると、優しい良人さんは笑って許してくれた。

「いや、いいって。開くんは悪くないし、ボクもそれほど気にしてないからさ」

「そうそう。気にしないでよ」

 いつのまにか良人さんの横に移動している凪が俺に言った。

「だからおめーだよ」

 ジト目でつっこむ俺に続けて、良人さんも凪に言った。

「凪くん? 確かにボクは気にしてないけど、キミはちょっとくらい気にしてもいいじゃない? ボクはキミに言ってるわけだし」

 凪は寂しそうに良人さんを見返す。

「わかったよ。ちょっと気にする」

「なんか調子狂うなぁ。ボクが悪いみたいな罪悪感が……。とほほ」

 良人さんは困り顔で眉を下げた。

 別に良人さんが罪悪感を覚える必要なんてまったくないのに、どこまで人がいいのやら。

 俺は苦笑いを浮かべて、

「あの、良人さん。いま忙しいですか?」

 この質問に、凪が肘で俺を小突く。

「開、どう見たって良人さんが忙しいわけないだろう?」

「ちょっと凪くんっ! 失礼だな」

 良人さんに抗議されて、凪は驚いた顔をする。

「え? 良人さん、忙しいの?」

「あ、いや、その、ヒマだけど……」

 なんだか良人さんの背中が丸くなっている。

 再び俺は苦笑して、良人さんに言った。

「せっかく時間があるなら、探偵事務所に来ませんか?」

「ちょうど美味しいシュークリームがあるんだ」

 と、凪が言葉を引き継ぐ。

 良人さんはうれしそうに顔をほころばせた。

「へえ。そうなんだ。じゃあ悪いけどいただくよ」

「はい。て、なんで凪が知ってんだよ!」

「細かいことは気にしない~」

 ひらひらとした軽い足取りで凪が探偵事務所へ歩いて行く。

 シュークリームを良人さんにも食べさせてあげようと思って呼んだのは事実だけど、まったくほんとになんで凪が知ってるのか。この情報屋は底が見えない。この情報力を世のため人のために生かしてくれたらと切に思う。


 探偵事務所。

 俺と逸美ちゃん、そこに凪と良人さんも来て、五分もせずに鈴ちゃんもやってきた。

 作哉くんとノノちゃんは今日来られないということで、残念だけど五人でシュークリームをいただくことにした。

 逸美ちゃんが紅茶とシュークリームを和室のこたつに置いた。

「どうぞ~。きっと美味しいわよ~」

「あ、このお店のシュークリーム知ってます。とっても美味しいのでお土産としても人気なんですよね」

 お嬢様で美味しい物を知っている鈴ちゃんがこう言うくらいだ、本当に美味しいのだろう。

 俺たちはさっそくシュークリームを食べ始めた。

「いただきまーす」

 はむっと一口。

「うわぁ! 生地もしっとりで、甘くて美味しいね!」

「そうね~」

 俺も逸美ちゃんも大満足だ。

 凪と鈴ちゃんも美味しそうに食べる。

「まいう~。こんなの初めて~」

「ふふっ。先輩、初めてでしたか。もしよかったら、今度パパがまたもらってきときにでもここに持ってきますよ」

「鈴ちゃんサンキュー」

 良人さんもみんなが美味しそうに食べたのを見てから食べる。

「うぉほっ、美味しい! なんかいろいろちょうどいいよ」

「まあ、良人さんの食レポはちょうどよくなかったけどね」

「ボク言葉を考えるの下手だから、うまいコメントってできないんだ。ごめんよ、とほほ」

 この「とほほ」ってのは良人さんの口ぐせのようなものだから気にする必要もないが、なんだかマンガみたいなリアクションをする人なのだ。

 良人さんは気を取り直したのか、頭の後ろをぽりぽりかきながら、

「でも、なんか悪いなぁ。軽い気持ちで来たら、こんなに美味しい物をご馳走になっちゃってさ」

「いいのよ」

 と、逸美ちゃんが微笑む。

「そうですよ。せっかく人数分あるんですし。残った作哉くんとノノちゃんの分は、明日来たらあげればいいしね」

「うん。明日食べてもらおうね」

 ふふ、と逸美ちゃんが笑顔で言った。

 良人さんはまだ悩んでいるのか、照れたようにして言った。

「じゃあ、今度ボクがどこか出かけたらなにか美味しい物を買ってあげるよ」

「そうか。ぼくは和菓子がいいよ」

「わかったよ。凪くん」

 なぜか良人さんは凪のリクエストを受ける形になってしまったけど、そんなに気を遣わなくていいのにな。

「あ、良人さん」

「なんだい? 凪くん」

「次の週末いっしょに散歩でもしようぜ。良人さんはまだこの辺の場所でも知らないところたくさんあるだろう?」

「え、凪くん。もしかして案内してくれるの?」

「そういうことになるよ」

「おお! ありがとう」

 と、良人さんは凪の手を取った。

「いや~。気にするなよ。ぼくたち友達じゃないか」

「そうだね。ボクたち、友達だよね。くぅ~! ボクはいい友達を持ったよ」

 感激して良人さんは目頭を親指と人差し指で押さえる。

「ルートとしては、坂を下りた方向を考えてる。郵便局のほうを回ってさ、あの小さなお店とかも並んでる通りを見せたいと思うよ」

「うんうん、ルートは任せるよ。はぁ~。楽しみだなぁ」

 良人さんは期待に胸を膨らませるようにして、鼻の穴を膨らませていた。

 けれど、確かそっちのほうって、小さいけど美味しいと有名な老舗和菓子店があったような……。

 いや、まさかな。


 週末。

 昼下がり。

 少年探偵団のメンバーがそろって探偵事務所でくつろいでいた。

 ただし、今日は凪だけ来ていない。

「ぼくは良人さんとお散歩の旅に出るからね」

 と、前日に言われていたのである。

 みんなが各々好きなことをして過ごしていると、探偵事務所の階段を上る足音が聞こえてきた。

 これは、凪と良人さんか。

 ドアが開く。

 やはり、顔を出したのは凪と良人さんだった。

 よく見てみると、良人さんの手には菓子折りがある。

「あの包み……」

 俺は苦笑いになる。

「やあ。みんな~、おやつにしようぜ~」

「どうも」

 凪と良人さんが和室に上がった。

 良人さんは逸美ちゃんに菓子折りを渡した。

「これ、どうぞ」

「どうしたの~?」

「みんなで食べてよ。お土産さ」

 笑顔は笑顔なんだけど、良人さんの笑顔はなんだか悲しみや疲れが混じった複雑な笑顔だった。

 この説明は、凪がしてくれる。

「今日さ、散歩してたらちょうど和菓子屋さんがあってね。ぼくはあのときのお礼はいいって言ったんだけど、良人さんがきかないんだよ」

 とほほ、と良人さんは涙目で、

「いや、だってー。ボクも元々買うつもりはなかったけど、凪くんにあれだけ『買わなくていいからね』とか『お礼なんて誰も期待してないよ』って言われたら、嫌でも気にしちゃうよ」

 やっぱりか……。

 凪が芸人さんのフリみたいに何度も買わなくていいと言ってプレッシャーをかけたのだろう。

 はぁ、と俺はため息をつく。

 本当に買わなくていいのに、なんていい人がいいんだか。甘やかすとますます凪を自由にさせちゃうよ。

 でも、そこが良人さんの親しみやすくてステキなところなんだけど。

 俺は良人さんに聞いた。

「それで、中身はなんですか?」

 聞かれて、良人さんはつぶらな瞳を輝かせた。

「開くん、よくぞ聞いてくれたね! とっても綺麗な練り切りなんだ。食べるのがもったいないくらいなんだけど、すごく美味しいみたいだからぜひ食べてよ!」

 ということで、俺たちはみんなで良人さんが買ってきてくれた和菓子をいただいた。

「美味しいです! 甘さも控えめで、毎日でも食べたいくらいです」

「わたしもこの味なら毎日食べたいわ~。とっても美味しい」

「あたしもここの和菓子は初めてでしたが、優しい味に癒されます」

 俺、逸美ちゃん、鈴ちゃんと感想を述べた。

 マヨラーで味オンチの心配もある作哉くんでさえ、

「コレはいいぜ! オイ!」

 怖い笑顔を向けられて良人さんはびっくりして恐縮するが、ノノちゃんが天使の微笑みでお礼を言った。

「良人さん、こんなに美味しい和菓子をありがとうございます」

「いや~。いいんだよ、みんなに喜んでもらえてボクもハッピーさ」

 すっかり笑顔を取り戻した良人さんは、立ち上がって腰に手を当てた。

「よーし! こんなに好評だったし、またみんなに買ってあげるよ。へへっ」

 あんなこと言っていいのだろうか。

 なんせこのお兄さん、調子に乗りやすいのである。いまも褒められて上機嫌になってまた買ってくる約束までしている。

「あの、良人さん。大丈夫ですよ?」

 俺が苦笑して言うが、良人さんはニコニコと俺を見る。

「ボクに任せてよ! あのお店は練り切りひとつとっても種類が豊富だしね。アハハ」

 すっかり常連客の顔でそう言い切る良人さん。

 ここで、凪が言いにくいことをさらりと言った。

「いいって言ってもきかないし、楽しみにするか。でもあのお店、お高いからまたバイトしてお金を貯めないとね、良人さん」

 そう言われて、良人さんはハッとした。

「う……。考えたら、ボクの財布の中身、いま空っぽなんだった。またバイトしないとだよ。とほほ」

 断るって選択肢はないんだな。

 まったくもって、本当に人がいいお向かいさんである。

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