お父さんのそば打ち
明智家にて。
ある日。
こたつに入って俺と凪と花音がごろごろしていると、お母さんが来て言った。
「ねえ、凪ちゃん。そばの実をインターネットで頼んでもらえる? 高いやつじゃなくていいから」
凪はゲームをしながら、
「わかった~。分量は?」
「1キロでいいわ」
「ほーい」
凪がスマホで調べて、さっそく注文した。
「明日か明後日には届くよ~」
「あらっ、凪ちゃん早い。ありがとねー」
それにしても、お母さんもなぜ家で使う物をわざわざ他人ちの子の凪に頼むのか。
理由は、単純に凪が機械に明るいからである。
俺も頼まれたことがあるけど、凪にいろいろ教わって使えるようになった。その経緯を知っているのもあり、いっそ凪に直接頼んだほうが早いということでそうなったのだ。
気になって俺は聞いた。
「お母さん、そばの実なんかなにに使うの?」
「いろいろ使えるのよ」
お母さんは曖昧な答え方しかしないので、詳しく聞いてもあまり成果が得られない。本人も使う段になって考えるくらいだからな。
まあ気にしないでいいか。
翌日。
さっそく凪が注文した物が到着した。
受け取ったのはお母さんで、お茶の間には俺と凪と花音とおばあちゃん。
お母さんがいそいそと箱を開けた。
「本当に早いわよね~」
が。
「へ?」
間の抜けた声で固まる母。
「どうしたの?」
花音に聞かれて、お母さんは困ったように答える。
「昨日、凪ちゃんにそばの実頼んだでしょう? でも、入ってたのがそば粉だったのよ。間違えたのかしら」
「え? そばの実?」
と、凪が目を丸くした。
「やっぱりおまえか」
俺は額を押さえる。
こいつ、昨日ゲームしながら注文してたし、ちゃんと話を聞いていなかったのだろう。
あともう一つ、間違えても仕方ない理由がある。
それは、お父さんだ。
花音が笑いながら提案した。
「あはは、凪ちゃんやっぱりボケてるねー! 冴えすぎだよ。でもせっかくそば粉があるんだしさ、お父さんにおそば打ってもらおうよ!」
実は、この花音の言葉にもあったように、うちのお父さんはそば打ちができるのだ。元々はおばあちゃんがそば打ちをできたのだけれど、年になったからと父に伝承されたのである。そのため、明智家では時折お父さんがそば打ちをする。だから、お父さんのそば打ち用だと勘違いしても無理はないって話なんだ。
しかも、お父さんのそば打ちはプロ級の腕前で美味しい。
「いいね! せっかく凪が間違えてくれたんだし、俺もおそば食べたい!」
俺が揶揄するように言うと、凪は胸を張った。
「えっへん。どんなもんだい」
「褒めてねーよ」
さて、届いたのがそばの実ではなくそば粉だったことで、今度の休みにお父さんがそばを打つことが決まった。お父さんはまだ知らないけど。
みんなおそばを楽しみにしている中、夜になってお父さんが帰ってきた。
「おう。ただいま」
「おかえりー」
家族がお茶の間でお父さんを迎えると、花音がドンと今日届いたそば粉を見せた。
「お父さん! 次の休み、これでおそば作ってよ!」
「なんだ? そば?」
「凪がそばの実と間違えてそば粉注文しちゃったんだよ。だからさ、せっかくそば粉あるんだし、おそば打って」
と、俺からも頼む。
お父さんは快活に笑って、
「まったく、凪はしゃーないなー。早とちりは開のほうが多いけど、凪もたまに抜けてるからな。いや、いつもか。アッハッハッハ」
まるで自分の子供に対するように遠慮のない言い方の父である。
「よし! 開も凪も花音も楽しみにしてるし、せっかく凪が注文してくれたんだもんな! 今度そば打つか!」
「わーい!」
「楽しみ!」
と、花音と俺が喜ぶ。
凪も腕組して、
「うんうん、みんなも喜んで、一件落着ですな」
「おい、凪。冷静な顔してるけど原因はおまえだろ? まあ楽しみにしとけよ」
そう言ってお父さんはお風呂に入った。
夕飯を終えたお茶の間では。
お母さんが花音に言った。
「花音ちゃん、今度はおそばの汁の作り方教えてあげるわ」
「あたしにはまだ早いよ。開ちゃんか凪ちゃんに教えたら?」
「俺はいいって」
「ぼくも」
本当に凪が覚える必要はまったくないからな。
すると今度はお父さんが言った。
「開と凪もそばの打ち方覚えるか? でもまあ、開より凪のほうがなにかを追及するっていうか、職人気質なところがあるからな。向いてるかもしれないな」
いや、だから凪はうちの子じゃないんだけどな。
「ぼくは遠慮するよ。もっと大人になってからでいいさ」
「そうか? まあ、それならまたあとでにするか」
「おう」
なんか実の息子の俺が蚊帳の外になっているけど、俺にしろ凪にしろ、そば打ちは高校生には早いよな。
「でさ、お父さん」
「なんだ? 開」
「次の休みはいつ?」
「おいおい、待ちきれないのか? お父さんの次の休みは日曜日だ。土曜日は休みだけどゴルフがあるからな。だから日曜日に打ってやるよ」
「うん。楽しみにしてる」
かくして、明智家では、次の日曜にそばを食べることになった。
待ちに待った日曜日。
この日は、朝からお父さんがそばを打っていた。
お父さんは結構早起きなのだ。
それがそば打ちをするとなると、気合も入って今朝はだいぶ早かったんじゃないかと思う。
「おはよう」
俺が顔を出すと、お父さんは得意顔で、
「おう! 起きたか。開、そばの香りすごいだろ」
「いや、この距離だし全然わからないけど」
まだ粉の段階だし、距離も割とあるから本当にわからない。
すると、お父さんは人を小馬鹿にしたようなドヤ顔で、
「なんだ、開はわかんないの? ダメだな~。こんなに匂いもしっかりとあるそば粉なのにな。ここまでくると、そばの香りしかしないぞ」
悪かったな。寝起きで俺は頭もそれほど回ってないんだ。嗅覚もきっとまだ眠っているんだろう。
俺が朝ごはんを食べていると、そば打ちが一段落したらしいお父さんがお茶の間にやってきた。
「いい具合に打ててるぞ!」
子供のように報告する父。
「よかったね。それなら、美味しいおそばになるね」
「ああ。今日のはいいぞー」
そう言って、お父さんはティッシュを一枚取り、鼻をかんだ。
「うおぉ、なんか鼻がつまってる感じがすると思ったら、そば粉がこんなに入ってた」
見せるな。俺は見ないようにして呆れ顔でつっこむ。
「だからお父さん、さっきそばの香りしかしなかったんだよ。俺がわかるわけないんだって」
台所では、花音がお母さんにおそばの汁の作り方を教わっていた。
明智家の手打ちそばは、明智家特製の温かい汁で食べる。ねぎやしいたけなどが入り、それはそれは美味しいのだ。しかも、この汁は冷めたら取り換えるというシステムで温かい汁で食べ続けるのが明智家流だ。
昔なんか、おそばといえば普通これが一般的だと思っていたほどなんだけど、こういうお汁で食べる家庭はどれくらいあるだろう。
しばらくすると、凪や逸美ちゃん、鈴ちゃん、作哉くん、ノノちゃんまでやってきた。
少年探偵団のメンバーみんなも集合して、あとはおそばが茹で上がるのを待つだけとなった。
「みんな、今日のはすごいぞー! 腹がパンパンになるまで食ってけよー」
お父さんに言われて、少年探偵団のメンバーも「はい」とか「いただきます」だとか言っている。
そして、おそばも茹で上がった。
「できたわよー」
お母さんがそばの入ったザルを持って来て、俺と花音が汁を運ぶ。逸美ちゃんも汁を運ぶのを手伝ってくれて、テーブルにはおそばがそろった。
「さあ、みんな。食べてくれ」
お父さんの掛け声で、俺たちは「いただきます」と言って食べ始める。
「うめェぜ」と作哉くん。
「美味しいです」とノノちゃん。
「汁ともよく合って、こんなに美味しいおそばは食べたことありません」
と、鈴ちゃんが丁寧に言ってくれる。
「本当に美味しいわ~。そばの香りもすごーい。ありがとうございます」
逸美ちゃんも感想とお礼を言って、俺と花音も「美味しい!」と率直に言った。
凪はまず、そばだけちゅるりと食べて、
「う、うまい! さすがぼくが注文したそば粉だ」
お父さんは気分よく笑って、
「確かに、凪が注文しないと食べられなかったな。でも凪、お父さんの打ったそばなんだから、なにかあるだろう?」
おまえのお父さんじゃないと言ってやるべきなのだろうが、凪はその点については気にせず、こう言った。
「そうだったね。お父さんも食べなよ。そばが伸びちゃうよ」
ズコっと全員がこける。
俺はすぐにつっこむ。
「違うだろ! 味の感想を言え。つーか、そばは伸びないし」
「えー。ぼくが開に感想を言ってもしょうがないじゃないか。ぼくはお父さんに言うよ」
だからおまえのお父さんじゃないけどな。まあ、言ってやれ。
「お父さん、このおそばは香りが素晴らしいうえ、食感も絶妙だよ。水の割合もちょうどよかったね」
「そうなんだ! よくわかったな、凪。さすがだ」
凪のやつ、適当言ってんじゃないだろうか。
お父さんは美味しそうにそばを食べるみんなを見回して、
「しかしまあ、みんなが美味しいと言ってくれて、満足してくれて、お父さんも満足だ。打ってよかったよ」
と、しみじみ言った。
凪はうなずいて、
「これで、安心して年が越せるね」
俺はフッと笑った。
「凪、いまは四月だ」
すると、凪は苦笑いを浮かべて、
「面目ない。四月ってことは、年越しそばじゃなくて引っ越しそばの時期だね」
これには俺もジト目になる。
「そんなんだから、そば粉とそばの実間違えるんだ」
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