鏡合わせのような彼女 その2
沙耶さんの目的地は、ショッピングモールの三階にあるらしい。
今回の俺のミッション。
それは、沙耶さんの付き添いとしてただいっしょにいるだけでなく、凪に見つからないことだ。情報屋のあいつに見つかったらどこに吹聴されるかわかったもんじゃない。
「開くん、凪くんの行きそうな場所ってどこ?」
「そんなの俺もわかんないよ。普段のあいつなら本屋とかゲーム屋とか電機屋に行きたがると思うけど、ああいうヘンテコな恰好のときのあいつはいつも以上に意味不明だから」
「そっかー」
「まあ、せいぜい気をつけようよ」
気をつけて歩いていたのだが、やはりあいつは神出鬼没だった。
「あーっ!」
いきなりか。
凪が、沙耶さんの前に登場した。
どこからともなく現れたので、沙耶さんは身動き取れず見つかってしまい、俺でさえ横にある店に入って隠れるのがやっとだった。
逃げ遅れた沙耶さんは仕方なく凪を見る。
「や。凪くん」
「どうしちゃったのさ」
「え?」
急な凪の問いかけに、沙耶さんは目を丸くする。
「なにが?」
「開ってば、どうしてそんなにお顔がしわくちゃになっちゃったのさ」
「なーんだ、そんなことか」
と、沙耶さんはこめかみに怒りマークを作って笑顔を浮かべ、凪の頭を左右からぐりぐり攻撃する。
「ぜーんぜん顔にしわなんてないでしょ? ほら、服とか見てわからないかな?」
「痛い痛い」
沙耶さんがげんこつぐりぐりをやめて、改めて凪が沙耶さんを見た。
「おお、どうして開は女装なんてしてるんだ?」
まじまじと沙耶さんのスカートを見る凪。
「私っ! 沙耶! 声で気づくでしょ! 髪型も違うし」
現在は俺もウィッグをつけているので区別もつきにくいが、沙耶さんとは基本的に髪型が違うから、凪もわざと間違えているとしか思えない。
「なんだ、沙耶さんか。紛らわしいなぁ」
「私は普通にしてるだけなんだけど?」
「え? 沙耶さんは女子高生のコスプレするのが普通なのー?」
「口の減らないガキだな。コスプレ言うな! お仕事で着てるのっ! ていうか、そんな恰好してるあんたにだけは言われなくないわ」
「へー」
全然興味なさそうに凪は明後日の方向を見る。
「てことで、私は忙しいからこれで。じゃ」
「おう」
凪はなんてことはなく、素直に手を挙げた。
沙耶さんは前方に歩き出し、凪は俺たちがやってきた方向へと行く。なので、俺は店内をこそこそと移動して、沙耶さんが向かった方向へ行く。
俺が確認して店の外へ出ようとすると。
「そうそう」
と、凪が振り返った。
危ない。見つかるところだった。
「なに?」
沙耶さんがかったるいとでも言いたげに聞くと、凪は俺がいるのとは向かいの店をペンギンの着ぐるみの手で指し示した。
「あっちのお店に、ぼくがいま着ているペンギンと同じシリーズの着ぐるみがあるぜ。らっこなんて可愛かったよ」
「あっそう。じゃ」
「今度、開もいっしょに三人で着ようぜ~」
「着ねーよ」
すたすたと沙耶さんは歩く。
凪も背を向けて歩き出した。
よし、これで俺も店の外に出られる。
一応さらに数秒待ったけど凪は別のお店に入る気配があったので、俺は先を歩く沙耶さんの元へと小走りに移動する。
横に並んで、
「沙耶さん、見つかちゃったね」
「ごめんね。急だったから。それにしても、よく開くんは隠れられたね」
「俺は慣れてるから」
「さすが相棒だねぇ」
「相棒じゃねーよ。誰があんなやつ」
本当に、誰に会っても俺と凪の二人を知っている人は、凪を俺の相棒だと言うから困る。凪が勝手に言っているだけなのにな。
エスカレーターを登りながら、前にいる沙耶さんが俺を見下ろして、
「目的地までもうすぐだよ。左に曲がってしばらく歩いた先にあるんだ」
「そっか」
三階まで来て、歩きながら沙耶さんが前に腕を伸ばした。
「でも、これで安心だね。凪くんに邪魔される心配もないでしょ」
「どうかな。あいつ、神出鬼没だから」
「確かに神出鬼没ではある」
「さっき後ろに行ったと思ったら前から来るとか普通にあるから困っ――」
すっと、俺は横のお店に入った。
なぜなら、また凪が正面から来ていたからだ。
俺は洋服屋さんの棚の隙間から凪と沙耶さんの様子を観察する。
「あれ?」
「今度はなに?」
と、沙耶さんが不機嫌そうに凪を見ていると、凪はうつむき気味に言った。
「開が老けてる。しょぼん」
「はぁ?」
沙耶さんが怒りを含ませた笑顔を向けると、凪は手で制する。
「大丈夫。詳しい事情は聞かない。ぼくたち相棒じゃないか」
「だーかーらー」
と、ぐりぐり攻撃しながら沙耶さんは言葉を継ぐ。
「私は開くんじゃなくて沙耶なんだけど? つーか誰が老けてるだ?」
「ごめん、ごめんなさい。痛いから」
「あのね、私はまだピチピチの十代なの」
「そういえばそんな設定だっけ」
「設定言うな!」
さらにぐりぐり攻撃してから、沙耶さんは凪を解放して言った。
「でも、まだ十代半ばくらいには見えるでしょう? うふ」
ポーズを決める沙耶さん。
「うん。とても三十手前には見えない」
「でしょう? フフ。て、まだにじゅう……危ない危ない。あんた、さっきからわざとやってるでしょ」
「いまさら沙耶さんの年齢なんて聞いても、誰も喜ばないし悲しまないのに」
「うるさい。言っとくけど私まだアラサーでもないから」
凪は目をつむったようなやる気のない顔で、
「そんな興味のない話をされてもー」
「あっそう。私急ぐから。じゃあね」
「おう」
またさらりとした挨拶を交わして凪と沙耶さんは別れた。
どうやら今度は凪も振り返りそうにないので、俺は店を出て沙耶さんの半歩前後ろまで急ぎ足で移動した。
「ね、神出鬼没でしょ」
「ほんと。あいつの時空だけちょっとおかしいんじゃないの?」
「まあそれくらい変なやつだよ」
ちょっと歩くと、沙耶さんは足を止めた。
「さて、開ちゃん。あそこのお店がそうだよ。決められた時間はあと二十分後。それまでに店内に入ってクーポン券をもらい、怪しまれず買い物客のフリをする。それから、私が決められた時間ぴったりに決められた動作をする。で、あとはターゲットの客が来たら、その客が買った物を撮影するだけ。ね? 簡単でしょ」
「うん。でも、沙耶さんがするその動作って?」
「十七時ピッタリになればわかるよ。さあ、行こう」
「オーケー」
俺と沙耶さんは店内に向かって歩き出し、足を踏み入れた。
潜入捜査という話だったけど、細かく言えば店員として潜入するわけでもなければ特別難しい情報収集をするわけでもない。割と簡単なミッションみたいでよかった。たまに俺もいろいろやらされることがあるからな。
店内を普通の女子高生のように見て周り、沙耶さんに服をあてがわれたりして、
「あ、これ似合うね。可愛い。買おうかな」
「買い物していいの?」
「いいのいいの。そこは自由だから。むしろレジに並んで後ろから撮影するほうが確実でいいからね。お会計中の背後は注意も向かないし」
さいで。
「それにしても、開ちゃんとの買い物は楽しいしいいわ」
「ん?」
「だって、開ちゃんに似合う服がないかあてがってみれば自分に似合うか確認できるんだもん。ねえ、今度は普通にいっしょに買い物しない?」
「普通っていっても、それって俺は女装で?」
「もち」
「断る」
「えー。そんなこと言わずにさ」
なんだか特に何事もなく買い物をしているだけに見えるけど、いいんだろうか。俺がスマホを取り出して時間を確認すると、予定の時間の一分前になった。
画面を沙耶さんに見せる。
「うん」
沙耶さんはうなずいて、通りの前のコーナーに移動した。
そこには何着もハンガーにかかった服が並んでいる。軽そうな薄い生地のチュニックだった。こんなところでなにをするんだろう。
俺は暇人を装ってスマホを見ていた。
そして、十七時。
ジャストの時間で、沙耶さんはなにやらチュニックをいじり始めた。
チュニックをずずーっと音を立て軽く寄せて、別の場所にカチッとかける。今度はずずーっと寄せるのを、三段階に分けてやる。
ふと、こちらを見ているサングラスのおばさんがいたような気がしてチラッと見るが、顔がこちらを向いていることしかわからない。サングラスの下の視線の動きまでは確認できなかった。
おばさんは、沙耶さんが動作を止めると顔をそむけて別の場所へと歩き出した。
へえ。
やるべきことを終えたのか、沙耶さんは店内を確認して、俺にあてがってみて気に入ったらしかった服を手にレジに向かった。
「買ってきちゃうね。そこで待ってて」
店先だから他の人もいるし、声を出したら男だとバレるかもなので、ただこくりとうなずく。
一応、ここからでもレジのほうは見えるのだ。
確認してみると、沙耶さんがチラッと確認しているターゲットらしきお姉さんは大学生くらいだろうか。彼女が買う服をチェックしているのか。
だが、彼女の雰囲気を見たところどうも特別なことはないように思う。見た目にも変わった点はないし、特徴的な箇所がない。
また店内を見ていると、でっかいペンギンがよちよち歩いているのが目に入った。
やばい。
そんな存在そのものがやばいのもそうだけど、あいつは凪に違いない。見つかったら面倒だから、俺は店の外に出て凪に見つからない位置に移動して隠れた。
ったく。あいつはなにをしているんだ。買う物なんてないだろ、ここは女物の服しか売ってないんだぞ。
よちよち歩きのペンギンは、沙耶さんが会計を済ませる前に店の外に出て行ったので、俺は店の前に舞い戻る。
それから一分もせず、沙耶さんがやってきた。
「お待たせー。クーポンもあって安く買えたしラッキーだったよ。行こ」
こくり。
にこりと微笑みを浮かべて俺はうなずき、歩き出す。
そろそろ平気かと思い、俺は歩きながら沙耶さんに聞いた。
「うまくいった?」
「うん。開ちゃん、その顔は、聞きたいことと言いたいことがあるね?」
「まあ」
「じゃあ座ろっか」
ということで、二人でベンチに座った。
座っている人は他にいない。四人掛けのベンチだけど、少し離れた場所にももうひとつベンチがあり、そちらにはただおしゃべりしている女子高生がいるだけだ。
俺は口を開いた。
「撮影のほうはどうだった?」
「ばっちり」
「ターゲットの特徴とか、なんて伝えられてたの?」
「それがさ、よくある茶髪のロングヘアに青いスカートなの。時間的には十七時の前後三十分だって」
「じゃあ、それには意味がないね」
「たぶんね。怪しまれないように買い物でもしてくれって魂胆だったんでしょ」
と、沙耶さんはつまらなそうに言った。
「うん。情報収集にはなってないだろうね。今回は、情報を渡す役割だったってことか」
「そうみたい。開ちゃん、わざわざそこまで言ったってことは、もう私の動きの意味がわかったんでしょ?」
「まあね」
「じゃあ教えてよ。私、自分でもどういう意図で動いているのかわからないからさ」
沙耶さんは役者だ。それも舞台女優ではなく、アンダーグラウンドな世界でなんでも演じる役者。
ただ命じられた役として、命じられた演技をするだけ。
本人がなんの目的でそんなことをするのか、知らないことも多い。知らされないで、知らないまま終わることも多い。けれどそれは、あんまりスッキリしないことだろう。
だからこそ彼女は、探偵ゆえにちょっとしたことにも気づく可能性のある俺と、いっしょに行動をしたがるのかもしれない。
近くに誰もいないのを確認して、俺は言った。
「ただのモールス信号だよ」
「え?」
「知らない?」
「いや、知ってるけど。でもそれって、音でしょ?」
「そう。動きがおかしいと思わなかった? 服の位置を変えてなにかを伝えるなら、わざわざ音を立ててずらして移動させる必要はない。全部それぞれを手に取ってカチッと置けばいい。じゃあなぜ、そうしたのか。理由は、表現を2パターンに絞るため。それから、音を立てるため。音は長音と短音の2パターンだった。そうなると、モールス信号だとわかる」
沙耶さんは呆気に取られているので、俺は補足した。
「ちなみに、沙耶さんがターゲットのおばさんに伝えた暗号は、『NO』。イロハで表すと『タレ』ってなるから、それだけで伝達は難しい。ゆえにローマ字だと推定される。つまり、沙耶さんへ依頼した――正確には沙耶さんの組織に依頼した、だけど――その相手は、取引を認められなかったってことになるだろう。ただそれだけだよ」
口を小さく開けたまま聞き入っていた沙耶さんは、俺が言葉を切ると、急に抱きついてきた。
「ありがとう! やっぱり開ちゃんは最高だね! えらいえらい。天才だよ。お姉ちゃんがなにかご馳走してあげよう」
「いや、いいって」
こんなところ人に見られたら恥ずかしいじゃないか。俺は顔をそむけて離れてようとする。
実際、さっきの写真を撮るよう命じられていたロングヘアのお姉さんだって、その辺によくいそうな人を装い、重要な情報の受け渡しを行っていたかもしれない。けれどそれは、沙耶さんには言わないほうがいいだろう。無駄に考えることが増えるだけだ。
とはいえ、沙耶さんが晴れやかな顔になってよかった。
「ふふっ。じゃあ、お食事はまた今度ね。今日はいい時間になってきたし、せっかくだからクレープなんてどう?」
「じゃ、じゃあ。うん、ありがとう」
「りょーかい」
沙耶さんはにこっと微笑んだ。
0コメント