鏡合わせのような彼女 その3
ベンチに座って待っていると、沙耶さんがクレープを買ってきてくれた。
クレープを食べながら、俺は沙耶さんに聞いた。
「ところでさ、俺はいつまでこの恰好してればいいの? 着替えちゃダメ?」
「ダメじゃないけど、着替える場所なくない?」
「そうなんだよね」
人の多いこのショッピングモールのトイレでは、男子用でも女子用でも、人がまったくいないなんてことはないだろう。女子用なら沙耶さんが中を確認して誰もいないときに入って、着替えている最中も見張っていてくれる。だが、出るときは男子高校生の制服になるわけだから、女装するときと違ってそこがネックになる。
クレープを食べ終えたらショッピングモールを出るのが一番か。
「開ちゃんはブルーベリーとか好きだよね」
「うん。それは沙耶さんもでしょ?」
「まあね。ベリー系好き」
味の好みも似ているからな、俺たちは。今回はブルーベリーのクレープにしたけど、ミックスベリーとかも好きだ。
「あのさ、沙耶さんは食べないの?」
俺の分だけ買ってきて、沙耶さんはなにも食べてない。気になって聞いたら、沙耶さんはあははと笑って、
「私はいいの」
「そう?」
「でも、やっぱり一口ちょうだい」
はむ、とかじる。
俺はクレープに残った歯型を見て笑った。
「沙耶さんの一口ってでっかいよね」
「開ちゃんほどでもないよ。ふふっ」
俺の一口が大きいのは母親譲りで、おかげで花音になにか一口もらうときはいつも「お兄ちゃん、一口大きすぎ」と言われてしまうが、沙耶さんのそれは誰に似たのだろう。
「そういえば、凪はもう帰ったかな?」
「さすがにねー。あんな恰好で長時間いたら疲れるし、帰ったんじゃない?」
「だよね」
「そもそも、本当にあの子はなんのためにこんなショッピングモールまで来たのやら」
「まったくだよ。あんな恰好までして」
「あいつの考えることはわからないね。役者の私でも凪くんにだけはなりきれないと思う」
「それはしょうがない」
あはは、と二人で笑った。
俺はまた、クレープをかじる。
不意に、パシャとカメラで撮られた。
クレープにかじりついたときだったから、咄嗟には声が出せない。
もぐもぐと噛んで飲み込んでから、
「また写真? やめてよ。逸美ちゃんから何枚頼まれてたの?」
「逸美ちゃんからは一枚だけだよ。いまのは私用」
「無駄に容量使うだけだよ」
「いいのいいの」
まったく、俺の女装写真なんか残さないでくれ。
江戸川乱歩の小説に登場する少年探偵団の団長である小林少年もよく女装して潜入捜査とかしていたけど、これも少年探偵団団長という同じ肩書きを持つ者同士の宿命なのだろうか。だったらやだな。
俺は横目に沙耶さんを見て、
「ねえ、沙耶さん。次も着替えるときはちゃんとついててよね」
「わかってるよ。うふふ、頼られるっていいねぇ」
「頼ってるとかじゃねーよ」
そうしないとまずいだけだ。
「開ちゃん。ちょっと待ってて」
「なに?」
立ち上がった沙耶さんを見上げる。
沙耶さんは小さく笑って、
「ただのトイレ」
「そっか。うん。待ってる」
歩き去って行った沙耶さん。
しかしなんというか。
女装したままベンチに座ってたったひとりでクレープを食べるというのは、やはり非常に気まずい。
隣に沙耶さんがいてくれたら、なんだか守ってくれそうな不思議な安心感があるんだけどな。いまはなんで俺はこんなところでこんなことをしているのだろうという気持ちになる。心細いったらない。
自然と食べるスピードが速くなり、俺はぺろりとクレープを食べ終えた。
ゴミの包みを捨てに席を立って歩き出したとき、正面に立ち尽くしている誰かがいることに気づいた。
「……」
俺は言葉が出ない。
しかし向こうは軽く手を挙げて、
「やあ」
まずい。
気まずい。
ひとりでクレープを食べいるときのほうがずっとマシだ。
なんでよりにもよって、ペンギンの着ぐるみを着た変人と会わなければならないのか。
変人――柳屋凪は、やはり唐突に現れた。
神出鬼没のライセンスを持っているのは有能な執事とかだけいいのだ。
「……」
これはどうしよう。
この俺が女装しているところを見られてしまうなんて。いや、これまでだって何度か凪には見られたけど、不意の遭遇は意外と今回が初めてなのだ。
いままでは、着替える段階から凪もいっしょにいて捜査する、ということはあった。でも誰もいっしょじゃなくひとりで女装はさすがにいろいろ厳しいものがある。
なにかいい方法は……。
そうだ!
あの手しかない。
俺は小さく咳払いして、
「なに?」
声を高くして聞いた。沙耶さんの声みたいにちゃんとした女の人の声にはならないけど、このおバカ相手なら乗り切れるかもしれない。
なんて言ってくるのか緊張しながら待っていると、凪は飄々としたいつもの調子で、
「開、ひとりだけクレープなんてずるいじゃないか」
「だから沙耶だって」
「ほうほう。沙耶さんが買ってくれたのか」
「そうじゃなくて私が沙耶って意味」
「ふーん」
「じゃ」
「おう」
俺は凪の横を通り過ぎた。
ふう。なんとかこのおバカをやり過ごすことができた。
あとは沙耶さんを待たずに一旦ショッピングモールの外に出て、そのことをメール。沙耶さんにも外に出てもらい、そこで合流しよう。
そう思ったとき、凪が後ろから呼びかけた。
「言い忘れてた。ねえ、開」
「ん? なんだよ」
俺は呼ばれるままに振り返った。
が。
凪が口をあんぐりと開けて俺を見る。
「あ……」
俺も、開いた口が塞がらなかった。
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