お母さんは魔法使いじゃない
お腹が空いて俺が台所に行くと、お母さんが夕飯の下ごしらえをしていた。
「ねえ、お腹空いた」
「ん?」
ちゃんと話を聞きそうな感じじゃないが、俺は一応言ってみた。
「お母さん、なにか食べるものない?」
すると、お母さんは間髪入れずにこう言った。
「お母さんは魔法使いじゃないんだよ」
それは知っている。当然だ。こんな魔法使いがいるはずない。
「その辺にあるものでも適当に食べてな」
「わかった」
俺はお菓子を手にお茶の間に戻る。
入れ違いにやってきた花音が、またしても言った。
「お母さん、あたしお腹空いた」
「だからお母さんは魔法使いじゃないの」
「え? なんの話?」
――お母さんは魔法使いじゃない。
もはやこれは、お腹が空いてごはんを作ってほしいときになにか言ったら母から返ってくる、定型句のようなものである。俺がちっちゃい頃からそうだった。
「お母さんは魔法使いじゃないからなんでもすぐに作れないの」
「そうだね」
「適当に食べてなさい」
「わかった」
ということで、花音もお茶の間にやってきて、いっしょにお菓子を食べることにした。
「なんかお母さんっていつも魔法使いじゃないって言うよね」
「うん。そうだね」
「お兄ちゃん、なんでか知ってる?」
「さあ」
そんなことを話していると、今度は凪が台所にやってきた。
「お母さん、お腹が……」
空気を読まずに、そんなことを口走る凪。
凪が自分の母でもないのにお母さんと言っているのはさておき、この忙しいうえに同じやり取りを二度もしたのがまずかった。
凪が言い終わる前に、お母さんはキッと凪をにらんで、
「お母さんは魔法使いじゃないって言ってるでしょ」
と、怒った。
が。
そう言われても、凪は気にせず訴えた。
「そんなことより、ぼくお腹が痛いんだ。お薬ない? 魔法の話でも妄想の話でも、あとでいくらでも聞くからさ」
お母さんは目をぱちくりさせて、
「はい。いますぐ持ってきます! ごめんねー」
たたたっと走って行った。
凪はお腹を押さえながら苦しそうにつぶやく。
「お母さんが魔法使いならよかったのに。魔法で治してくれ……。このままじゃ死んじゃ……あ、治った」
と、凪は平然と姿勢を正す。
ガクッと、俺と花音はズッコケた。
凪はお腹をさすりながら、
「もしかしてお母さん、本当にぼくを魔法で治して……」
俺はぽつりとつぶやく。
「だからお母さんは魔法使いじゃねーよ」
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