お父さんと万歩計

 明智家。

 お茶の間で、お父さんはスマホの画面を見る。

「お! 今日は1万4000歩か」

 満足そうな父に、花音が驚いてみせる。

「へえ。たくさん歩いたね!」

「そうなんだよ。お父さん、今日から歩くことにしてな」

「歩くって、散歩?」

「いや、そういうわけじゃないけどよ、1万歩は歩こうと思ってな」

「ふーん」

 さて、これがいつまで続くか。


 翌日。

 お父さんは今日もしっかり歩いてきたらしく、スマホの画面を見てにやりとして、こっちを見てくる。

「……」

 俺は自分のスマホを開いて無視する。

 ついには俺が「どうしたの?」と聞かないもんだから、自分から言ってきた。

「今日も歩いたぞ!」

「そう。それで、何歩くらい歩いたの?」

 仕方ないから聞くと、お父さんは画面を見せて、

「1万3014歩だ」

「すごいじゃん! 今日もいっぱい歩いてる!」

 花音がやってきて、素直に驚いてくれていた。良い娘を持ってよかったな、父よ。俺もついでに、

「結構歩いてるね」

 とだけ言っておいた。

「だろ? 健康のためには歩くのが一番だからな」

 まあ、お父さんの健康のためには、いつもぷかぷか吸っているタバコをやめていつも眠くなるまで飲み続けるお酒をやめるのが一番だろうけどな。


 そして、そうこうやっているうちに一週間が過ぎた。

 四日目からはその様子を観察していないけれど、今日もお父さんがスマホを確認しているのを見ると、万歩計は続けているようだ。

「お? なんだ、今日は9700歩か」

「惜しかったね」

「あと300かー」

 と、花音も残念そうに言った。

 ついに一週間で記録が途絶えたか。まあ、9700歩も歩けば十分じゃないか。明日また頑張ればいい。うちのお父さんは意外となにか続けようとしたら続けられるし、同じゲームでも一度ハマるとずっと続けていられるという、熱しやすい冷めにくい体質なのだ。

 だが、お父さんはなにを思ったのか、スマホを上下に振り始めた。

「なにやってるの?」

 おずおずと花音が聞くと、お父さんは無表情に花音を見返す。

「ちょっとな」

 ちょっとってなんだ!?

 これはあれか。稼いでいるのか。

「お? 1万193歩か。今日はこんなところか」

 そんなところにいなかっただろ。水増しなんてして、なにがしたいのか。

 花音も呆れた顔で、

「お父さん、それなんの意味があるの」


 万歩計について会話をしていたその中で、俺の横で凪はなにやらカチカチと数取器で数えていた。

「凪、おまえはなにやってんだ?」

「なるほど、今日は493か」

 と、凪はメモをした。

 メモを見ると、昨日は235と書いてあった。

「これ、お父さんがスマホを振った回数のほうか」

「うん」

 俺はジト目で凪に聞いた。

「凪、それなんの意味があるの」


 とりわけ意味のないことをする父と凪だったけれど、父には万歩計を続ける意思もあるようなので、明日は休みだし俺はひとつ提案してみる。

「お父さん、明日は散歩にでも行ったら? ゴルフもないんでしょう?」

 しかし息子のアイディアは即却下される。

「行かねえ」

 なんて乱雑な言い方だ。

「えー。行ったら?」

 花音にそう言われても、お父さんは頑なに行こうとしない。

「おまえらが行ってこい。スマホ渡すから」

「それじゃ意味ないでしょ!」

「そうだよ!」

 俺と花音につっこまれても、お父さんはテレビに目を向けるだけだ。

 お母さんが「いい運動になるんじゃない?」と言っても無理だし、これはテコでも動かないってやつだな。

 花音も諦めたらしく、ため息をついた。

すると、おもむろに凪がお父さんのスマホを手に取って、俺と花音に向き直った。

「じゃあさ、三人で散歩に行く?」

「いいよ!」

 花音はさっきまでのため息はどこへやら、もう乗り気だ。

「俺はいいって」

「うん、じゃあオッケーだね」

「そっちのいいじゃなくて、行かなくてもいいって意味っ!」

 凪は真顔で俺のつっこみを聞くと、お父さんに耳打ちした。

「開はああ言ってるけど、きっとお父さんも来ればいっしょに行きたいって言うよ? どうするの? 行くの?」

 行きたいなんて言わねーよ。

 だが、お父さんは勢いよく立ち上がった。

「しゃあねえ! 行ってやるか! 三人共、明日は朝から散歩行くぞ」

「おー!」

 と、凪と花音が手を挙げる。

 えー。なんでさっきまであんなに嫌がってたのに行く気になってるんだよ。いや、まあ、花音とか俺たちがいっしょに行くって言えば、付き合いよく同行してくれるのはわかるけど。

 なんか凪にダシに使われた気がして釈然としないな。

「四人でお散歩いいじゃない。気をつけてね」

 母も嬉しそうだし、どうやら朝の散歩は決定したらしい。


 翌朝。

 朝の六時に起こされて、六時半には着替えも済ませた。

「ちゃんと準備できたか?」

 玄関を出たところでお父さんに聞かれるが、俺はむろんオーケーだ。

「大丈夫。着替えただけでなんにも準備なんて必要ないから」

「花音も元気だし大丈夫だな!」

 と、父は意気込んでいる。

 玄関の前で待っていた凪に一方的にしゃべりかけている花音だったが、俺とお父さんも来たことで、いよいよ散歩が始まった。

「ふぁ~あ。こんなに朝早くから人を呼びつけるなんて、迷惑だな~」

 大きなあくびをしながら凪が頭の後ろで手を組んで歩く。

「おまえが提案したんだろ? しかも、誰も呼んでねーし」

 まだ朝だから、俺のツッコミも力が弱い。

 花音は意外と朝も平気みたいで、いつもと変わらぬテンションでお父さんに問いかけた。

「ねえ、お父さん。どこ行くの?」

「そうだな。じゃあ、その辺ぐるっとしてくるか」

 結局、この時間ではたいした場所には行けないからな。

 ぐるっと散歩していると、近所の公園までやってきた。

 公園では、朝の散歩をしているおじいさんなんかも見られた。

 地面より一段高くなった花壇の囲いを見つけたお父さん。

「行ってみっか」

 張り切って、お父さんはそちらに歩いて行く。

 なにをするつもりなのだろう。

 すると、お父さんは足踏みを始めた。そして、段の昇り降りをしている。

「はいっ! はいっ!」

 と、景気の良い掛け声まで上げていた。

 なんだかこういう筋トレメニューをやらされる部活動の生徒っているよね、っていう気合の入った動きだ。

 お父さんはとても一生懸命だ。

 凪と花音はブランコで遊び始めたし、俺はベンチに座って休憩でもしよう。

 俺がベンチでみんなの様子を眺めていると、おじいさんが隣に座った。

「散歩ですかな?」

「はい。連れが三人いるんですが、それぞれ別のことを始めちゃったので休憩中です」

「いいですね。若いのに感心」

「あはは。ただ、父が万歩計を使いたいだけですから」

「わたしも使うんですがね、一日に1万5000歩を目標にしてますよ」

「へえ。すごいですね!」

「あっはっは。たいしたことはありません。では、わたしは散歩に戻ります」

「はい。お気をつけて」

 おじいちゃんも去ったことだし、俺はお父さんの元に行って、いまのおじいちゃんの話をしてみた。

「お父さん、さっきおじいちゃんと話したんだけどさ、そのおじいちゃんすごいんだよ。一日に1万5000歩を目標に歩いてるんだって」

「そうなの! すごいな! じゃあお父さんも頑張らないとな! はいっ! はいっ! はいっ!」

 お父さん、この上下運動は歩数を稼ぐためだったのか。でも確かにこれをもうちょっとやれば、1万5000歩も遠くないな。

 しばらくして、俺も凪と花音の元へ行って三人で鉄棒をしていると、汗びっしょりになったお父さんがやってきた。

「おう!」

「どうしたの? 汗びっしょりじゃん!」

 花音は驚愕の表情を浮かべた。

「俺が目を離した隙に、どんだけやったんだよ」

 これには俺も驚いた。凪だけは驚きもせず平然としているけど、これだけ頑張ったらあとは帰るだけだな。

「じゃあ、帰るか。帰ったらシャワー浴びないとな」

 ということで、俺たち四人は明智家に帰った。


 家に帰って、お父さんはシャワーを浴びる前に、嬉しそうに子供みたいにワクワクした顔でポケットに手を入れた。

「見るぞー! どんだけ歩いたか!」

「2万とかいってたりしてね」

 あの頑張りから俺がそう言うと、花音はふふっと笑って、

「いやいや。1万7000くらいだよ」

「凪はいくつだと思う?」

 お父さんが目を輝かせて凪に問うと、凪はさらりと答えた。

「1万8500かな」

「おお~! それじゃあ、見ます!」

 意気揚々とお父さんはポケットからスマホを取り出す。

 が。

 お父さんの手に握られていたのはスマホではなかった。

「なんだい、これは」

 目が丸くなっている。

 お父さんのポケットに入っていた物――それは、デジタル時計だった。サイズもちょうどお父さんのスマホと同じ大きさだし形状もスマホによく似たデジタル時計だ。

 俺はわけがわからず首をかしげる。

「デジタル時計?」

「でもこんなの、うちにはないよね?」

 花音に聞かれて、俺はうんとうなずいた。

 そのとき、凪がお父さんの手からデジタル時計を取った。

「ああ、これ。ここにあったのか。ぼくが昨日忘れたやつだ」

「おめーかよ! 紛らわしいマネするな!」

「そうだよ、うちに時計なんて持ってくる必要ないでしょ」

 俺と花音に糾弾されても凪はへっちゃらな顔で胸を張る。

「昨日は腕時計をするのを忘れたから、代わりに持ってきていたんだ」

 意味わかんねー。

 しかし誰よりがっくりしてるのはお父さんである。

「なんだ、凪。おまえはまったくしょうがないやつだな」

 丸めた背中を向けそう言い残し、お父さんはシャワーを浴びに行った。

 あれは相当ダメージも大きかったろう。おじいちゃんに負けじと気合を入れて頑張り、あんだけ楽しみにして帰ってきたのだ。それが歩数を計れていなかったのだから、これはお父さん、万歩計をやめてしまっても仕方ないレベルである。

 シャワーを浴びてお父さんがお茶の間に戻ってくると、なにげない素振りでお父さんはスマホを上下に振り始めた。

 花音は複雑そうな表情で、

「お父さん、それなんか意味あるの?」

 もはや無言と無心でカウントされなかった分を取り返そうとするお父さんである。

 横を見ると、凪は数取器でカウントしていない。

「凪、今日はやらないんだな、あれ」

「まあね」

 しかし凪が自分のスマホとにらめっこしてなにかをメモをしているようなので覗いてみると、凪のスマホには歩数計が表示されていた。

 1万3500歩、とあった。

「凪、これ」

「うん。今日の分」

 おまえも計ってたんかい!

 だったら教えてやれよ。

 そう言ってやりたくても、お父さんのモチベーションがなくなったわけではない様子なので、これ以上触発しないように黙っておいた。

 お父さんはスマホを右手から左手に持ち変える。

「いててて。腕がつりそうだ。昇り降りが5000回だから、あと三倍は稼がないとな」

 記録を残す必要性などないのに、ご苦労なことである。

 このあとも父の万歩計生活はしばらく続いた。

AokiFutaba Works 蒼城双葉のアトリエ

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