サボテンを育てる その2
翌日。
探偵事務所の和室でくつろいでいる凪に聞いた。
「ところで、水とかやらなくていいのか?」
「サボテンって、確かあんまりあげなくていいんだよ。だからいいのさ~。へへ~ん」
これは、逸美ちゃんがお世話することになるんだろうな。
ということで、ここからは逸美ちゃんとサボテンの話になる。
――凪と鈴ちゃん、作哉くんとノノちゃんの四人が帰ったあと、俺が勉強していると、逸美ちゃんは読書をしながらもチラチラとサボテンを見ていた。
俺はそんな逸美ちゃんに気づいて、
「気になるの? サボテン」
「うん。とげ飛んで来ないかとか、ちょっと~」
「あれは冗談だって」
「でも、さっきよりちょっととげが鋭くなったような気がするの~」
「そんなの気のせいだよ」
逸美ちゃんは棚の前に移動して、ある一定の距離を保ちつつサボテンを観察する。
「サ、サボテンちゃーん?」
と、逸美ちゃんは呼びかける。
なにもそんな恐ろしい物でも見るようにしなくてもいいのに。
俺も立ち上がって、サボテンの前に行ってみた。
「なんだ。とげも全然鋭くないよ。そもそも、こんなに小さい赤ちゃんサボテンなんだから心配しなくても平気だよ」
「赤ちゃん!? 赤ちゃんなのに立派なとげがあるなんて、防衛本能が強いのね~」
逸美ちゃん、生命の神秘に感心している……。
「ま、愛情持って育てようよ。サボテンは言葉を聞くって言うし、しゃべりかけるといいと思うよ。間違っても、変なこと口にしないでね」
「うん。気をつけるわ」
まだまだ不安は取れないみたいだけど、そのうち慣れるだろう。
俺が帰ったあと、逸美ちゃんが帰るまでの数十分――逸美ちゃんは、落ち着かずにそわそわして何度もサボテンを見たり、物陰からサボテンの様子を見ていたり、いろいろと大変だったらしい。
そして、その翌日。
俺が探偵事務所に来ると、逸美ちゃんは物陰に隠れていた。
「い、逸美ちゃん?」
「わわわっ」
なんか驚き方が可愛らしいが、笑っちゃ可哀想なので緩みそうになる頬を押さえて、聞き直した。
「なにしてるの?」
「わたし、もうダメかもしれない」
「なにがあった」
話を聞くと、今日も探偵事務所にいるあいだ、サボテンが気になって仕方なかったそうだ。
「だって、サボテンちゃんと二人っきりなんだもん。気まずいわよ~」
「二人って、サボテンはサボテンで人間ではないよ」
それに、人間扱いしてる割に本人サボテンの前で気まずいって言っちゃうんだ。俺は苦笑いを浮かべて、サボテンに手を伸ばす。
「あんまり怖がらなくてもさ、ほらっ。とげなんて全然痛くなんか――」
しかし、逸美ちゃんに手首を取られて抑えられる。
「ダメよ。ケガしたらどうするの? めっ」
めって……。
「だいじょ……」
「血まみれになった開くんのこと、辛くて見てられないもの」
やっぱり逸美ちゃんがサボテンと仲良くなるには時間がかかりそうだ。
またさらに翌日。
俺が勉強したり本を読んだりゲームをしたりしているあいだも、逸美ちゃんは読書をしながら落ち着きなく何度もチラチラサボテンを見ていた。
席を立ち、トレイに行ったとき。
トイレから出てくると、サボテンから少し距離を取りつつも頑張ってサボテンにしゃべりかけている逸美ちゃんを見かけた。
なんの話をしてるんだろう? 物陰から見守る。
「サボテンちゃん、元気~? わたしは元気よ~」
「……」
当然サボテンはしゃべらないが、逸美ちゃんは言葉を続ける。
「寒くない? わたしはぽかぽかしてるわよ。あ、そうだ。お腹空いた? お水は欲しいかな~? わたしはお茶を飲んだから大丈夫だけどね」
なんでいちいち自分のことも言うんだ。
俺はさらりと戻る。
「逸美ちゃん、サボテン見てるの?」
「あ、開くん。そうなの~。サボテンちゃん、お腹空いたって」
「え? いまので会話できてたの?」
「ん?」
「いや、別に」
まあ、逸美ちゃんがしゃべっているつもりならそれでいいか。おどおどして怖がられるよりいいしな。
「おっきくなーれ、おっきくなーれ、ふふふふふーん」
鼻歌を歌いながらサボテンに水をあげる逸美ちゃん。
しゃべったことで、打ち解けたのだろうか。
水をあげたあとは、まだチラチラと気にしてはいたけど、そわそわはなくなってきたらしかった。
そのあと、作哉くんとノノちゃんがやってきた。
「よお」
「逸美さん、開さん、こんにちは」
いつも通りぶっきらぼうな挨拶の作哉くんと礼儀正しい挨拶をするノノちゃんである。
「サボテンさん、こんにちは」
ノノちゃんはサボテンにも挨拶をした。それから、和室に入って行った。さすが、明るくていい子なノノちゃんは、サボテンとの付き合いでもなんの心配もない。
作哉くんはと見てみると、おずおずと右手を上げて「おう」とサボテンにも挨拶しようとしていたが、俺の視線に気づいて、
「なっ、なんだコラ! アン?」
と、わずかに頬を染めて和室に入って行った。
なるほど。作哉くんもサボテンと仲良くなりたいようだということがわかった。
「おい、探偵サン。いつまでもニヤニヤしてないで早く来い!」
さっき挨拶しようとしているのを見られたのが恥ずかしかったんだな。別に俺はニヤニヤなんてしてないけど。
「くっそー! なにがおかしい」
と、もがくように作哉くんが言っていた。
全員が和室でくつろいでいて、作哉くんがトイレに立ったとき、わずかに開いた隙間から、トイレを出て和室に戻ってくる前の作哉くんが見えた。
ん?
頑張ってサボテンにしゃべりかけようとしているぞ。
作哉くんは照れくさそうに顔をそらして、チラチラとサボテンを見ながら不器用そうにしゃべりかける。
「お、おう。元気そうじゃねェか」
俺は知っている。作哉くんは、恥ずかしがるくせによく子犬や子猫なんかにも話しかけるのだ。まあ、作哉くんほどに優しい心の持ち主なら、植物への愛情もあるのだろう。
「オ、オレか? オレは元気だぜ。ヘッ」
なんで逸美ちゃんにしろ作哉くんにしろ、自分のことをしゃべるのだろう。
「そうか。腹は減ってないか。またな。へッ」
作哉くんもなんだか会話できていたようだけど、なんでさっき水を浴びていまはお腹空いてないってわかったんだろう。不思議だ。
和室の襖が開く。
満足そうな顔で作哉くんが戻ってきた。
ちょっぴりドヤ顔の作哉くんを見て、逸美ちゃんがふわふわした笑顔で言った。
「あら~。作哉くん、いい顔してる。快調だったのね」
「おうよ」
逸美ちゃん、それは違うよ。まあ、作哉くんの返事も間違っているからなにも言うまい。
またまた翌日。
この日、探偵事務所にやってくると、逸美ちゃんは音楽をかけていた。
「クラシック?」
「あら、開くん」
「どうしたの? サボテンに聴かせてるとか?」
「そうなの~。さすが開くん、さすが探偵王子ね」
俺じゃなくてもわかるって。
テーブルの上に置いてある『サボテンと仲良く暮らすニコニコ生活』という本に視線を落として、俺は聞いた。
「その本、買ったんだ?」
「あ、気づいた? そうなの、買っちゃった」
「見ていい?」
「どうぞ」
パラパラっと俺はその本を見る。
「なるほどね。おもしろいこと書いてあるね」
「でしょ? サボテンちゃんの育て方から、仲良くするためのおしゃべりテクニックとかまであるの」
テクニックを駆使するほどのことか? 逸美ちゃんが楽しんでいるならいいけど。
「今日はこの本を読んで、一日中サボテンちゃんと二人で遊んでたの~」
「あはは。頑張ってるね」
「うん」
と、満面の笑みでうなずく逸美ちゃん。
「そういや」
凪のやつ、探偵事務所には相変わらず毎日のように来るけど、全然サボテンのお世話はしないよな。そうなるだろうとは思ったけど。今日来たら言ってやるか。うん!
そう思ったときだった。
探偵事務所のドアが開いた。
しかしやってきたのは凪ではなく、作哉くんとノノちゃんだ。
「おう」
「こんにちは。逸美さん、開さん」
トコトコ走ってサボテンに近寄り、ノノちゃんはサボテンにも笑顔で挨拶した。
「こんにちは。サボテンさん」
作哉くんは俺に一瞬視線を向けて、俺が見ていないのを確認して、ちょこんとこっそくりサボテンに右手を上げた。俺は見ないフリ見ないフリ。
それからみんなで和室に入ろうかというとき、和室に行こうとしない作哉くんを振り返ると、さりげなさを装ってペラっと『サボテンと仲良く暮らすニコニコ生活』の本をめくっていた。これは見ないであげるのが優しさだ。
俺も和室に上がろうとすると、逸美ちゃんが気づいてしまった。
「あら? あらあら? 作哉くんも見ていいわよ~。その本を読むと、サボテンちゃんと仲良くなれるの~」
「ハァ? なに意味わかんねェこと言ってんだ、オレはそんなの見てねェしよ」
作哉くんは応接間のテーブルに本を置いて和室に入る。
そのとき、俺は思った。作哉くんは、トイレに立ったときにまた本をチラチラ見るんだろうなぁと。
「今日はね、あの本を見ていっしょに歌ったり、DVDを観たの~」
こんな調子で逸美ちゃんは興味ないフリを決め込む作哉くんに対しても構わずサボテンの話をしていた。
しばらくして。
やっと凪と鈴ちゃんが探偵事務所にやってきた。
「こんにちは」
軽く微笑んで挨拶する鈴ちゃんに対し、凪はのんきに手を上げて、
「やあ。開、ゲームしようぜ」
というだらしない登場である。
「それより凪。おまえサボテンの面倒見てないだろ。ずっと逸美ちゃんが見てるんだぞ。今日くらいお世話してみろ」
「そうですよ、先輩」
「そうだぜ? 情報屋」
と、鈴ちゃんと作哉くんにもけしかけられる。
「おう。そんなことか。お任せあれ」
凪はちゃかちゃか走ってじょうろに水を汲んできて、サボテンにあげようとする。
「いっぱい飲めよー」
「ダメー!」
逸美ちゃんが全力で飛んでサボテンを取り上げ、凪のじょうろから水がこぼれる。棚の上にぼとぼと水が落ちてゆく。
「どんどん飲め~」
「やめんか!」
俺はじょうろの先をつかんで止めさせ、凪の頭をパカンと叩く。
「なんだ? なんで?」
「よく見ろよ」
「ああ、逸美さんがイタズラしたのか。やれやれ」
と、手を広げる凪。
「違うだろ」
「テメーはなにかするたびこれだもんよー」
「作哉くん、凪さんだって悪気があったわけじゃ」
呆れかえる作哉くんに、凪へのフォローの言葉を言ってあげる優しいノノちゃん。だが、この言葉に鈴ちゃんがぼそりと、
「悪気がなくあれだから困るのよ」
と、ジト目で凪を見る。
逸美ちゃんは腰に手を当てて、
「凪くん? サボテンちゃんはね、あんまり水をあげ過ぎちゃうとダメなのよ。今度からは、最後に誰がいつ水をあげたか確認すること。いい?」
「は、はい」
珍しく凪が素直に返事をしている。若干気圧されているのも珍しい光景だ。
しかし凪は高反発マットレスのようにすぐに表情を戻し、目をキラキラと輝かせて俺に向き直る。
「開、それでぼくはなにをすればいい? なんでもするぜい」
俺はため息をつく。
そして、俺と逸美ちゃんと鈴ちゃんと作哉くんが声をそろえて言った。
「やっぱりなにもしなくていい」
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