風邪を引いても眠れない
「はあ、頭が重い」
その日、学校からまっすぐ探偵事務所まで来た俺は、事務所に到着するやずっしりとソファーに深く腰を下ろした。
逸美ちゃんが俺の顔色を見て、心配そうに言った。
「開くん。風邪引いてるんじゃない?」
「そうなのかな? 朝家を出るときは大丈夫だったんだけど、学校にいる間にだんだん調子が悪くなってる感じがしたんだ」
「朝までは大丈夫だったのね」
そう言って、逸美ちゃんは急に俺に顔を近づけ、自分の額を俺の額に合わせた。
「うん。熱もあるわ」
「……」
「ん? 開くん、さっきより顔が真っ赤よ? 大丈夫?」
こくりとうなずく。
「ちょっと和室のほうにお布団敷いちゃうね。そこで休んでなさい」
「わかった」
「熱も測っておいてね」
体温計を渡されて、体温を測る。
逸美ちゃんはドアを開けて、『OPEN』になっている札を『CLOSED』に変える。それから布団を敷いて、着替えを出してくれた。
「お洋服出しておいたから着替えてね。制服じゃ休まらないでしょ」
「うん。ありがとう」
いつもぽーっとしてるけど、こういうときは逸美ちゃんしっかりして頼りになるな。
着替え終わり、布団に入り横になる。
ピピー。
体温計が鳴った。それを逸美ちゃんに渡して見てもらう。
「ええと……。あら~。38度5分もあるわ」
本当に風邪引いてたんだ。
「お薬も飲んだほうがいいわね。お薬お薬~」
逸美ちゃんが探すけど、見つからない。
「いま切らしてるみたいだから買ってきちゃうわ。なにか食べ物とかある?」
「ううん」
と、俺は首を横に振る。
「そう。じゃあプリンとか食べやすそうなの買ってくるわね。開くんは寝てていいからね」
「うん。いってらっしゃい」
「いってきます」
逸美ちゃんが探偵事務所から出て行った。
風邪を引いたとき一人でいるのも寂しいけど、騒がれたり工事があったりするよりはマシかな。逸美ちゃん、早く帰ってこないかな……。
すると、ドアがガチャっと開く音がした。
なんだ? 忘れ物かな?
さっきは食べたい物はないって答えちゃったりしたけど、せっかくだから甘えちゃおうかな。こういうときじゃないと自然にできないしね。
薬より逸美ちゃんにそばにいてほしいしこれしかない。
足音が近づいてきたので、俺は目をつむったまま、ちょっと苦しそうに言ってみる。
「あのさ。ちょっと寒いっていうか、人肌が恋しいような感じがして……。横に来て添い寝してくれる?」
うわー! 言っちゃった! どうしよう。なんかものすごく恥ずかしい。でも、たまにはこういうのもいいよね。うん、と自分で自分を納得させる。
ほんのり薄目を開けてみると、こっちに近づいてきてくれているのが見えた。俺は仰向けのまま固まって待つ。
すると、布団がめくれて、そこに入ってきた。やばい。本当にそこまで添い寝してくれるとは。風邪で高くなっている体温がさらに高くなってしまう……!
「あったかい?」
「うん、とってもあったかい」
「開だけに?」
「うまい!」
と、そう言って、俺は横を見て、バサッと布団から飛び出し後ろに下がる。
「凪! なんでおまえがこんなところにいるんだよ! ゴホゴホッ」
片肘ついて横になっている凪が言う。
「ダメじゃないか。風邪を引いてるなら寝てないと。そ・れ・にっ。寒いんでしょ? 人肌が恋しいくらいに」
最後の部分だけ照れたように言うのが腹立つし無性に恥ずかしい。くそう。ちゃんと来たのが逸美ちゃんだって確認してから言うんだった。しくじった。今世紀最大の失態だ。
俺は凪を押し飛ばして布団をかぶり、横になって言う。
「もう帰れよ。俺、風邪引いてて相手してやる余裕ないんだから」
「人肌が恋しいって言ってる開ちゃんを置いていけない」
うざ!
こっちは具合が悪いんだから一人にしてくれよ。
「ゴホゴホッ」
なんかさっきより咳とか出るし、徐々に具合が悪くなってるのかも。
いつもの頭が回り過ぎる頭脳も、いまは普通の人な気がするし。
あれ? 凪のやつ、急に静かになったような……。なんだかんだあいつ、俺に気を遣ってくれているのかな……。
ジャンジャンジャンジャン!
と。
やかましいくらいにうるさい音楽が鳴る。
俺は耳を塞いで布団に潜るが、トンタントンタンいう足音もうるさくて、叫んだ。
「うるさーい! ゴホゴホッ」
しかし、俺も喉が痛くてあまり大きな声が出ない。
応接室で自前の古いラジカセまで持ってきて大音量の音楽をかけ、よくわからないダンスを踊っている凪に、俺の声は届かない。
ああもうなんなんだよ。
嫌がらせでもしにきたのか。
俺は布団から出てふらつきそうになりながら凪の元に駆けて行く。
「うるさいんだよ、さっきから」
近づいてきた俺に気付き、凪は手を伸ばした。
「え?」
「なんだ、開も踊りたかったのか。病も気から。楽しい気分になると忘れるさ」
「そんな都合よく行くかよ」
「ぼくは、キミを応援してるのさ」
と、凪に手を取られて、ダンスを踊らされる。
「離せ!」
「ほい」
言われた通り凪は手を離し、俺を回らせる。
クルクルクルと回転して、再度凪に手を取られて、俺は目を回しながらポーズを決めさせられた。
「はい!」
「……」
俺はもう目が回って一人で立っていられないほどだ。
ポチッと音楽を止めて、凪は腕を組んでうなずく。
「うんうん、ぼくのダンスもカンペキだな。これで明日のダンスの授業でもみんなの注目を集めることだろう」
「こら、おまえ……」
「さて、このラジカセは片付けておくか。忘れないように玄関に置いておこう」
凪が玄関に歩き去り、俺は床に座ったまま頭がぐるぐる回るのを我慢する。
やばい。気持ち悪くなってきた。
でも、なんとか動ける。床を這うようにして和室に上がり、ゴロリと転がって布団の中に戻った。
「はぁ、はぁ」
気持ち悪いし息が上がるし、なんでこんな目に……。
ラジカセを片付けてきた凪が、俺に聞いてきた。
「開、調子はどうだい? 病は気からだったかい? それとも、疲れて寝ちゃったのかな? あれくらいで寝るなんて子供騙しだな」
「それを言うなら子供だな、だろ? 騙しはいらないよ」
「あ、起きてた」
「こんな気持ち悪いのに寝られるかよ」
「ふーん。今度は気持ち悪いのか」
今度はってなんだ! おまえのせいだぞ。
「凪、頼むから静かにしててくれ。テレビ見てていいから」
「テレビ~? この時間面白い番組やってないし……」
「DVDでもなんでもいいよ。じゃなかったら帰れ」
「わかったよ。仕方ない、そこまで言われちゃ断れないな。ちょうど借りてきたのがあるし、DVDでも見るか」
「ああ、そうしろ」
やっと頭のぐるぐるも直ってきたし、目をつむっても大丈夫そうだ。
俺は目をつむって、寝ることにした。
凪もDVDを見てくれるなら静かになるだろう。あいつ、意外と集中したら声かけても気付かないくらいだしな。好きなアニメとか見始まったら画面に釘付けなのだ。子供かよ。
凪がかけたDVDも、音で俺の知っている家族向けのアニメなのがわかった。凪が借りたとか言って昔もここでいっしょに見たことある気もする。
テレビの声もうるさくなくちょうどいい雑音だ。
だんだんと安らかな気分になってきて、俺はウトウトし始めた。
そのとき。
テレビから声が聞こえた。
「危なーい! 後ろよー!」
女の子のキャラクターが叫んでいる。
そこまではいいのだが、次の瞬間。
「後ろだ! 気付け! やられちゃうぞー!」
なぜか凪まで叫び出した。
うっとうしい。
しかもテンションが上がってきたのか、テーブルの上に乗り出して足をバタバタさせて応援している。
「頑張れ!」
なんなんだよおまえは。普段スポーツ観戦しても声出して応援なんてしないやつが、どうして何度も見て内容も知っているアニメで応援し出すんだ。おまえ普段アニメ見てるとき集中して一言もしゃべらないだろ。
「そこだー! いけー」
どたどた足音がうるさい。
「おい、凪。静かにしてくれ」
しかし、言っても凪は熱中しているから声をかけられても聞こえていない。
ったく。
俺は近くにあったタオルを投げる。
が。
「そこでキック!」
と、蹴る動きに合わせてうまいことよけられた。
「そら」
次は枕を投げる。
これだけ大きければ外れまい。
けれども。
「そんなー」
悪役にやられそうな主人公を見て、凪はひざまずく。そのタイミングで枕は凪の上空を通過した。
「くそう」
どんだけスルースキル高いんだこいつは。
俺は腕を伸ばして押入れを開けて、そこから座布団を取り出した。
これでとどめだ。
「くたばれ!」
凪に思いっきり(風邪で力は出ないけど)座布団を投げる。
「腰だ! 腰を落として!」
と、凪がアニメの主人公へのアドバイスをして、自分もお尻を突き出す。でもそれは腰じゃなくてただの尻じゃないか。
そして。
凪の突き出したお尻が、見事座布団を跳ね返したのだった。
「がふっ」
座布団は俺の顔にボフッとぶつかり、俺はそのまま後ろに倒れてしまった。
気を失いそうになって、俺はぐっとこらえる。確かにこのまま気を失うように眠っても体のためにはいいのかもしれないけど、それじゃ気が収まらない。逆に俺の方がくたばってしまったら俺のプライドが許さない。
俺は必死で起きて、押入れから座布団を取り出し、凪に投げつけた。
「死ね!」
「よっと」
と、凪がテーブルを降りて、うまくそれをかわした。
「ん? 開、なにしてるの?」
「見りゃわかんだろ! 座布団を投げてるんだ――よっ!」
ボフ。
やっと、凪の顔に命中した。
よし。やったぞ! これで念願かなって俺は勝ったのだ。
「おーう。枕投げならぬ座布団投げですな。懐かしい~。開、やったなー」
凪も座布団を拾って俺に投げてくる。
俺はそれを持っている座布団でガードして、持っていた座布団を投げようと振りかぶる。
「そこだ」
「いてっ」
振りかぶった隙を突かれて、凪の投げた座布団に当たってしまった。あいつ、もうひとつ隠し持っていたな……!
「そうくるなら、俺はこうだ」
左右の手に座布団を持ち、遠心力を使って投げる。
一つは外れたけど、もう一つは凪に当たった。
「ギエピ。開、やるね」
「なに変なリアクションしてんだよ。もっと行くぞ!」
「ふっふっふ。かかってきなさい」
「偉そうな口利けるのもいまのうちだ!」
こうして。
俺と凪はしばらく座布団投げを楽しんだ。
体力がもう俺に残っていなかったこともあり、あまり長い時間はやっていなかったと思う。
そうして、風邪を引いているのに全力で投げ合って、それも終わって二人揃って布団に仰向けになる。
「ふう」
「いい戦いだったね。開」
「ホント、こんな遊びするのいつぶりかわからないよ。でも、さすがに限界だ……」
そう言ったのは覚えているけど、気が付くといつのまにか俺は眠ってしまっていた。
どれくらい眠っていたのだろう。
俺は布団の中で目を覚ました。
窓から差し込む夕日が綺麗で、やけに静かだ。
起き上がって座り直すと、額に乗っていたタオルがぽとりと膝の上に落ちた。
横を見れば、すぐ近くで逸美ちゃんが本を読んでいた。
「あら。開くん、起きたの? 具合はどう?」
「うん。ちょっとよくなったみたい。凪は?」
逸美ちゃんは微笑んで、
「さっき帰ったわよ」
「さっき? あいつはまったく……」
「凪くんね、わたしが帰って来るまでずっと開くんの看病してくれてたんだよ。わたしが帰ってきてからも、ずっとおでこのタオル、冷たいのに取り換えてくれてたんだから」
「あいつが……?」
座布団投げで散らかった座布団がないか見回すけど、それも綺麗に片付いている。
「じゃあ、座布団も凪が片付けたの?」
「座布団?」
逸美ちゃんは知らないらしい。凪は話してもなかったのか。
「ううん。なんでもない」
「きっと開くん、たくさん汗かいたから早く熱も下がったのね」
と、逸美ちゃんは俺の額に手を当てる。冷たくて気持ちいい。この感じだとまだ熱もあるけど、もうだいぶ下がったみたいだ。
「開くん、いいお友達を持ったね」
別に。と言うおうとしたけど、やめた。
代わりに俺は小さく微笑んだ。
0コメント