夕飯前のおやつはおいしい
俺と花音は、お母さんに頼まれて買い物に出かけていた。
「今日の夕飯なんだろうね」
ふたり並んでスーパーへの道を歩いている中、花音がそう言った。
「頼まれてた物も統一感ないし、それで夕飯作るってわけでもなさそうだからな」
「玉ねぎと白菜と味噌だったよね」
「うん。あとニンジン」
一瞬花音が固まって、また笑顔に戻る。
「ニンジンは買わなくていいよね」
「よくない」
「お兄ちゃんもニンジン好きじゃないのに~」と、花音は口先をとがらせる。
「それでも頼まれたんだから買わないと」
「食べる人いないのに?」
「お父さんもお母さんもばあちゃんも食べるでしょ。ま、まあ、最悪、見つけにくい場所にあったら諦めよう」
「了解」
実は、俺も花音もニンジンがあまり好きではないのだ。兄妹そろってニンジンが好きではないのも情けない話だが、好きじゃない物は好きじゃないのだ。
「そういえば、開と花音ちゃんはラーメンのメンマもあんまり好きじゃないよね。いつもぼくのところに二人して入れるしさ」
「いや、食べられないわけじゃないけどさ」
「そうそう。あたしも食べられるんだけど、好きってわけじゃないんだよ」
俺、花音、とそう言って、俺はバッと振り返る。
「凪! いつのまにいたんだ!?」
「今日の夕飯なんだろうねってところ」
「ほとんど最初っからじゃねーか!」
はあ、と俺はため息をつく。
「凪ちゃんも手伝ってよ」
花音に頼まれて(俺はこいつに手伝ってほしいとは思わないけど)、凪は快諾した。飄々とした顔で自らの胸をポンと叩き、
「もちろんさ。そのつもりだよ」
「ありがとう凪ちゃん! 助かるよ」
「気にするなって。それで、ふたりはこれからどっか行くのかい?」
ズコー。
俺と花音はズッコケた。
「じゃあなんの手伝いだと思ったんだよ!」
「凪ちゃん、話聞いてたんじゃないの!?」
俺と花音ふたりにつっこまれても、凪は平然とポケットに手を入れたまま、
「まあ、ふたりがなに言ってるのかわかんないけど、手伝ってやるか」
三人で歩いていると、すぐにスーパーに到着した。
「お目当ての物だけ買って帰ればいいよね」
買い物かごは凪に持ってもらい、白菜と玉ねぎとニンジンを入れる。あとは味噌だ。今日がお買い得っていうその商品だけ買って、あとは無駄遣いしなくていい。
「うん。でもさ、開ちゃん。余ったお金であたしたちが食べたい物なんでも買っていいって言ってたよ? お菓子でも買わない?」
「そんなこと言ってたね。預かったお金を考えると……」
と、俺は人差し指と親指を動かす。俺はそろばんを習っていたから、こういう暗算は得意なのだ。
「うん。お菓子買うくらいはあるね」
「やったー! じゃあお菓子買おう!」
味噌をかごに入れて、俺と花音がお菓子コーナーに行こうとすると、凪が考えるようにしてつぶやいた。
「チキン、食べたいなぁ」
「チキン?」
と、花音が振り返って凪を見る。
「外はカラッとして、中はじゅわっと肉汁が溢れる。この近くのハンバーガーショップだったら、スパイスまでついてきてちょうど三人分買える。う~む、お安いのに贅沢な一品だな~」
ごくり。
花音が目を大きくして唾を飲み込んだ。
なんだか物欲しそうな目で俺を見上げてくる。
仕方ない、俺はふっと息をついた。
「いいよ。チキンにしようか」
「うん! そうしよう!」
うれしそうにグッと拳を握る花音。
凪は肩をすくめて、
「しょうがないですな。言い出しっぺはぼくだ。責任を持って、ちゃんとチキンも味わうとしますか」
「なにやれやれみたいに言ってんだよ。おまえが食べたかったんだろ?」
まあ、凪も荷物持ちしてくれているし、ちょうど三人食べられるならいいか。
さくっとお会計を済ませて、俺たちはハンバーガーショップに向かった。
「野菜もあるし、いつまでも店内で長居するのはあれだから持ち帰ろう」
「了解!」
「おう」
返事だけはいい凪と花音。
「ふたりはチキンのスパイスなににする? いっそチキンじゃなくてもいいけど」
「あたしはチキン!」
「ぼくも」
「じゃあ俺も」
スパイスは、三種類注文して、みんなで一口ずつ分け合うことになった。
早くチキンが食べたくてうずうずしている花音が三人分注文して、俺たちはしばしのあいだ待つ。
するとものの数分でチキンが来た。
「ありがとうございました」
店員のお姉さんがぺこりと頭を下げて、花音がうれしそうに受け取る。
外に出た花音はルンルン気分で足取りも軽い。
「そろそろ食べよっか。はい、凪ちゃん」
「サンキュ~」
チキンを受け取る凪は調子が軽い。
「開ちゃんはこれね。で、あたしがこれ」
三人に行き渡り、歩きながらでお行儀こそよくないけど、三人そろってチキンをフリフリしてスパイスと混ぜた。
それぞれにいい匂いが立ち上る。
「まずは自分の食べてからそれぞれ一口ずつね」
俺がふたりにそう言っている横で、ビリっという音がした。
花音のほうだ。
おそるおそる横を見てみると、花音のチキンが入っていた袋が破けて、チキンが地面に落ちてしまっている。
楽しみなのはわかるけど、あんなに思いっきり振るから……。
涙目で俺を見上げる花音を見て、俺は思った。泣くほど!?
仕方ないから自分のチキンを差し出す。
「何事も適度が一番だぞ。泣くなよ、半分あげるから」
「ありがとうお兄ちゃん!」
涙ながらにお礼を言う妹に、俺はやれやれと小さく息を吐いた。
「分け前は半分だけど、おいしさは2倍だね。兄妹はいいもんだ」
和んだ顔でうんうんとうなずく凪に、俺はにやりと笑みを浮かべて、
「三兄弟ならおいしさは3倍になる。凪の分け前は少し減るけど」
「それは残念だ。ぼくは一人っ子だから独り寂しくいただくよ」
すーっと逃げようとする凪のパーカーのフードを、俺と花音はがっちりつかんだ。
改めて、俺たちは残ったチキンを確認する。
俺のチキンが残り五分の四、凪のチキンが残り三分の二ある。
「凪、俺に一口ちょうだい」
「いいよ。そしたらぼくは花音ちゃんが食べている開のやつを一口もらうね」
「うん。そしたら、その残りを俺がもらうよ。で、俺が凪の分を一口食べたら花音に回すから」
「わかった!」
花音が凪にチキンを渡し、凪は俺にチキンを渡した。
ガブリ、と俺はチキンにかぶりつく。うん、おいしい。やっぱりチキンは間違いない。スパイスも効いてるし、凪ナイスチョイスだ。
凪は一口食べて俺にチキンを渡そうとして固まった。
「開、ぼくのやつ食べ過ぎじゃない?」
「そう?」
「そうさ。開ってば一口が大きいんだから。お母さんといっしょだよ」
「普通だって」
そう言っても、凪はしょぼんとうつむいている。凪の言うようにうちの母は一口が大きい。それを俺は受け継いでしまったから、いつもこういうときは凪や花音に一口が大きいと言われてしまうのだ。自分としては普通のつもりなんだけどな。
「わかった。わかったから、あとは俺、自分の分を普通の一口だけ食べて終わりにするよ。元々俺はあんまりお腹空いてなかったし」
「ありがとうお兄ちゃん」
目を輝かせる花音に対して、凪は俺に手のひらを向けて、
「遠慮するなって」
「どっちなんだよ、おめーは」
まあ、別に俺は一口だけでも食べられたらそれでいい。
そして、凪から受け取った俺のチキン(残りは花音にあげるチキン)を俺は食べ、花音も俺から受け取った凪のチキンを食べ、それぞれ渡した。
「はい、凪ちゃん」
「おう」
凪が受け取り、花音の手が空いたので、俺が花音にあげる。
「はい、花音。残りは全部食べていいよ」
「うん」
花音は満面の笑みでうなずいた。
が、まじまじとチキンの断面を見て、花音は俺に言った。
「お兄ちゃん、二口食べた?」
「え?」
一瞬驚いたけど、俺は苦笑いで答えた。
「よくわかったね」
「いつものお兄ちゃんならもっとガブって食べられて歯型も大きいからね」
凪は感心したように、
「お~。さすがは探偵王子の妹だ」
「あれ? もうひとつ歯型が……。お兄ちゃん、実は三口食べてた?」
ずいっと詰め寄る花音に、俺はかぶりを振る。
「いや、俺は二口だよ」
そして、俺と花音は一斉に凪を見る。
凪は俺たちふたりににらまれても、照れたように頭をかく。
「いや~。そんなに見つめられると照れますな。ぼくは二口食べただけで、たいしたことしてないってのに」
「凪ちゃーん」
「まったく、おまえもかよ」
俺と花音はやれやれとため息をつき、いつものこの馬鹿馬鹿しい自分たちの会話に、ぷっと噴き出すように三人で笑った。
「ま、おいしかったからいっか」
はむっと花音がチキンを食べる。
「夕飯前のおやつはおいしいね!」
と、凪は微笑んだ。
三人そろって帰宅し、買った物を台所に持って行った。
凪が床に荷物を置く。
「ふう。あ、お母さん、今日の夕飯は?」
「今日はからあげよ」
「え?」
と、声をそろえて、俺たち三人は固まった。
「たくさんお肉あるから、楽しみにしてて。下ごしらえもバッチリよ」
さっき食べたよ、それ……。
「どうしたの? 三人共そんなぼーっとしちゃって。凪ちゃんが昨日食べたいって言ってたから作ったのに」
凪は複雑そうな苦笑いを浮かべる。
「あはは。う、うれしいなー」
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