防犯ブザーを持とう 開編
ある日、俺は依頼人の家に行くことになっていた。
「逸美ちゃん、じゃあちょっと猫探しの依頼をしてきた佐々木さんの家に行ってくるね」
写真と報告書を渡しに行くのだ。
「開くん、待って」
「ん?」
呼び止められたので、俺は立ち止まって振り返った。
「はい、これ」
「なにそれ」
逸美ちゃんが俺の手を取って、手の中になにかを握らせた。
「防犯ブザーよ」
「なんでそんなもの」
「この前、鈴ちゃんが防犯ブザーを持って歩いてるって話を聞いてね、開くんにも持たせたいなって思ったの」
「俺は大丈夫だよ。それより、逸美ちゃんこそ持った方がいいって」
「わたしは平気よ~。開くん、知ってる? 最近は、子供や女性だけじゃなくて、男の子も狙われるのよ。開くん可愛いから、さらわれちゃいそうで心配なの」
「ちょっ、可愛いとか言わないでよ。はずかしい」
「お願ーい! 開くん、持ってって?」
上目遣いで逸美ちゃんに頼まれたら、さすがに断れない。俺の心配をしてくれているわけだし、ここは素直に受け取っておこう。
「わかったよ。持ってく」
「よかった~。これで安心ね」
「そもそも、俺は空手やってたし護身術は身につけてるから大丈夫なんだけどね」
「だって心配なんだもん。開くんが防犯ブザー持ってなかったら夜も眠れないわ」
嘘つけ。さっき俺の横でピーピー昼寝してたくせに。
つーか、これから行く佐々木さんの家はここから歩いて十分ほどしかかからないから本当に大丈夫なんだけどな。
「一応聞いておくけど、逸美ちゃんは自分の分の防犯ブザーは持ってないんだよね?」
「うん。ないわよ。わたしには必要ないもん」
と、ウインクして力こぶを作るポーズをした。
俺は頭を押さえた。
いままでなにもなかったとしても、いつなにが起こるかわからないんだから必要ないことないのに。
「わかった。今度は俺が逸美ちゃんの分を買ってきてあげる。逸美ちゃんもちゃんとつけてね」
逸美ちゃんは笑顔で目を輝かせて、
「開くんにもらったものなら、肌身離さず持ち歩くわ。楽しみにしてるわね」
防犯ブザーって、楽しみにする物じゃないんだけどなー……。
まあ、近所になにか売ってるかもしれないし、帰りに見てこようかな。
「じゃあ行ってくるね」
「はーい。いってらっしゃ~い」
逸美ちゃんに見送られて、俺は探偵事務所を出た。
地図を見なくてもわかっているけど、一応確認しながら歩く。佐々木さんが書いたもので非常に簡潔だ。
「しかし、防犯ブザーを持ってるだけで犯罪抑止になるし、いいアイテムだな」
「うんうん。回復や復活はできないけど、持ってるだけで価値のあるアイテムもあるよね」
「あー、所持してるだけでなにかの効果が得られるアイテムね。あるある! て、凪!? いつのまに」
「やっ」
凪が片手を挙げて挨拶した。
「なんでおまえがいるんだよ」
「なんでって、ぼくはキミの相棒だからね。当然さ」
「びっくりして防犯ブザー鳴らすところだっただろ」
「やめてよ。こんなところでさ。クラッカーじゃないんだから」
と、照れたように頭をかく凪。
「パーティー的な意味で鳴らそうとしたんじゃねーよ!」
はぁ、と俺は嘆息した。
「まいったな、こいつと一緒だと面倒なことになる」
ん? 俺、いま考えてることが口に出ていたか? いや、出てない。
「凪、勝手に人の頭の中を読まないでくれ」
「読んでないよ。超能力者じゃあるまいし。さっきのはただぼくが思っただけ」
「そっか。……じゃねーだろ! いつも迷惑かけるのはおまえだろ!? いいから、用がないなら帰れよ」
そのとき、駆け足する足音が聞こえてきた。振り返ると、逸美ちゃんがこっちに向かって走ってきていた。
「はぁ、はぁ」
と、逸美ちゃんは疲れた様子で止まって、俺と凪を交互に見る。
「なーんだ、凪くんだったのね。よかった~」
「やあ。逸美さん」
二人が挨拶してるのはいいとして、俺は尋ねた。
「逸美ちゃん、なんでここにいるの?」
「うふふ。なんでもないの。じゃあね」
俺は逸美ちゃんの襟をつかんだ。そのせいで、逸美ちゃんはきびすを返して歩こうとしているが、笑顔で足踏みしてるだけで前に進めない。
「この防犯ブザー、GPSとか入ってる?」
逸美ちゃんの動きが完全に止まり、「ぎくっ」と声を漏らす。
「違うの。開くんが心配なだけで、見守っていたかっただけなの。開くん可愛いから、ストーカー被害に遭ったり誘拐されたりしちゃいそうだし、心配で心配で」
凪がやれやれと手を広げて、
「むしろストーカーは逸美さんですな」
「やだ~」
と、逸美ちゃんが恥ずかしそうに顔を押さえる。
それから、凪と逸美ちゃんが二人であはははと笑う。
「ふう。じゃあね。二人共、気をつけるのよ」
逸美ちゃんが帰って行った。
凪は逸美ちゃんに手を振っているが、俺は呆気に取られて立ち尽くしていた。
GPS機能がついていて困ることはないけど、ますます俺には必要ない物のように思えてならない。
まあ、よくわからないけどいいか。
すると突然、背後から俺と凪の肩にポンと手が置かれた。
「出たー」
凪が走り出す。
俺はここだと思って防犯ブザー鳴らした。
同時に、後ろから手をかけてきた人が叫んだ。
「うわぁ! なんだ、これ」
男の声だ。
本当に誘拐か?
そう思ったが、すぐさま俺は考え直す。
この声、どこかで聞いたことあるような。
振り返ってみると、そこにいたのは良人さんだった。
「良人さん!?」
「か、開くん! なんかすごい音が鳴ってるんだけど、なにこれ」
「え、えーと……」
と、俺は決まりが悪くなり、ほっぺたをかいた。
「その前に、ブザー止めないと!」
急いでブザーを止めるが、ブザーの音が大きかったので、たちまち人が集まってきてしまっていた。
逸美ちゃんは引き返してきて、近所のおばちゃんが二人出てきて、さらに凪がお巡りさんを連れてきた。
そして、俺と凪と逸美ちゃんと良人さんの四人で、近所のおばちゃんとお巡りさんに謝ったのだった。
そのあと、逸美ちゃんが俺に抱きつく。
「でも、開くんが無事でよかった」
「ちょっと、抱きつかないでよ。はずかしいって」
「いいじゃない。はぁ。防犯ブザー、買って正解ね」
未だに状況がよくわかってない良人さんの横で、凪がぽつりと言った。
「ふむ。いざ誘拐されそうになっても、これで実用性は証明できたのか。いや、できなかったのか……?」
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