お父さんの一口
いつもいつも、お父さんは必ず料理を一口残す。
これはもう習性のようなもので、朝ごはんのパンを一口残したのを見たとき、
「ちゃんと食べなよ」
と、俺が注意すると、
「食べていいぞ」
そう言って出かけて行ったことがあるくらいなのだ。
まるで子供に行儀を教えるつもりがないかのようなお父さんの悪癖を、俺は反面教師に育ってきた。お母さんはそれを「お父さんは育ちがいいから」と言うけど、そんな立派なもんじゃないと思う。
今日だって、お父さんは晩酌後のしめにごはんを食べ、ごはん茶碗の真ん中に一口分のごはんを残していた。
「お父さん、また一口だけ残して」
俺が言うと、お父さんは興味なさそうに、
「食べてもいいぞ」
いらねーよ。
花音は呆れ顔で俺に言う。
「お父さんって絶対一口だけ残すもんね」
「もはや流儀か制約かってくらいだよ。食べ切ったら死ぬくらいの気持ちなのかね」
俺がため息を漏らす。
「そんなことねーぞ。お父さんはもう食えないだけだ。片付けてもいいからな」
「残ってたら片付けにくいじゃん」
と、花音が援護する。
「もう食べられないって意味で残してるんだからいいんだよ」
ああ言えばこう言う。困ったお父さんだった。
晩酌後の片付けもお母さんとか俺とか花音とかばあちゃんとか、その場にいた人がしてやったりもするんだけど、ちょうどそのとき、凪がお茶の間にやってきた。
凪はお父さんのごはん茶碗を発見する。
「ん?」
そして、お父さんのごはん茶碗を持って台所に行った。
「いやー。凪は親切だね」
お父さんが満足そうに言うと、すぐに凪が戻ってきた。
「ありがとな! 凪。お? なんだ? またごはん茶碗なんか持ってきて」
凪は平然とごはん茶碗をお父さんの目の前に置いた。
「お父さん、おかわりでしょ?」
「ちげーよ」
「え? だって、和食作法では一口だけ残すのって、おかわりの合図なんだぜ。『つなぎ』っていうんだ。口に出しておかわりを頼むのが恥ずかしいのかと思ったんだけど」
「……」
お父さんは気まずそうな顔でごはん茶碗を手に持ち、俺と花音に聞いた。
「……なんか、おかずあるかい?」
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